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【エピローグ・神埼 蓮見】
『あ、コンタクト……』
『へ……?』
10年程前、城嶋学園には神埼蓮見という、とても聡明で抜け目のないビジネスパートナーが居た。
蓮見というその女は若いながらも城嶋学園の姉妹校である、神埼女学院の理事長を務めていた。
そんな彼女はその頃、城嶋学園と神埼女学院との巨大な合併計画にその身を投じていた。
恋愛。
結婚。
出産。
育児。
普通の女性ならば、それら全てを経験していてもおかしくはない年になりながらも、彼女は彼女の全てを仕事へと傾けていた。
それが、彼女の望んだ事であり、成し遂げたい野望であった。
だが、彼女とて普通の女性の求める幸せを求めないわけではない。
素敵だと思う相手が居れば、彼女とて普通の女性のように心躍らせ、胸をときめかせ。
パートナーと人生を歩み、家族を成したいとも考えていた。
彼女は一見クールで仕事一直なように見えて、しかしその実だれよりも恋に恋焦がれていた。
しかし、問題は素敵だと思える相手が居ない事。
だから彼女はそんな相手が現れるまで、とりあえずは仕事を恋人として生きていこうと決めた。
そう考えているうち、彼女の年齢はどんどん全ての適齢期を逃してしまいそうになっていた。
別に、ずっと心の中で誰か特定の人を追い求めているからではない。
断じて、そんな事はない。
『メガネ。前は、緑の縁のメガネしてませんでしたっけ?』
『………そうね、よく知ってるじゃない』
蓮見は仕事で城嶋学園を訪れた帰り、偶然出会ったどこか見覚えのある生徒を前に、酷く心臓がうるさく鳴り響くのを聞いた。
彼は確か、この学園で生徒会長をしている子であった。
そう、蓮見がうるさい心臓を沈めながら必死に冷静さを装った。
『文化祭の時見たから』
『……そう、なの』
何故か向かい合わせに立つ蓮見と、この学園の生徒会長。
その組み合わせはなんとも奇妙で、不可思議だった。
接点など、正直個人単位ではあろう筈もない。
故、赤の他人とも言える。
ジッと蓮見の顔を見てくる相手に、蓮見は激しく鳴り響く心臓と、熱くなる体に思わず口を開いていた。
『……どうかしら?』
『どうって』
予想外に自分の口から出た言葉。
それは、何の接点もない10歳以上も歳の離れた男の子に発する言葉ではなかった。
しかし、蓮見は尋ねずにはおれなかった。
メガネをしていない自分の姿が、彼にどう映っているのか。
どうしても確認したかったのだ。
『いいと思うけど』
『…………』
『メガネがなくても。いいと思う』
そう、その目に、どこか懐かしそうな色を覗かせこちらを見てくる相手に、蓮見は思わず目を逸らした。
いいと思う
なんていう、曖昧な褒め言葉。
30年以上生きてきて、こんな大雑把な褒め言葉は久しぶりに聞いた。
けれど。
『……ありがとう、西山君』
蓮見の顔は真っ赤に染まっていた。
彼女は聡明で、クールで、仕事一筋で
そして、とても一途な女性でもあった。
そんな彼女も、数年程前に仕事の第一線からその身を退けた。
結婚と言う名の華々しい花道を、彼女もぎこちなく歩いていったのだ。