一郎と俺は、体の大きさは変わっても、“同い年”だとずっと思っていた。
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キャンプに来てみたものの
(あまりいつもと変わらなそうだ)
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その日、俺達はいつもの学校からも、家からも遠く離れた場所に来ていた。
「おーし、二組―!二列に並べー!」
一郎が俺達の担任になって二年目の夏。
つまり、俺達五年二組が、六年二組になったこの夏。
「けーたろ!あそこ!あそこの川に魚がいる!あっ!カニも居る!ねー!ねー!ねー!!けーたろってば!けーた」
「イチロー!お前いい加減にしろっ!?並べっつってんだろうがっ!聞こえねぇのかっ!」
「……はぁ」
小学校で過ごす最後の夏。
俺達は自然体験学習という名のキャンプに来ていた。
転生してみたものの 六年生編
小学校からバスで約二時間。
見渡す限り、周囲は山山山。山に囲まれた大自然。
真須高原 青少年自然の家。
俺達はバスから降りた瞬間、普段は絶対に見る事の叶わぬ大自然を前に、思わず息を呑んだ。まぁ、息を呑んだだけならまだ良い。
俺の幼馴染でもあり、元気言う名の高次元エネルギーをその身に内包したイチローは、弾けるかの如く、まるで鉄砲玉か何かのように飛び出して行った。
そこからの、冒頭の一郎の怒鳴り声と言うわけだ。
「上木さん、ちょっと行ってくるから。クラスの人数を数えててくれるかな」
「ん」
俺は学年全員の視線を集め始めた、一郎とイチローの姿に肩で溜息を吐くと大騒ぎをする二人の元へと向かった。こんな役割も、二年目ともなれば、さすがに慣れたというモノだ。
「イチロー。川は後から一緒に見よ。ほら、今は並ぶよ。そうじゃなきゃ、遊ぶ時間もどんどん無くなる。早く一緒にウォークラリーしたくない?せっかく同じ班なのにさ」
「あ、あ、あ、あ!したい!したいしたいしたい!早く並ぼ!はやくーーっ!」
もう、自分で自分の興奮をコントロールできないのだろう。
イチローは目の奥をギラギラと輝かせながら、川べりを覗き込んでいた体を翻すと、勢いよくクラスの列へと戻って行った。
子供ってすげぇ。
俺は既に、冷房の効いたバスに戻りたくてたまらない。山の中だからなのか、少しはマシだけど。それでも、暑いものは暑い。
「ったく、先が思いやられるぜ」
「昨日の夜はもっとヤバかったんだからな。全然、寝かせて貰えなかった……おかげで、ちょっと眠い。バスでもうるさいし……」
「は?寝かせて貰えなかったって、ガキが一体、ナニしてんだよ?あ?詳しく言え」
急に眉を顰め、怪訝そうな表情で此方を見てくる一郎に、俺は「今日の準備だよ」と、欠伸をかみ殺しながら言った。
何だよ、急に昔みたいな口調になって。完全にチンピラじゃないか。
「何回も何回も……もう準備なんか出来てるのに、わざわざ俺ん家に来て、バックの中から荷物を出したり入れたり……もう、イチローのヤツずっと興奮しっぱなしで。こっちは疲れたよ」
「……興奮して。バックで、出し入れだと」
「はぁ?バックに、だよ」
「……おう」
何やら「もう一回最初から!!」と、バックから荷物を出しては確認と称し、はしゃぎ倒すイチローに、俺は完全に引きずられて眠気を逸してしまった。
おかげで、眠ったのは夜中の二時だ。
まぁ、もう今更眠いだ何だと言っても仕方がない。今日はきっとイチローの元気は尽きる事はないだろうし、必死に手綱を握るより他ないだろう。振り落とされないようにしないと。
「一郎?」
「クソ、意味わかんねぇ。俺は中坊か……」
「確かに、お前はあの頃からあんま変わってないよな。つーか。ほら、一郎。早く戻」
「あのー、大丈夫ですか?」
「っ!」
そう、突然背後からかけられた声に、俺はとっさに一郎の後ろへと隠れた。先程、俺は明らかに一郎の事を名前で呼んでしまっていた。
あぁ、もう。誰も居ないと思っていたので油断していた。
「あ、あぁ。大丈夫です。すみません。ご迷惑をおかけして」
「いいえ。キミもカニが珍しい?」
「あ、えっと……はい」
そう言って俺に目線を合わせながら優し気な表情を浮かべてきた相手は、そりゃあもう整った顔をしていた。
「可愛いよね?あれはサワガニって言って、綺麗な川にしか住めないんだ。ちょうど今の時期は産卵の時期だから、探したら赤ちゃんも居ると思うよ」
「……そう、なんだ」
ブルーグレーの瞳と、短めに切りそろえられた明るい髪の毛。シャツからスルリと伸びる腕は、その見た目に反して、ガッシリとしていた。
“紳士”という言葉を体現したようなイケメンが、そこには居た。
「明日まで、たくさん遊んで行ってね」
「……はい」
胸に「少年自然の家」とプリントされたTシャツを着たその男の人は、流れるような動作で俺の頭を一撫ですると、最後にもう一度ニコリと俺に向かって微笑んだ。首からは此処のネームプレートだろう。「童子」と書かれた名札がユラリと俺の前で揺れた。
「ふふ。かわいいね」
「……ぅぁ」
その微笑みに、俺はドキリというか、ギクリとした感覚が、背中に走るのを感じる。余り綺麗な顔で微笑まれると、慣れないせいか落ち着かない。
「さて、先生。他の皆も待っている事ですし、そろそろ説明を始めてもよろしいでしょうか」
「……よろしくお願いします」
「……」
心なしか、一郎の声が固い。
固いというか、明らかに不機嫌そうだ。まぁ、理由は分からなくもない。イチローのせいで、既に相当時間も押してしまっている。俺達もさっさと列に戻らねば。
そう、俺が先程の綺麗な男の人の背を追うように歩き出すと、突然俺の頭に凄まじい勢いで何かが落ちて来た。
「っえ、あ?は?いち……先生?なっ、なに?急に」
グシャグシャと乱暴に髪の毛をかき混ぜられる感覚に、俺は一体何事かと一郎の方を振り返った。思わず「一郎」と言いそうになるのを堪えたものの、その間も、一郎の手は止まらない。
「……俺の方が格好良いだろうが」
「はぁ?」
「あと……一郎って呼べ」
一郎は言いたい事だけ言うと、そのまま列の方へと一人で歩いて行ってしまった。
「いや、ダメだろ」
さすがに、こんな人目のある場所で、いくら元幼馴染とはいえ教師を「一郎」と、呼び捨てになど出来よう筈もない。
さっきだって、もしかしたらあの男の人に聞かれていたかもしれないのに。
「気を付けないと」
俺は、最近慣れ切ったせいで、なあなあになりつつあった一郎との距離感を、改めて「教師と生徒」であると戒める。
いけない、いけない。しっかりしなければ。
以前、一郎は前の学校を飛ばされた理由を、こう話していた。
——-あぁ、何で前の学校を飛ばされたかって?ま、俺が生徒と色々問題を起こしたからだよ。俺が未熟だったせいだな。
そう、そうなのだ。
立場が立場なだけに、俺が変に一郎と絡むと、何がどう問題になるか分からない。
「俺が間違うと、一郎に迷惑がかかるんだ」
俺はわざと自分に聞こえるように口にしてみせる。
俺と一郎は幼馴染でもあるが、教師と生徒でもあるのだ。むしろ、そっちの時間の方が、一日の中では長い。
しっかりしないと。俺のせいで“俺達の先生”が出来なくなるかもしれない。出来れば、一郎には最後まで俺達の“先生”で居て欲しい。
俺はズンズンと俺を置いて歩いていく一郎の背中を見ながら、ピンと背筋を伸ばした。