【エピローグ・白木原 了】
『おい、どけ』
『あ?』
10年程前、城嶋学園には白木原了という、とても怠惰でやる気のない運送屋が居た。
了というその男は三十路を過ぎてからも独り身のまま、毎日ふらふらと城嶋学園へと出荷される荷物を運んでいた。
そんな彼の日々の楽しみは生徒達が授業に励む日中、校内にある売店の一つで漫画を立ち読みする事だった。
ジャンプ。
サンデー。
マガジン。
モーニング。
まぁ、その他諸々。
彼はその日も色気も何もないくたびれた作業着にその身を包み、いつものコンビニのドアをくぐる。
そして我が物顔で商品である雑誌を読むのだ。
それが彼の日常であり……
最近やたらと親から送られてくる見合い写真へのストレスを解消する手段の一つとなりつつあった。
結婚など、彼は全く興味を持てなかった。
できる事ならこのまま生涯独身を貫き、好きなように毎日フラフラと生きていきたい。
そんな了の気持ちなど知ってかしらずか、最近彼の両親はそろそろ身持ちを固めろと本当にうるさかった。
孫の顔が見たい等、本当に重苦しくて仕方がない。
彼は一見女性関係に明るそうで身持ちも固いように見えるが、しかしその実だれよりも男女の関係というものを嫌煙していた。
今度は両親に何と言って断ろうかと、了は小さく溜息をつくき足早に雑誌コーナーを目指した。
しかし、その日は彼の定位置に先客が居た。
『っ』
その先客の姿が目に入った瞬間、了は思わず息を呑んだ。
いつもの彼の定位置。
そこには一人の学生服を着た少年が、紙パックのコーヒーを片手に漫画を立ち読みしていた。
その姿に、了は何とも言えない感情と光景がフラッシュバックするのを感じ……
いつの間にか声をかけてしまっていた。
声をかけずには、おれなかった。
『どけ、そこは俺の場所だ』
『はぁ?後から来て何言ってんだオッサン』
『誰がオッサンだ。このクソガキ』
了は少年の返答に眉間に皺を寄せると、目の前に立つどこかで見た事のある少年を前に記憶の糸を巡らせた。
これは確か、この学園の生徒会長とやらではなかっただろうか。
了は記憶の糸の先にある少年の情報を頭の中にはじき出す。
しかし、何故かその記憶の糸はそこでは止まらなかった。
もっと昔、それこそ同じように自分が学生服を着ていた頃まで、その記憶の糸は続いているようであった。
『どっからどう見てもオッサンじゃねぇか、なぁ白木原?』
『っ!』
少年は了の作業着の胸についている名札を指差しながらニシシと笑ってみせると、手に持っていた雑誌を了へと突き出した。
白木原、
そう呼ばれた了は、繋がる筈のない記憶の糸の先の人物と目の前の少年が被って見えて、ただただ驚愕に目を見開く事しかできなかった。
本当なら、今も了の隣に立ってくれていたかもしれない記憶の中の少年。
そして、今、目の前で了に雑誌を突き出す少年。
了は、ははっと思わず笑うと少年から雑誌を受け取った。
『サンキュ、西山』
そう呟いた白木原の目は過去を懐かしむ郷愁の想いに染められていた。
彼は怠惰で、無気力で、どこか飄々とした男で、
そして、誰よりも遠い過去の少年に心奪われていた。
そんな彼は、それから10年程経った現在も、変わらずそのコンビニで立ち読みをしている。
日常と言う名のひっそりとした花道を、彼は今日も一人で歩いているのだ。