そして、兄貴は俺の手を取った(1)

 

 この世で、俺の事を弟だと思ってくれている、唯一の存在へ。

 

 

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そして、兄貴は俺の手を取った。
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 “家族”というモノの定義について、どのように考えればよいのだろうか。

 俺はふとした瞬間、よくそのような事を考える。
 それは、昼下がりの晴れた日差しの下行われるクソ程も面白くない国語の授業の合間であったり、下校中どこのものとも知れぬ家から香ってくる夕飯の香りを嗅いだ時であったり。

 

 そして、家に帰って“兄”と呼ばれる存在から夕飯のおかずを一つ盗まれた時であったり。

 

 
 そうした日常生活における様々な場面で、俺は“家族”についての問いの答えを探す。

 一番単純かつ明快な答えが「血のつながり」というものだろう。
「血は水よりも濃い」ということわざを、国語の時間に聞いた事がある。
意味は「血の繋がった血縁者の絆は、どんなに深い他人との関係よりも深く強いものである」という事らしい。

 

 人間は血のつながりによって出来たコミュニティを最小の単位として社会生活を営む。
血の繋がらぬ他人同士が出合い、結婚し、そしてその間に出来た子供を愛し、育てる。

 それが一般的な“家族”というものだろう。

 しかし、面白い事に「血は水よりも濃い」と言いながら、家族を形成する起点となる“夫婦”というものは真っ赤な他人である。

 

 “家族”とは何だろう。

 

 14歳、中学2年生の俺は考える。
 答えの出ぬ問いを、俺は俺の生活の随所で捜し求める。

 さて、どうして14歳にしかならぬ俺がそのような事を考えるのか。
 その疑問の答えのを言う前に、まずは俺の家族を紹介しよう。

 俺の家はごく一般的な家族構成だ。
 父と母が一人ずつ。
 そして、中学3年生の兄貴が一人。
 その下に中学2年の俺ときて、計4人家族だ。

 これぞまさしく日本の家族構成で最もポピュラーな“核家族”というものだろう。
そう、現代社会の時間に習った。

 そんな、ごく一般的な俺の家族だが、一つだけ他とは違ったところがある。

 俺の兄貴は素行がとても悪く、そして更に性格もすこぶる悪かった。
気に入らないことがあれば何でも暴力で解決。質の悪い事に、腕も立つもんだから誰もヤツを止められない。

 

 とりあえず、俺の兄貴はクソだ。
 とんだクソ野郎だ。

 

 しかし、そんな兄貴の内面のクソ具合と反比例するように、兄貴の顔は整っていた。

 スッと鼻筋の通った顔立ちに、切れ長の目、そして薄く色づいた唇。
 その体は中学3年にしては立派なもので、175センチの高身長。
 そして、現在も絶賛成長期である。

 まぁ、父も母も綺麗な顔立ちをしていることから、遺伝的に見ても、その容姿的ハイスペックは当たり前の現象ではあったのだが。

 ちなみに俺の家庭がその他の一般家庭と一つだけ異なる点はそこではない。
家族の中にとんでもないクソ野郎が混じる事は、そんなに珍しい事ではないだろう。

うちの家庭の抱える他の家庭には無い問題。

 

 それはこの俺だ。

 

 

 

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