第46話:手から離れていくもの

 

 

 

 

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第46話:手から離れていくもの

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いつだっただろうか。

昔、誰かに言われた事がある。

 

 

 

『どうして、人前に立つのが苦手なのに、生徒会長なんかになったんですか』

 

 

と。

 

また、こうも言われた。

 

 

『お前って、ほんとに喋りが勢いだけだよな。バカ丸出しじゃねぇか』

 

 

そう。

俺は人前で話すのが苦手だ。

それに、真面目な内容を紙に書いて覚えるのも苦手だ。

 

 

いつ、誰に言われたのか。

本当に、思い出せない。

 

遠い昔のような、つい最近のような。

しかし、今俺の周りに居る連中は、そんな俺の“苦手”を知らないだろう。

 

逆に、俺に“苦手”なものがあるなんて思っていないに違いない。

 

そう、俺が必死に振舞ってきたから。

 

 

 

 

「全校生徒の皆さん、城嶋祭、お疲れ様でした。それぞれ、今日と言う日の為に、クラスや部活動、委員会などで沢山の準備をしてきたと思います」

 

 

 

 

1800人近くの人間が集まる鹿鳴館。

普段はただのだだっ広い体育館である筈のソコは、人で溢れかえっている。

 

そんな場所のステージの脇に、俺は立って居た。

淡々とした口調で紡がれて行く言葉。

面白味も、融通も利かない言葉だが、安心感のあるソレを、俺は何となく羨ましいような気持ちで聞いていた。

 

 

そう、現在、ステージの上に立つのは俺ではない。

 

 

 

「今年の城嶋祭りは、例年に比べ、準備期間も短く、しかしすべき事は例年以上に多くて大変だった事でしょう。我々風紀委員も、実行委員としての責務を務めてきましたが、今年はこれまで経験してきた城嶋祭の中で、最も困難を極めた年だと言えます」

 

 

第57代。

風紀委員、委員長。

秋田 壮介。

 

ヤツは、「最も困難極めた年」の部分をやけに強調しながら言うと、何故かチラリと俺の方を見てきた。

そんなヤツの行動に、俺は若干顔が引きつるのを感じると、そのまま行き場を失った視線を静かに天井へと向けた。

 

本当に、面倒な位ねちっこいヤツだ。

まぁ……今回助けられたのには少し、いや……

 

かなり感謝しているが。

 

 

俺はそのまま鹿鳴館の高い天井を、ぼんやりと見上げると、静に高鳴る心臓を落ち着かせるように深呼吸した。

しかし、やはり心臓は早鐘のように鳴り響くばかりで、ちっとも俺の言う事をききやしない。

手のひらにびっしょりとかく手汗が気持ち悪い。

 

 

落ち着け、落ち着け。

 

淡々と述べられる秋田の閉会式開始の挨拶。

それが終われば、今度は生徒会長挨拶となっている。

 

つまり、俺のあいさつだ。

 

 

ヤベェ、本気で緊張する。

吐きそう。

 

 

俺は体育館を埋め尽くす程にごった返す全校生徒1800名を、脇から見つめるとただただ胸のつっかえる思いだった。

 

すると……。

 

 

「会長?どうしたの?」

 

「……野伏間」

 

 

俺の様子に気付いたのか、隣に同じく立っていた野伏間が、心配そうな顔をこちらへと向けてきた。

 

あぁ、コイツ。

さっきからずっと俺の事見ていやがったからな。

閉会式開始早々、ずっと俺の隣で控えめに俺の様子を伺っていた野伏間が、とうとう俺に話しかけてきた。

 

俺は小声で俺を気づかってくる野伏間に無理やり笑ってみせると、手汗が半端なく噴出する手を握りしめた。

 

 

「何でもねぇよ。お前、さっきからどうしたんだ?コッチ見過ぎ」

 

「……ねぇ、会長……ほんとに大丈夫?何か急に顔色悪くなったけど」

 

「……ったく。別に、何もねぇよ」

 

 

緊張しているなんて今さら言えやしない。

俺は今までだって何度も大勢の人前に立ってきた。

俺は、何でも出来て、カッコ良くて、いざという時に頼りになる生徒会長なのだ。

 

第57代生徒会会長。

西山 秀。

 

 

それが、俺だ。

 

 

だから、そんな俺が今さら緊張しているなんて誰も思いやしない。

 

 

「……俺は絶好調だよ」

 

「…………」

 

 

……言えやしない。

実は人前で話すのが苦手だなんて。

故に、原稿を作らず、勢いだけで今までの全ての挨拶を乗り越えてきただなんて。

 

あぁ、あの時だってそうだ。

生徒会選挙の挨拶の時も。

俺は原稿を作らなかった。

 

 

「………いや」

 

「会長……?」

 

 

………あれ。

でも、一度だけ……。

 

たった一度だけ、俺は原稿を持って全校生徒の前で話した事がある、

 

……ような気がする。

あれは……いつだったか。

 

今みたいに手汗でガッツリ湿った手の平で。

でも、その紙だけは離さず、俺は全校生徒の前に立った。

 

……あれは……確か。

 

 

「会長ってば」

 

「……っあ、あぁ。何だっけ?」

 

 

思い出せない。

けど、俺は確かに必死に緊張しながら、あの綺麗な文字を目で追った。

 

 

「本当にさっきから会長、様子が変だよ。ボーッとして……」

 

「別に何でもねぇって。マジで心配し過ぎ、お前」

 

 

俺は、どこかボンヤリと揺れる思考を立て直しながら、天井へと向けていた視線を野伏間に向けた。

 

 

あぁ。

言えやしない。

俺は、誰からも頼りにされる、有能で、カッコイイ、誰もが憧れる生徒会長だ。

 

 

なのに、どうしてだろうか。

頭の中に響いてくる、そのどこか懐かしい声は、そんな俺の事などお見通しだと言わんばかりに笑いを含んだ声で、俺に語りかけてくる。

懐かしい“俺の”記憶。

 

 

『無理しなくてもいいですって』

『無理してんなよ』

 

 

無理なんかしてねぇよ。

俺はカッコイイ生徒会長なんだから。

 

別に、無理なんか……

 

 

「会長、無理するなよ」

 

「っ!?」

 

 

俺は聞こえてきた意外な言葉に、心臓を打ち抜かれたような気持ちで、目を見開いた。

そこには、必死に握りしめられる俺の拳を、どこか懐かし気な様子で見つめる野伏間の目があった。

そして、そのまま俺の手は野伏間の手と重なっていた。

 

自然と開かれた手は、汗でびっしょりと濡れている。

 

 

「気分悪いなら、無理しない方がいい。会長、ずっと最近休んでないでしょ?」

 

「………あー……、これは……」

 

 

無理しないでいい。

 

 

頭の中に響いて来た言葉と、実際に隣に立つ野伏間の言葉が重なり、俺はなんだか頭がクラクラするような気がした。

しかし、クラクラする頭とは裏腹に、何故だか先程までうるさかった心臓の音は、徐々にそのスピートを落としていく。

 

 

「……本当に、心配しなくても大丈夫だ。……ほんと、緊張して死にそうになってるだけだから」

 

「会長が、緊張……?何で?」

 

「別に、信じられねぇなら信じなくてもいいんだけどな」

 

「?」

 

 

心底意外そうな顔で俺を見てくる野伏間に苦笑しながら、俺は自分の手に添えられた野伏間の手を力強く握りしめた。

隣で、息を呑む音が静かに俺の耳に届く。

 

そんな驚きに満ちた呼吸音を聞きながら、俺は更に野伏間の手を強く握りしめた。

 

こんな風にコイツと手を握るなんて、もしかして幼等部の頃以来かもしれない。

俺は、コイツの手を取って、様々な場所に走って行った。

懐かしい“俺の”記憶。

 

 

あぁ、マジで緊張する。

本気で吐きそう。

マジで死にそう。

 

けど……

 

 

 

「俺、ほんとは人前で話すの……苦手なんだわ。昔から」

 

「へ?」

 

 

こうして、野伏間の手を握っていると……少しだけ緊張がほぐれる気がする。

 

本当に、少しだけだが。

 

 

「いっつも、むちゃくちゃな事言って誤魔化してきたけど、マジで苦手だよ。発表とか、挨拶とかさ。マジで……緊張する」

 

「……会長」

 

 

俺が深呼吸をしながら、終盤に差し掛かって来た秋田の長い挨拶を聞き流していると、いつの間にか俺の手を握る野伏間の手に、力が込められていた。

隣を見てみると、俺を見る野伏間の目が、心底楽しそうに揺れていた。

 

 

「会長のヘタレ」

 

「うっせ」

 

 

そう俺が小さく吐き捨てると同時に、壇上で行われてきた秋田の挨拶が終わった。

 

それと同時に、俺はそっと野伏間から手を離す。

一瞬、俺の手を追うように野伏間の手が伸ばされたが、俺はその手を取る事をしなかった。

 

これから先は、悪いが緊張なんてしている場合ではない。

俺は……一人で立たなければならない場所があるのだ。

 

 

最後に互いに触れていた指の先から、野伏間の小さな戸惑いが伝わってくるようだった。

しかし、俺は野伏間を振り返りはしなかった。

 

ただ、少しだけ収まった緊張に、先程まであった手のぬくもりを忘れぬように、手に力を込めた。

 

 

「続いて、生徒会長、西山秀による講評に移ります」

 

 

司会進行をしている佐津間の通った声がマイク越しに鹿鳴館に響き渡る。

俺は、いつの間にか汗の止まっていた手をしっかり握りしめると、壇上からジッとこちらを見下ろしてくる秋田に目をやった。

 

バチリ。

そんな音が聞こえてくる位、ハッキリと俺は秋田と目があった。

ヤツは力の籠った、揺らぐ事のない意志の強い目を俺に向けてくる。

秋田の目は、いつだって揺るぎない、自信に満ち溢れている。

 

俺の虚勢なんかとは違った、本当の“自信”に満ちたその目が、俺はいつだって羨ましかった。

 

 

 

「……続いて、生徒会長による講評です」

 

 

そんな、二度目となる佐津間からの呼び掛けに、秋田は全くその場から動こうとしない。

若干ざわつき始めた鹿鳴館内を、俺はゆったりとした足取りで前へと進んで行く。

 

本来ならば、もう秋田はマイクを置き、壇上から退場せねばないのだ。

しかし、秋田は壇上から降りることなく、俺の事を見ている。

 

……待って居る。

そして、そんな秋田の様子に、同じく脇に待機している生徒会のメンバー、及び風紀の連中も焦った様子で舞台に立つ秋田を凝視していた。

 

何故、秋田は舞台から降りようとしないのか。

何故、秋田はずっと俺を見ているのか。

 

 

その異様な光景に、もう一度マイク越しに声を上げようとした佐津間を、俺は片手で制した。

そして、そのまま佐津間の持つマイクを、俺はスルリと奪う。

 

 

「秀っ!?」

 

「これ、借りてくぞ」

 

 

俺はそのままゆったりとマイクを片手にステージを目指しながら、ふと、手に取ったマイクについている傷に目を落とした。

その傷は、どこかにマイクをぶつけたように、マイクの先端に軽いへこみを作っている。

 

 

「………良かった。ちゃんと治ったんだ」

 

 

 

俺は歪にヘコむマイクを見ながら、小さく笑うと、そのままカチリとマイクのスイッチをオンにし、壇上へと上がった。

視界の端に広がる1800もの人間の視線が、俺と秋田へと向けられる。

 

俺と秋田の距離。

わずか2メートル。

 

またしても高鳴る心臓の音に、俺は先程まで握りしめていた手のひらを、ゆっくりと開いた。

 

 

「生徒会長の講評に移る前に、少しだけ、風紀に時間を頂きたい。かまわないだろうか、西山会長」

 

「…………あぁ、別に構わない。どうせ、売上順位の集計で、時間稼ぎしなきゃなんねぇところだからな。存分に喋ってくれ。風紀委員長の秋田壮介」

 

 

ザワザワと騒がしくなる鹿鳴館内。

 

そんな中、俺はきつく握りしめられた秋田の拳を見つけてしまった。

小さく震えるその拳に、俺はなんとなく目の前の男が、やはり俺と同じく緊張しているのに気付いてしまった。

 

あぁ、悪い、秋田。

マジでこんな事に付き合わせて。

 

 

「今から俺の発する全ての言動、及び行動に係る事柄は、風紀という組織全体の言葉として……受け止めて欲しい」

 

「あぁ、わかった」

 

 

 

秋田、お前も緊張する事なんてあるんだな。

 

自分に絶対的な自信を持ち、自分の行く道を正しいと断言できる、お前の強さが……俺は羨ましくて、大嫌いで。

 

 

だけど、好きだったよ。

 

自信なんてまるでない俺の虚勢とハッタリに満ちた言動を、強く補強してくれたのは、いつも秋田だった。

コイツに張り合う為に、俺は必死で虚勢を貫いて来た。

 

俺の望む、カッコイイ生徒会長の姿を保ててきた。

 

だから、自信を持て。

お前は生徒会が嫌いで、俺が嫌いなんだ。

 

けど、お前の中にある迷いが、決断を鈍らせている。

お前の中にある、優しさが。

 

俺達を、ここまで引っ張ってきてくれた。

 

 

だけど、それもこれまでだ。

 

 

 

 

「風紀委員は本日をもって、現行の第57代生徒会執行部に……」

 

 

『なぁ、新谷。お前って本当にバカだな』

『新谷君、あなたって本当に、バカな人ね』

 

 

あぁ、俺は本当に大バカ野郎だ。

カッコ良くても、悪くても。

何でも出来ても、出来なくても。

 

 

 

「リコールを申し入れる!」

 

 

結局、いつも途中で手放してしまう。

本当に、俺は……大バカ野郎だ。

 

 

 

マイク越しに放たれた、その微かに震える言葉が。

 

 

俺の生徒会を終わらせた。