エピローグ:野伏間 太一

 

 

 

 

 

【エピローグ・野伏間 太一】

 

 

 

 

 

10年程前のある秋の日。

城嶋学園に一つの“終わり”がやってきた。

 

 

『……………』

 

 

 

積み上げられたダンボール。

脇に寄せられた使いこまれたティーカップやマグカップ。

そして、名前の抜き取られた机上のネームプレート。

 

 

毎日、毎日、毎日。

1年間、飽きることなく時を過ごしてきたソコは、彼、野伏間 太一にとって、どこか家のような安心感を抱く場所であった。

 

 

しかし、今彼の目の前に広がるその部屋はどこか妙に余所余所しかった。

 

もう、その場所に当たり前のように座り、当たり前のように仲間達と言葉を交わし、当たり前のように笑いあえる日には戻れない。

 

もう、ここは“彼らの”生徒会室ではないのだ。

1週間前の生徒会退任新式兼、引き継ぎ式をもって野伏間は正式に生徒会役員ではなくなった。

 

この部屋はもう、次の世代の、新しい生徒会役員達の部屋。

 

野伏間は、どこかポッカリと穴の空いたような気持ちで教室を見渡す。

 

この1年間。

それこそ怒涛のように過ぎていった生徒会としての1年は、今になって思い返してみればほんの一瞬のように感じる。

そして、この学園で過ごしてきた10年以上の月日も、また同様だ。

 

 

『終っちゃったね、生徒会』

 

『……なに変な感慨に浸ってやがる、野伏間』

 

 

野伏間。

そう、自分に向かって声をかけてくる相手、西山 秀は何も無くなった生徒会長の席に座り力なく突っ伏していた。

その余りの意気消沈ぶりに、同じく心にぽっかりと穴の空いている筈の野伏間でさえ、思わず口元に自然と笑みを浮かべてしまいそうになった。

 

 

『カイチョー……じゃなかった、西山。元気出しなって』

 

『別に、俺はお前と違って落ち込んでるわけじゃねーっての』

 

 

野伏間の、そのどこか笑いを含んだ会長呼びの訂正にムッとしたのか、西山は突っ伏していた頭をゆったりと起こした。

 

 

『生徒会は終わったわけじゃねぇ。また始まったんだ。ただ、それだけだっつーの』

 

 

 

そう言って薄く笑みを浮かべる西山に、野伏間は小さく息を呑んだ。

その笑みが、何故か野伏間の心を揺さぶり、そして締め付けた。

 

始まった、と西山は言った。

それならば、始まった新しい生徒会の後に残った自分はこれからどうすればいいのだろう。

 

野伏間は空っぽになった生徒会室で途方もない不安に襲われた。

生徒会の終わりは序の口にすぎない。

もうあと数カ月もすれば、こんどはこの学園から卒業をし、去らねばならないのだ。

 

10年以上も巣として、鳥籠として、世界として。

 

そう過ごしてきた全てに別れを告げねばならない日がやってくる。

終わりを受け止め“始まり”に目を向けねばならない。

そうすれば、今こうして当たり前のように目の前に居る彼とも、別れなければならなくなるのだ。

 

 

怖い。

寂しい。

離れたくない。

 

 

『ねぇ……西山……俺、俺さ……』

 

 

野伏間は詰まる息を必死に隠しながら震える唇をかみしめた。

そんな野伏間に、西山は椅子の背もたれに体を預けると天井を仰ぎ、ゆっくりと目を閉じる。

 

そんな西山の一連の動作に野伏間が目を奪われていると、西山は……

 

 

それまでとは全く違った……どこか無邪気で幼い笑みを浮かべた。

 

 

 

『なぁ、野伏間君、今度はさ……何しようか?』

 

『え?』

 

『とりあえずさ、もうすぐ文化祭じゃん?今年は何しよかなーって俺スゲェ楽しみなんだー!』

 

『……に、西山?』

 

『でさ、その後は卒業式まであんまし学校ないしさ……あ!俺大学は推薦狙いだから1月2月はめちゃくちゃ遊ぶ予定です!だから、』

 

『…………』

 

『だからさ、野伏間』

 

 

そう言ってどこか照れたように、はにかむように野伏間の方を見つめてくる西山に、野伏間はポカリと空いた胸の中の穴が、少しずつ塞がっていくような気がした。

 

 

 

『また、一緒に“何か”しよう?』

 

『っ!』

 

 

そう、どこか当たり前のようにこれからの二人の未来に向けられた笑顔に、野伏間は目を見開いた。

彼のいつもと違う笑顔が。

だけど、いつもの彼らしいその言葉が。

 

 

『……うん』

 

 

野伏間の始まりへの恐怖を取り払っていた。

 

 

そう笑顔で頷いた野伏間に、西山はふっと目を閉じると小さく息を吸い込んだ。

そして、次の瞬間にはいつもの、彼お得意の不敵な笑みが口元に湛えられていた。

 

 

『よし!そうと決まれば俺の部屋集合!今後について作戦会議だ!』

 

『は?』

 

 

そう言うや否や、西山は立ちつくしていた野伏間の元へと駆け寄ると、その手をガシリと掴んで駆けだした。

しっかりと握りしめられた己の手に、野伏間はとっさに力を込めると、いつものように彼の背中を見つめ共に駆けだした。

 

きっと嬉しそうに湛えられているであろう彼の笑顔は今、野伏間からは見えない。

 

 

(ねぇ、西山)

 

 

いつか彼は野伏間が笑った時、それが自分の幸せだと言った。

俺の幸せは笑顔にあるのだと。

 

そう、泣きながら、笑いながら言った。

 

 

それならば自分の幸せはどこにあるのだろう。

野伏間は西山の背中を追いかけて走りながら考える。

しかし、すぐに思考は解答の核となるべき感情に出会った。

 

 

ホワホワと心に温かい何かが湧いてでてくる、この感情を幸せだと呼んでいいのならば答えはすぐに出せる。

 

ただ、野伏間は繋ぎとめられた二つの手を見つめ、

 

 

思った。

 

 

(これからも、この手と共にある未来こそが)

 

 

 

「俺の、幸せだ」

 

 

 

 

 

そう呟いた10年前の彼は恐怖を感じる暇も、寂しさを覚える瞬間もないまま彼と共にあった学園生活に幕を下ろした。

 

卒業という名の始まりを、彼は二人で歩み始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

10年程前のある秋の日。

野伏間 太一は一つの“終わり”を受け入れた。

 

しかし、“終わり”から始まった手のぬくもりと幸せは……

 

 

10年の月日を経た今でも変わることなく、その隣に在り続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

【おわり】