だいたい、一郎は不用心過ぎるんだ。
俺が幼馴染の“敬太郎”だと分かった途端、昔みたいに普通に二人で遊ぼうとしてくる。挙句に、夏休みになったら一緒に旅行に行こうなんて言ってくるんだから困ったものだ。
まったく何を言ってるんだ!
もう、あの頃とは違うっていうのに!生徒と教師が二人で遊んだりしてたら、一郎が困るんだからな!
その辺を、一郎はちっとも分かってない!
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気を付けてはいるものの
(俺だって我慢してるんだ!)
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「まずは、これから皆さんの荷物をそれぞれのコテージに運ぼうと思います。二組の女の子は柏原さんに、男の子は、私に付いて来てください。」
無事に青少年自然の家の説明を聞き終えた俺達は、荷物を脇にその場に立ち上がった。どうやら、あの先程の格好良い男の人は、俺達二組の担当になったらしい。
「いいなぁ。私達も童子さんに連れて行って欲しいなぁ」
「ねー?男子にはもったいないよねぇ?」
一体、何がどうもったいないんだ。
そう、俺達男子の列を見ながら、コソコソと不満を漏らす女の子達に、俺はなんだか複雑な気分だった。
「ねー!あとで一緒に写真撮ってくださいって言おう!」
「だね!」
あぁ、もう十二歳ともなると、こんな事を言う年齢なのか。複雑過ぎて、最早感慨深すぎる。
まぁ、童子さん。確かに格好良いもんなぁ。
しかし、そんな二組の女子よりも輪をかけてガッカリしているのが、一組の女子である。
「ねぇ、いっつも二組ばっかり格好良い人ばっかでズルくない?」
「一郎先生もソッチだしさぁ」
「ウチとレベル違い過ぎじゃない?」
そう、一組の女子たちが不満そうに見つめる先には、並び立つ童子さんと一郎の姿があった。二人して今後の予定でも確認し合っているのか、真剣な様子で一枚のプリントを眺めて何かを話している。
どことなく、一郎の表情が不機嫌そうなのが気になる所だが。
——-俺の方が格好良いだろうが。
ふと、つい先程の一郎の声が脳裏を過る。
「……んー、甲乙つけがたいな」
「なにが?」
「へ?」
「敬太郎くん……あの二人の、どっちが格好良いか……考えてた?」
そう、小動物のような面持ちで上目遣いをしながら尋ねてくるのは、同じ学級委員長の上木さんだ。六年生になった現在も、俺と一緒に学級委員を引き受けてくれている。
「ねぇ、敬太郎君はどっちが格好良いと思う?」
「え?いや。そもそもそんな事、考えてないし。女子じゃあるまいしさ」
「ふーん」
意味深な視線が俺の目を突く。小動物のような震える雰囲気を纏っていたかつての彼女は、六年生になって少しずつ、その姿を変えていった。
「そもそも、あの二人……その、こう種類が違うし、一概にどっちが格好良いとか、決められないというか」
俺は一体何を言っているんだ。
ペラペラと口が勝手に動くのを止められない。こんなのまるで、何かを誤魔化しているみたいじゃないか。
「公平に決める必要ないんだよ。敬太郎君が、どっちが良いかって事だよ」
「いや、だから……」
この、何でもお見通しだよ、という目。苦手だ。
——-敬太郎君が、さっき怒った時、先生を、一郎って名前で読んだ秘密も、もう少しでわかるも、しれないから。敬太郎君、わかったら言うから、答え合わせして、ね。
あの時の上木さんのニッコリとした怪しく光る目を、俺は忘れられない。そして、未だにあの時の“答え合わせ”を受けていない俺からすれば、彼女の腹の底は、本当に底知れずに恐ろしいモノがある。
「ねぇ、敬太郎君」
「な、なに」
「このキャンプの終わり、どっちが格好良いと思ったか。私にだけコッソリ教えてね」
「……う、ぁ」
タラリと背中に一筋の汗が流れ落ちた。あぁ、今日は暑い。
「ふふふー、いいでしょ!あの二人の並び見て!一郎先生と童子さん!二組は最高の布陣!一組カワイソー!」
「瞳!あんた、ウザ過ぎ!」
「すーちゃん、あんまり大声で言うと。イチロー君に聞こえるよ」
そう、次の瞬間には、何事もなかったかのように上木さんは、すぐ傍の女子の群れへと入り込んでいく。その横顔は、いつもの小動物の上木さんだ。すぐ傍に居るせいか「き、聞こえるように言ってんのよ」と少しだけ顔を赤くして言う杉さんの声が、風に乗って聞こえてくる。
あぁ、十二歳って……こんなに急に大人になるのか。
感慨深い。まったく、変に斜に構えていると、いつの間にかあっと言う間に置いていかれてしまいそうだ。
そんなの嫌だ。みんな、俺を置いて大人になるなよ。
一郎みたいに。
「けーたろーーーー!なーーー!コテージすげーーーよーーーー!」
「イチロー……」
一瞬、クラリとしかけた脳内を一気に現実に引き戻してくれたのは、イチローの完全に昔と変わらない馬鹿デカい大声だった。
「早くいこーーーー!」
両腕を振り回しながら興奮気味に此方に駆け寄ってくるイチロー。昔と何も変わらない。
あぁ、あぁ、あぁ。
「イチローっ!」
「けーたろ!」
俺は十二歳になっても全く変わらないイチローの姿に、心底安心すると、俺の周囲でバタバタと駆け回る子犬に向かって勢いよく抱き着いた。
「イチロー……お前が居てよ゛がっだ!」
「あはははっ!何々!?けーたろ!オレが居て良かった!?やったーー!じゃあ今日一緒に寝よーー!」
「う゛んっ!」
俺は腕の中でバタバタと暴れ散らかすイチローを抱き締めながら、周囲から向けられる視線を完全に無視してやった。もちろん、背中からは杉さんの嫉妬に燃える激しい視線を烈火の如く感じたが、ここは許して欲しい。
俺は、キミの隣の魔王が怖いんだよ。
そして、キミの声は、この興奮に熱冷めやらぬイチローには、きっとこの旅行中には届かないだろう。
それは俺のせいじゃないからね!?
「やっぱ寝るのナシ!朝まで起きてあそぼーーー!」
「いや、夜は寝かせて」
「じゃー、寝れなくしてやるーー!こちょこちょする!」
「あははっ!やめろってっ!あははっ!」
そう、イチローとはしゃぎまわる俺の視界の片隅に映ったのは、童子さんと並び立ちながら、此方を相変わらず不機嫌そうに見てくる一郎の姿だった。あぁ、そろそろはしゃぐのを止めなければ、一郎の雷が落ちそうだ。
と、俺がイチローを宥めようとした時だった。
一郎の隣に立っていた童子さんが、此方を見て小さく口を動かすのが見えた。
何故だろう。俺はその微かな口の動きにも関わらず、ハッキリと読み取る事が出来てしまった。
——かわい。
その、少しだけ熱を帯びたような瞳の先にあるのは、俺の腕の中で、そりゃあもう無邪気な笑顔を振りまくイチローの姿があった。
「た、確かに……」
「んー?なにー、けーたろ!」
俺は抱き締めていたイチローの昔から変わらぬ無邪気さと可愛さに、思わず頬ずりをして強く抱きしめた。
あぁ、かわいい!まだまだこのままでいてくれよ!イチロー!
その直後、一郎からの雷は、もちろん俺達二人に余すところなく落とされた。
クソ!一郎のヤツ、本気で叩きやがった!