子供だと思っていた皆は、いつの間にかどんどん大きくなっていく。
そんな中で、一郎はもう大人な筈なのに、子供の頃みたいな目で、俺を見ていた。
どーした?一郎。
そう、昔みたいに聞いてやれたら、どれ程良かっただろう。
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一郎の様子がおかしいとは思ったものの
(俺の目の前に居るのは、童子さんだった)
————
「さて、四班から六班のみなさん。私の周りに集まってください」
「「「「はーい!」」」」
そう言って屋外にある炊事場に俺達を集めたのは、例の女子に大人気の指導員である、童子さんだった。いや、女子だけではない。
出会ったばかりの格好良い大人相手に、男子も女子もすっかり夢中である。
「やった、童子さんだっ!」
「私達ラッキーだね!」
「どーじさん、カッケー!」
一組からすれば一郎も格好良い先生である事に変わりはないのだろうが、俺達二組にとっては、まぁ、“いつもの一郎先生”でしかない。そのせいか、四班から六班のメンバーは、のきなみテンションが高かった。
「けーたろ、ハラ減ったぁ」
「今から作るから。我慢して」
ちなみに、俺とイチローは四班である。
「イチロー、あんたちょっと静かにしなさいよ。童子さんの声が聞こえないでしょ!」
「はぁ?黙れよ、ひとみ。オメェに言ってねーし。いちいちマジウゼェ」
「っ!」
「けーたろ、腹減ったぁ」
イチローの冷たい返しに、杉さんの表情が一気に歪む。しかし、杉さんの方など見てもいないイチローはそれに気付く事はなかった。
あぁ、最近イチローの口が悪くていけない。そういう時期なのかもしれないが、女の子相手にあんまりだ。
「イチロー。口が悪い。あと、静かに。カレー出来ないよ」
「やだー」
「じゃあ、静かに。……ごめんね、杉さん」
「……敬太郎君がそうやって保護者ぶる意味わかんないし。もう知らない」
「すーちゃん。イチロー君の反応が怖かったんだよね」
「黙って!別に怖くないし!」
「……はぁ」
まぁ、杉さんや上木さんも四班に含まれるのは言うまでもない。いや、言うまでもないって一体どういう事だよ、と俺自身思う。
「ん?なぁに、敬太郎君」
「……いや、なんでも」
上木さんが、首を傾げて此方を見てくる。ゾワリとする背筋。
こんなのただの偶然だ。だって、この班はくじで決めたし。
しかし、上木さんが俺とイチローと同じ班なんて、何やら上木さんからの凄まじい裏のナニかを感じてしまうのは、俺の考えすぎだろうか。
「……でも、良かったね。敬太郎君」
先程まで杉さんに色々とちょっかいをかけていた上木さんが、突然俺の耳元にその小さな口を寄せてきた。こわい。
「……なにが?」
「普段関わっていない童子さんが担当だと、公平にジャッジできるね?」
「……ねぇ、なにが????」
薄く笑みを浮かべながらコッソリとそんな事を耳打ちしてくる上木さんに、俺はまたしても背筋が凍るような気分だった。しかし、そんな俺の凍った背筋を一気に溶かして来たのは、やはりイチローだった。
「あーーもう!おーなーかーすーいーたー!けーたろ!けーたろーー!」
育ち盛り、元気盛り。
最早、イチローの腹は完全に空なのだろう。イチローは俺の体に抱き着くと、耳元でこれでもかと叫んできた。
うるさっ!いや、だから俺に叫ばれても。
「だーかーら!今から作るから!静かにしてろ!」
「ガマンできないっ!」
「ガマンしろっ!」
「ムーーリーー!」
背筋は凍り付いていたが、正直、今は夏なのでそうベタベタとくっつかないで欲しい。イチローのくっつき癖は、小学校最終学年になった今でも健在だ。
「あついからっ、はーなーれろー!」
「あついけど、いーやーだー!」
「ふふっ、四班は本当に元気ですね」
「っうあ」
不覚。
余りの騒がしさに、いつの間にか俺達のすぐ傍には、それまでカレーの作り方や、飯盒の使い方を説明していた筈の童子さんが立っていた。
「二人共、お腹が空いたのはわかるけど、ちゃんと聞いてないと、失敗したら夕飯抜きですよ?」
「っやだやだ!カレー抜きはやだ!」
「じゃあ頑張って、今から一緒にカレーを作りましょうか。イチロー君、敬太郎君?」
「わかった!俺、ちゃんとどーじさんの言う事聞く!」
「それは良かった」
童子さんはイチローの素直な反応に、浮かべていた笑みを更に濃くすると、サラリとイチローの頭をなでた。その顔は、あの時微かに口にしたように「かわいい」という想いが深く刻まれている。
「素直でよろしい」
どうやら、童子さんはイチローがお気に入りのようだ。そうだろう。確かに、イチローは擦れてないし、子供らしいし……可愛いヤツだ。
実際、顔の作りも良く出来ていると思う。なにせ、あの整った顔の両親の良い所をバッチリと受け継いる。だから、そりゃあもう笑えば最高に愛嬌のある顔をしている。
だから、身内の欲目などでは決してないのだ!
「敬太郎君は?」
「はい?」
「敬太郎君は、私の言う事がちゃんと聞けますか?」
すると、それまでイチローの方を見ていた童子さんが、今度はクルリと体ごと俺の方へと向き直ってきた。その目は、イチローを見ていた名残だろうか。うっとりとした表情を浮かべている。
その表情に、俺は何故かまた、上木さんの時に感じたモノとはまた別の種類の、ゾワリとした感覚が走るのを感じた。
「私の言う事、聞いてくれますか?」
繰り返される質問。
それに対し、童子さんの視線のせいか、隣で未だにくっついてくるイチローのせいなのか。俺の喉は、熱さでカラカラになっていた。上手く、声が出ない。
「あ、えっと……」
「すみませんねーー!うちのクラスの問題児二人が!」
すると、いつの間にか俺とイチローの背後から、その声に怒気を孕んだ一郎の声が俺の鼓膜を震わせた。ヤバ、この声は結構怒っている。
そう思った次の瞬間には、イチローと俺の頭には、凄まじい衝撃が走っていた。
「ったぁぁぁ!」
「いってぇぇ!」
「お前ら!いい加減にしろ!こんな所まで来て、ふざけてると怪我するからな!?」
怒声にドつき。
一郎の真骨頂ともいうべきその二つが、見事、キャンプ場でも遺憾なく発揮された瞬間だった。
くそっ!一郎のヤツ!また本気で殴りやがった!
「あの、先生?こちらは大丈夫ですので……」
「でも、コイツらはウチのクラスでもダントツの問題児でして……そうだ!俺がこの二人だけ連れて行きましょうか!これ以上ご迷惑をおかけしてもなんですし!」
「いえいえ!そんな迷惑だなんて……これが私の仕事ですから!ほら、先生!一班から三班の子達が困ってますよ。こちらは私に任せてくださって大丈夫ですから」
「……でも」
何故か異様に食い下がる一郎の焦りを帯びた声に、俺は叩かれた頭をさすりながら、チラと顔を上げてみた。
「……」
「……ぁ」
思わず声が漏れる。
そこには、先程まで怒声を上げていた人物とは思えない程、頼りなげな目で俺の方を見つめる幼馴染の姿があった。
「どうした?いち……」
—–どうした?一郎。
そう、俺は思わず、声に出しかけていた。それを、唇を噛み締め、寸での所で口を閉ざした。
あぁ、いけない。まったく、完全に今の自分の立場を忘れるところだった。
俺は篠 原敬太郎。一郎とは、外面的には今や幼馴染でも友人でもない。
教師と生徒だ。
生徒は、担任の先生を下の名前で呼び捨てになど絶対にしない。
——–おーい!一郎!あそこ魚が居る!
——–よーし!捕まえて、俺達のカレーだけ、肉と魚のカレーにしようぜ!
しないのだ。
「……俺、童子さんの言う事、ちゃんと聞きます」
「ふふ。良かった」
思わず、俺の口から先程言えなかった言葉をとっさに吐き出していた。でなければ、また俺は勘違いをして「一郎」なんて呼んでしまいそうだったのだ。
俺が勘違いをして行動を誤ると、迷惑をこうむるのは一郎なのだ。
「ほら、二人とも約束してくれましたよ。だから、大丈夫です」
「……そう、ですか」
そう、一郎の声がひと際落ち込んだ時だ。童子さんの手が俺の頭に触れた。しかし、それは撫でるというより、指で髪の毛を絡ませて楽しむような触り方だった。
なんだか、ゾワゾワする。
「……敬太郎」
一郎が俺の名前を呼ぶ。あの頃みたいに。いつもみたいに。
「っ」
そして、その時の一郎の表情を、俺は忘れないだろう。
一郎のその目は、大人の癖に、十二歳の俺達よりも、よっぽど子供のような目をしていた。子供が目の前で大事なモノを盗られたような、そんな目を。
「さて、カレー作りを続けましょう。みなさん、作業に戻ってー!」
童子さんの声が、遠くに聞こえた気がした。