「俺はここに宣言する」というお話

「俺はここに宣言する」というお話

 

「俺はここに宣言する」という小説は私が大学3年生の頃から社会人1年目にかけての、約2年の間に書いたお話です。

私の文章力のなさと、終盤やたらと更新が止まってしまった事も相成り、矛盾点やら意味不明な点やらわんさか出てきてしまった、見切り発車小説の集大成です。

 

全部読んでもピンとこなかったり、納得いかなかった方もたくさんいらっしゃると思います。

本来なら、小説に解説をつけるというのは自分の爆笑したギャグ漫画の面白さを他人に口頭で伝えるくらい虚しくも切ない行為なのですが、なんかもうモヤモヤして終わってしまった方のモヤモヤが多少なりとも晴れればと思い、あとがきと言う名の虚しい解説を残します。

 

なんとなくでも小説を読んでピンときた方は、読まずにその微かなピンを大切にここは読まずにいてくれるとありがたいです。

 

最初に申し上げますと、この話は基礎となる3つの対が存在します。

一つ目は物語の中心である、新谷と西山。

二つ目は物語の中心に寄りそう、白木原と野伏間。

三つ目は物語の中心に立ちはだかる、みどりちゃんと秋田壮介。

 

なので、今回は主である新谷と西山について書いておこうと思います。

たぶんここの関係性が最もあやふやで伝わりずらかった部分だと思うので。

それ以下の2つの対はまぁ、書かなくてもなんとなくいいかなという気がするので、とりあえず主の二人について解説的なものを書きます。

 

新谷と西山。

彼らはずっと同じ一本の道を歩いている存在です。

一本の道の途中から新谷が突然、西山という存在になるのです。

これは【転生】がテーマの話なので、おわかりかと思いますが、新谷=西山であり、西山の前世は新谷、新谷の来世が西山となります。

(スラムダンクもコーヒー牛乳も二人とも大好きです)

新谷は死んでしまいましたが、その意識は西山秀という人間の根幹を形作る基礎になります。ただし、根本が同じでも育ってきた彼らを取り巻く環境は全く違う為、二人の性格は全く違います。環境が人を作り、変えるのです。

シングルマザーの貧乏家庭(作中では一切出てこない設定)で育った新谷君と、金持ちの名家の長男坊として育った西山君とでは育った世界が異なります。

しかし、やはり根本は同じ人間です。

人を楽しませたい、笑顔にしたい、面白い事がしたい。

その欲求は二つの存在を繋げる太い柱です。

 

結構小説の中でも頻繁に出てきますが、新谷はコンプレックスの塊です。

父親が居ないこと、家が貧乏なこと、頭が悪いこと、運動神経が鈍いこと、身長が低いこと、顔がかっこよくないこと。

と、挙げればキリがないくらい新谷のコンプレックスは尽きません。

新谷は本気で自分の事を役立たずの能無しであると心の底から思っています。

なんでもかんでも他人に手伝ってもらい、助けてもらわなければ何一つ全うできないのです。

故に、いつも彼の中には劣等感があり、そして理想の自分への憧れがあります。

こうだったらいいのに、ああだったらもっと上手くいくだろうに。

そういうモヤモヤがいつも新谷の中にはあり、笑顔の下でいつも他人をうらやましがっている。

そんな新谷の理想の姿が、来世の西山秀そのものです。

そして、何故か新谷は死んで、過去の自分の思っていた理想そのものになります、

 

けれど、西山は西山で悩みます。

西山には新谷にできなかった様々な事ができる能力と権力がありました。

しかし、力があるが故に西山はいつも前に立たされ、一人でなんとかしないといけない立場にある。

前に立って、全てを一人で抱え込み、けれど力ある発言者としての責任を全うしようと全力で走っているのが西山です。それがちょうどプロロ・エピローグの西山のモノローグです。

全力で走りすぎて、目的を見失ってしまったのです。

生きてるとけっこうよくある事だと思います。

がむしゃらになんでもかんでも頑張っていると、ふとした瞬間に、ほんの些細なきっかけで糸が切れたように全てが崩れおちてしまう。

出来る力がある人間が全部一人でやらなければならない。

なぜなら自分の言い出した事だからだ。

そう思って走ってきた西山は、生徒会の仲間達のちょっとした言葉で全ての行動の意味を見いだせなくなったのです。

真っ暗な中でそうすればいいのかわからず立ち止まってしまった西山は思います。

誰かどうにかしてくれ、と。

誰か自分の手を引いて導いて欲しい、と。

新谷の理想の姿であった西山はこうして前へ進めなくなった時、西山の中でひっそり眠っていた新谷の側面が表面化してきます。

これはある種の逃避行動です。

他人になんとかしてもらいたいという逃避心と、他人に仕事を放り投げる事なんてできないという責任感の狭間で西山は自分自身の中にある他人(新谷)に助けを求めます(いみわからなくなってきた)

 

極端にいえば、西山は故意的に自分の中の新谷と言う人間性を表面化させる、つまりは新谷を演じていたということになるようなならないような。二重人格というわけではないのだろうけど。

新谷は西山とは別の人間であるが、西山自身でもある。

自分自身の心を守るため現れたのが新谷という人間性の部分だったと……

 

なんか書いててわけわからなくなってきましたね。

解説にならない感じがしてきた。

 

つまりは、とりあえず二人は一人だということです。

 

物語の解釈なって読んだ一人一人に任せておけばいいものを、こうして解説なっておこがましいものを書くから余計ごちゃごちゃしてくる。

まぁ、なんとなくでも二人の存在をもやっとしながらでも感じて頂ければと思います。