5:ずっと一緒の顔

———

——

 

 

「そろそろ、一郎が来る頃か」

 

 

 俺は時計を見て呟くと、鞄から、いつものように過去問のプリントを取り出した。

 

「……一郎のヤツ、最近どうしたんだろ」

 

 最近、一郎が変だ。めちゃくちゃ、変だ。

俺の家に来ても、妙によそよそしいし。でも、だからと言って、昔みたいに距離を取ろうともして来ない。

 

 あと、いつも最近はいつも俺の部屋では暑そうだ。めちゃくちゃ汗をかいている。

 

「……エアコン効きすぎてんのかな」

 

 俺は設定温度を確認しながら「別に暑くはないと思うけどなぁ」と首を傾げる。これ以上下げると、俺が寒い。

 

「ほんと、どうしたんだろ。いつからだ?」

 

 いつから一郎が変になったのか。思い出してみても、よく分からない。ただ、一つだけ記憶に付箋を付けるのだとしたら、あの日くらいか。

 

「……借りてた漫画が、どっかいった日」

 

 美術部の女の子から借りていた漫画が、行方不明になった。

 

 

——–敬太郎君、これ読んでみて?気に入ってくれたら嬉しいな。

 

 

 そう言って渡されたのは、少女漫画みたいな表紙の漫画だった。綺麗な絵だなぁと思いつつ、でも俺は余り好みじゃなさそうだとも思ったのを覚えている。

 なにせ、俺はあまり……いや、全然少女漫画は読まないのだ。

 

 でも、唯一俺の中で気安く喋れる異性に「読んで?」と言われて借りた漫画だ。出来れば読んで、あわよくば感想なんか言い合えたら、それって、なかなか良い流れなんじゃないか?

 

 そんな下心と共に借りた漫画だった筈なのに。

 その漫画が、借りたその日に、どこかへ消えた。

 

 一郎が来るまでに、少しでも読んでおこうと思ってバックから出したような気がするのだが、そのタイミングで丁度、お隣さんから回覧板が回ってきてしまった。

 そして、回覧板を回す為に部屋を空けた隙に、部屋から、その漫画は忽然と姿を消してしまっていたのである。

 

「あの日じゃなかったかななぁ。一郎がヘンになったのも」

 

 漫画も無くなり、一郎からも謎のブチ切れを浴びたあの日。そのせいで、妙に記憶に残ってしまっている日である事は確かだ。

 結局、どこを探しても漫画は無く、お陰で俺は読んでもいないその漫画を、弁償する羽目になったのだ。

まぁ、失くしたのは事実だし、弁償するのは良い。ただ、貸した漫画をソッコーで無くす奴だと思われたのが、俺には痛くて仕方がなかった。

 

 ただ、彼女は決して俺を怒ったりしなかった。

 むしろ、どこか嬉しそうな様子すら見えた。

 

——–いいよいいよ。気にしないで?もし気に入ったら、二巻は来月出るからね?

 

 

 失くしたと言っているのに、あの子は何やら嬉しそうな顔で、そんな事を言ってくるのだ。いや、気に入ったも何も、俺はまだ漫画を一頁だって読んでいないと言うのに。

 

 けれど、借りた漫画を失くした分際で、何を言うのも野暮な気がしたので、ともかく俺は「分かった」と頷く事しか出来なかった。

 

「っていうか、まさか一郎が盗ったワケじゃ……」

 

 何度も頭を過った可能性に、俺は、何度目とも分からぬ否定を口にする。

 

「んなワケない。一郎が、あんな少女漫画みたいなの、読むワケないし」

 

 そうだ。

 俺すら、“女の子から直接借りた”というアドバンテージが無ければ読まないような漫画を、一郎が率先して読むワケがない。

 一郎と俺の漫画の好みは、まぁまぁ似ているのだから。

 

「じゃあ、あの漫画も……どこ行ったんだろ。この部屋には、ある筈なんだけどなぁ」

 

 最早、様子の変な一郎の事でなく、失くしてしまった漫画の方へと意識が向いてしまった。ベッドの隙間も机の隙間も探したけどない。

 

「うーん。もう一回探してみるか?」

 

 そう俺が、ベッドの下に顔を覗かせた時だった。

 

「敬太郎ぉぉぉっーーー!」

「っは!?」

 

 ガシャンと勢いよく玄関が開く音と共に、一郎の声が家中に響き渡った。

ウルサッ。最高にうるさいとしか言いようがない。

そして、そのまま、ドタドタという容赦ない足音を響かせると、次の瞬間、俺の部屋の戸が勢いよく開け放たれていた。

 

「敬太郎、おい!敬太郎!!敬太郎!!」

「ななななな、なに!?なんだよ!急に!」

 

 突然、部屋に飛び込んできた一郎に、俺はと言えば、ベッドの下を覗き込んでいたせいで、妙な体勢のまま一郎を出迎える羽目になった。

扉の方を見れば、そこには顔を真っ赤にした一郎の姿。

 

「っな!っな!っな!」

 

 またか?またなのか?けど、これ以上エアコンの温度を下げると、正直付ける必要がなくなるのだが、俺は一体どうすればいいんだ!?

 

「っクソが!やらしい格好してんじゃねぇよ!?」

「えっ。なになに!?急に何の話!」

「ブッ込まれてぇのか!?この欲求不満が!野郎ならもう誰でもいいってか!?」

「はぁっ!?なになに!?何の話!?」

「あ゛ぁ!?ナニがなんだって!?」

 

 部屋に入って来たかと思えば、最近史上最強に様子のおかしい一郎が、ブチ切れながら俺の元へと駆け寄ってきた。もう何が言いたいのか欠片も分からない。

 もう、完全にサッパリだ。

 

「敬太郎!いつまでンな格好してんだ!立て!立ちやがれ!」

「っは、はい!」

 

 何だ。ここはいつから軍隊になったんだ。

ワケの分からない一郎のテンションに、俺も流されるように、その場に飛び上がる。すると、顔を真っ赤にし、目を血走らせた一郎が、俺のすぐ目の前に立って居た。

 

「はぁっ、はぁっ」

「一郎……お前、汗が」

「黙れ!」

「っひ!」

 

 この距離感。何やら一郎の彼女と遭遇した“あの日”を思い出す。

 縁切った、縁結んだ!と二人でピタリとくっ付き合って小学生の頃みたいに言い合ったあの日。

 

 けれど、今日の一郎はあの日ともまた様子が違う。冬だというのに、額からは大量の汗を垂れ流し、呼吸も荒い。

 

「おいっ、敬太郎……聞け」

「な、なんだよ」

 

 一郎の大きな手が、俺の両肩を掴む。制服越しなのに、一郎の手の熱さがダイレクトに伝わってくる。なんだ、なんだ。一体これから俺は一郎から何を言われるんだ。

 

「俺は……男はムリだ」

「え、は?」

「だから、ワリィがお前もムリだ」

 

俺は、一体何を言われているのだろう。分からないが、ともかく俺は一郎から何かしらを「ムリ」だと言われた。男だからムリ。だから、俺もムリ。そういう事らしい。

……どういうことだ。

 

「でも、だからと言ってお前が別の誰かに突っ込まれんのも我慢ならねぇ」

「……はぁ」

「だから約束しろ。敬太郎」

 

 一郎の真剣な目が、まっすぐ俺の目を貫いた。どうやら、俺は今から一郎に、物凄く大切な事を言われるらしい。ワケわからんが。

 

「俺以外のヤツのトコに行くのは、止めろ」

「……」

「でも、俺はお前の気持ちには応えらんねぇ」

「……」

「だからな、敬太郎」

 

 俺の肩に食い込む、一郎の手が物凄い力を帯びた。少し、痛い。

 

「お前は、一生我慢しろ」

「……」

「俺は、お前の思ったようにはなってやれねぇが、お前が一生我慢できるんなら、死ぬまで一緒に居てやる」

「……」

 

 ポタリ。

 一郎の額から、頬を伝い、一筋の汗が流れた。肩で息をする一郎の顔は、未だに真っ赤で、その目は俺だけを見つめていた。

 

「えっと」

「……どうする。敬太郎」

 

 そして、一郎の言っている意味は、やはり欠片も分からない。俺は一体何を一郎から“選択”させられようとしているのだろう。

 まず、選択肢が何かすら分からない。ただ、

 

「……うん、分かった」

「……よし」

 

 ともかく、アレだ。

 一郎は、一生友達で居ようという感じの事を、俺に言いたいのだろう。そもそも、一郎が俺の思った通りにいてくれた事は、あまりなかったので、結局は、これまで通りという事なんじゃないだろうか。

 

「……ほんとに、分かったんだな?」

「うん」

 

再び俺が頷くと、一郎は心底ホッとしたような表情になった。どうやら、相当焦っていたらしい。一郎が一体何に焦っていたのかは分からないが、まぁ、安心出来たようでよかった。

 

「じゃあ、もうあんま誰彼構わずベタベタすんな」

「別にしてないけど」

「してたじゃねぇか!」

「えぇ……?」

 

 一郎の手が、俺の肩から離れて行く。

 怒鳴りながらも、少しだけ様子の戻った一郎が、自身の額の汗を手の甲で拭った。汗、かきすぎだろ。

 

「あと、もしお前が俺との約束を破って、別のヤツとヤるような事があったら、絶交だ。縁を切る」

「……何を?」

「そうだ、ナニだ」

 

 どうしよう。

 付き合いも長く、距離が出来た期間があっても大方の事は理解できた幼馴染が、今は何もかも理解できない。

一つも、何も、分からない。

 

「敬太郎、お前。俺と縁切んのは嫌だろ」

「まぁ、うん」

「そうだろ。だったら、一生我慢して、俺の側に居た方がお前の為だ」

「そうなの?」

「そうに決まってんだろーが!?」

 

 叫んでくる一郎に、俺は逆らうのをやめた。もう何を言っても今は意思疎通が困難なようだし、まぁ、特に悪い約束でもなさそうなので、頷いておく。

 つまりは、「一生友達だよ」と不良になった幼馴染が、こんなにも恥ずかしさを堪えながら言ってくれたのだ。

 

よく考えてみれば、可愛いじゃないか。

 

「ふふ、分かったよ。分かんないけど、俺は一生お前の側に居るよ」

 

 俺は、思わず笑いながら再び頷くと、一郎の額から流れてくる汗を、掌で拭ってやった。まったく。汗、かきすぎだろ。

 

「ぁ」

「ん?」

 

 すると、次の瞬間。

 一郎が、後ろへと吹っ飛んだ。しかも、これでもかという程の叫び声を上げながら。

 

「うぁああああっ!!」

「うえぁっ!?なに!?なんだよ、一郎!」

 

 すると、その叫び声に、いつの間にか帰って来ていたらしいお母さんの声が、居間の方から聞こえてくる。

 

「なぁにー!敬太郎!また、いっちゃんと喧嘩してるのー?」

「してなーい!」

「もう、仲良くしなさいよー!」

「分かってるってばー!」

 

 居間から聞こえるお母さんの声に、俺は自分の部屋から叫んで答える。

 古い木造建築だからこそできる、家族間通話だ。そう、俺がお母さんとのやり取りに意識を奪われていると、いつの間にか一郎は、逃げるように俺の部屋から駆け出していた。

 

 来た時同様、ドタドタと足音を響かせ、玄関から飛び出して行く。

 

「……何だったんだ?一体」

 

 俺が、先程一郎の汗を拭ってやった掌を見つめながら言うと、居間に居た筈のお母さんが俺の部屋までやって来た。

 

「いっちゃん、ごはん食べて行く……あら?いっちゃんは?」

「知らん。帰った」

「だから、喧嘩は止めなさいっていったでしょ?お菓子あげるから、後で仲直りしてきなさいよ」

「えー、いいよ。一郎のヤツ、何か変だったし」

「とか言って。喧嘩しっぱなしになったら、ずっと落ち込むんでしょうが。アンタは」

 

 お母さんの言葉に、俺は少しだけ気まずくなって視線を逸らした。そんな俺に、お母さんは笑いながら部屋を出て行くと「あとでお菓子取りに来なさいねー」と、廊下で声をかけてくる。

 

「わかったー」

 

 まぁ、喧嘩した訳ではないが、仕方がない。

 あとでお菓子を持って一郎の家に行こう。

 

 

 俺は、最後に見た一郎の泣きそうな程真っ赤な顔を思い出すと、なんだかおかしくなって笑ってしまったのであった。

 

 

 


 

帰り道の一郎

 

「ありえねぇ、ありえねぇ、ありえねぇ、ありえねぇっ!なんで、俺はっ!敬太郎相手に!!」

 

また、勃ってんだよ!?

 

 

 幼馴染相手に反応した自身に、絶望と謎の高揚感を抱えたまま、ともかく走っていたのであった。

 

 

おわり。


 

一郎大暴走の巻。

この後、やっぱり一郎がめちゃくちゃ汗をかくので、勉強会会場が一郎の家に戻りました。

そして、敬太郎も交通事故にあってしまうので、一郎の中での敬太郎は、本当に色々とごちゃまぜの感情を含んでいた……んではないでしょうかね!

 

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