忘れられない記憶より、大切な貴方へ

 

【忘れられない記憶】

 番外編第5弾

 

 

 

 米騒動にて未完で放置されていたお話。

 ヤスキと拓道の二人の結婚式にまつわる周囲の悲喜交々。

 ヤスキの妹と拓道の親友、伊藤忠孝が主に色々あります。

 ヤスキと拓道も出てくるとは思います。

 

 ただし、主に男女のお話になりますので、あしからず。

 

 そんな、お話。

 


 

 

 

(ディズニー占拠成功!)

 

 

 

 一人の白衣を着た男が、コーヒーを片手に携帯を見つめている。見つめる先には、彼の友人らしき人物からのメッセージがあった。そのメッセージに、男は苦笑した。

 

「あのバカ、マジでディズニー貸し切ったのかよ」

 

 男の名前は伊藤 忠孝。外科医だ。

 

「結婚式っつーレベルじゃねぇな、もう」

 

 大学病院の胸部心臓外科において、一、二を争う実力を持つ男である。忠孝は非常に優秀で、しかもその容姿も非常に淡麗であったたため、メディアへの露出もしばしばあった。それは彼の幼馴染兼友人が、アナウンサーとしてメディア内で華々しい活躍をしている事に、多少なりとも影響している。

 年若く、容姿端麗で、もちろん財力もあるとくれば当たり前のように彼の周りには多くの人間が集まってくるものだ。とりわけ、女の数は尋常ではなかった。

 

「まぁ、アイツが幸せなら俺はいいけど……男同士かぁ」

 

 伊藤 忠孝。三十二歳。彼は、様々な面で優秀な男であったが

 

「俺は断然、女だけどな」

 

 ただ、ひたすらに女性が大好きな男であった。

 忠孝は友人である平川拓道のメッセージを閉じると、すぐさま別の人物のメッセージを開く。名前を見れば、そこには女性と思わしき名前がある。「今夜会えない?」と、大胆かつ明確なメッセージが書かれたそこに、忠孝は残りのコーヒーを一気に飲み干し、返信した。

 

≪もちろん≫

 

 今日は当直医ではないため、上手くいけば早く上がれる。そう、上手いこといなかいのがこの世界なのだが、今は今夜の予定を楽しみに午後の仕事を乗り切ろう。忠孝は表情を自然と緩ませ、休憩室を後にする。

 それと入れ変わりに、忠孝の隣を一人の白衣の女が休憩室に入って行く。忠孝はその女をチラリと横目に見ると、特に声をかける事もなくその場を後にした。

 

 女の名前は野澤 宮和歌。

 忠孝と同じく三十二歳で、腕は確か。所属は救急救命部。忠孝はこの宮和歌という女医に対し、どこか理由のつけようのない苦手意識を持っていた。見た目は悪くない、どちらかというと美しい部類に入る優秀な女医だ。

 

 特になにかされたわけでも、したわけでもない。職場の女性には手を出さないという自戒を持っている忠孝だ。

 ただでさえ命のやり取りの行われる現場で、人間関係において確執を作る事は、その言葉通り“命取り”になる。故に、その点で職場内に険悪さを作り上げたわけでもない。

 

 なのに、どうして。

 

「(特に話したこともないっちゃけど)」

 

 女性に苦手意識を持つなんて。忠孝は妙な引っかかりを感じながら、自然とあちこちから寄って来るナースや患者に笑顔で対応した。

 

 それは彼の友人である平川拓道の結婚式の、2カ月前の話である。

 

 

 

【忘れられない記憶より、大切な貴方へ】

 

 

 

『それでやん?二人で白のタキシードにしようっち言って昨日試着しに行っちゃけど、そこで並んだ俺とヤスキのお似合い感、マジやばかったけんね!』

「なぁやん。もう切ってよか?」

『切んなやん!もう少しで良かけん、マジで俺のノロケば最後まで聞けっち!幸せのおすそわけやん?それでっさい、』

「ノロケっち自覚はあるったい」

 

 忠孝は、ただひたすらに電話の向こうで話し続ける親友の声を、話半分聞き流しながら手元の資料に目を向けた。

 

 現在、忠孝は就業時間中。

 丁度、患者も居なかった為、拓道からかかってきた電話に出たはいいが、これがもう拓道の言葉は湯水のように湧き出て留まるところを知らない。さすがアナウンサーといったところか。

忠孝は読んでいた学会の資料だけを持ち、病棟奥の古いカルテ庫へと移動した。ここは、研修医時代にも腐る程お世話になった場所だった。一人になりたい時、何度ここを訪れたか知れない。

 

「………ふーん、へぇー」

 

 ここへ来て、はやどれほどの時間が過ぎただろうか。

 

『で、忠孝。ディズニー結婚式の前にっさい、マジで親族とか仲良かやつだけ集めたパーティば開くけん、それお前参加するやろ?』

「はい、はい」

『お前、死ぬ気で休みとれな?当日の親友代表の手紙もお前けんな!?』

「わっかったやん」

『でやん!でやん!ディズニーん時は、俺とヤスキはスイートのマジ一番いい部屋ばとってっさい!』

 

正直、後半からは一切内容など聞いていない。電話を切らないだけでもありがたいと思って欲しい。そう、心から思う。

けれど、忠孝は小さく溜息をつきながらも、口元には微かに笑みを浮かべていた。

 

「(こいつ、バカばい)」

 

 今までの人生で、何度忠孝は拓道に向かってそう思ってきたことだろうか。けれどそう思う時、忠孝はいつも笑っている。今もこうして聞き流しながらも、拓道の浮かれた声に、忠孝は笑わずにはおれない。

 

 昔から拓道は、いちいち器用な癖に、色々と下手クソだった。それはもう上手く立ち回りながら、けれどいつだって自分にダメージを受ける道ばかりを選ぶのだ。器用で下手クソで、いつも良い奴。だから、こうして拓道が心から嬉しそうに、楽しそうに話すのを聞くのは悪くない。

 

 ただ、

 

「(んっとに、長かな!?)」

 

 こちらだって今は就業時間中だ。どこかで、このアナウンサーの口を閉ざしてやらねばならない。そう、忠孝がマシンガンの如く話し続ける拓道に声をかけようとした時だ。

 

 きい。

 

 忠孝の居るカルテ庫の入り口が静かに開く音がした。

 忠孝は「ヤバ」と、一瞬にして倉庫の奥の方へと身を隠した。別にやましい事をしているわけではないのだが……。いや、就業時間中の私用の電話という十分やましい事をしている為、忠孝は携帯の音量を最小に下げ、息を殺した。どうせ拓道はニュースを読むように一方的に話しているだけで、忠孝の返事など必要としていない。それだけが救いだった。

 

「パーティ?私そんかと行かれんけん」

 

 聞こえてきた声に忠孝は息を呑んだ。それが、忠孝や拓道が話している方言と同じだったから、ではない。

 その声の主は、先程休憩の際にすれ違った宮和歌であった。あの、何故だか忠孝が苦手意識を持っている“あの”女医。

 

「うるさかやん!私は仕事が忙しかと!兄ちゃん達んごつ暇やなかと!」

 

 どこが親しみを持ったその怒り方に、忠孝は宮和歌の電話の相手が、家族であろうかと当たりをつけた。そして、聞けば聞く程に宮和歌の方言が自分達の地元で使っているものと酷似している事に、静かに違和感と親近感を覚えていた。

 

「(野澤先生っち、こっち出身やったったい)」

 

 あまり関わる事は無いが、宮和歌はクールで落ち着いた女医として、同性の看護師や患者から高い人気があった。

 

 患者からの評判ををのままま引用するならば、身長も高くどこか泰然と落ちついた様子が宝塚っぽくていいのだと。確かに宮和歌は美しいと言われながら髪はショートで、どこか線の細い所謂“少女漫画のヒーロー”に似たものを漂わせている。

 

 そんな宮和歌の意外にイモっぽい一面。忠孝は自分もまったく同じ意外なイモっぽさを持っていながら、自らを棚に上げて「へぇ」なんて少し得意気になってしまった。

忠孝のどこかほくそ笑んだ思考の脇で、宮和歌の電話は更にヒートアップする。

 

「兄ちゃん達に何がわかるとよ!私だっちゃそげんしたかよ!あぁもう!その名前ば出さんで!わかっとるけん!8人もおるっちゃけん一人おらんくても何も変わらんやろ!」

 

 一体何の話だろうか。忠孝が、宮和歌の電話が気になり、少しだけ体を前へと傾けた時だ。

 

 パサリ。

 手に脇に挟んでいた学会の資料が見事に散らばった。風に乗った資料は勢いよく飛び、そして。

 

「え?」

 

 宮和歌の足元で止まる。宮和歌は突然飛んできた資料に足元を見、次の瞬間にはたと人の気配を感じ棚の奥を覗き込んだ。

 

「…………どうも」

「……え、え?」

 

 誰も居ないと思った先に居る人物。院内では有名なイケメン外科医で、メディア露出もしている同期。けれど、それほど親しくは無い。

 

 伊藤忠孝。

 宮和歌は苦笑いを浮かべながら手元の携帯をポケットに仕舞いこむ忠孝に目を奪われながら、静かに息を呑んだ。息を呑んで、そのまま携帯での会話を続けた。ついでに、足元に落ちている資料を拾う。

 

「とりあえず、兄さん達から伝えといて。私は行けないからって」

 

 しかし、話し方に全ての動揺が現れている。方言から敬語へ。びっくりするほど見事にスイッチされた口調に、忠孝はぽかんとして目の前の宮和歌を見つめる事しかできなかった。

 

「自分で言え?嫌だってば。お願いよ」

 

 そして、一枚一枚丁寧に忠孝の落ちた資料を拾い上げ、全てを拾い終えた宮和歌は普段では考えられない程、呆けた顔を晒している忠孝に向かって、静かに資料を差し出してきた。そんな宮和歌の行動に、忠孝は思わず資料を受け取り会釈する。

 

 そして、何故だか次の瞬間、忠孝はドキリとした。

 

 

「私は行けない!行かないからね!?」

 

 

 どこか悲痛さを帯びたその声と、宮和歌の浮かべる痛みを耐えるような表情に、忠孝は苦しいまでのデジャビュを感じた。

 

『俺は!絶対にヤスキ先生には会われん!会わんけんな!?』

 

 それは先程まで携帯の向こうで言葉を湯水のように垂れ流していた親友のバカ。もとい、平川拓道。その拓道がヤスキと会いたいのに、言葉では「会えない」「会いたくない」と叫ばざるを得なかったあの瞬間の表情と、今の宮和歌の表情は酷似していた。そして、忠孝はその表情に心臓が嫌に締めつけられるのを抑えきれなかった。

 

「ごめん、もう仕事に戻らなきゃだから……」

 

 ピッ。

 最後は、もう相手の返事など聞く気などないような早さで携帯を仕舞う宮和歌。そして、初めて宮和歌と忠孝はその奇妙な倉庫内での対峙で意識を互いに向けながら行った。

 

「……すみません。就業時間中なのに。お騒がせしました。伊藤先生」

「いえ、こちらこそ。すみません。拾ってもらっちゃって」

 

 宮和歌は気まずそうにしながらも、しっかりと忠孝の目をみながらそう言った。そんな宮和歌に忠孝は「こう言う所が同性にモテる秘訣か」と、妙に納得をしてしまった。この宮和歌という女医の目には説得力と誠実さが垣間見える。

 

「では、私はこれで」

「ちょっと、待って」

 

 すぐに立ち去ろうとする宮和歌に忠孝は何故か焦った。そして、思わず呼びとめてしまった。立ち去る宮和歌の気持ちは分かる。たいして仲が良いわけでもない職場の同期に、気まずい場面を見られたこのシチュエーションを考えれば、互いにすぐに業務に戻るのが賢明だろう。

 

 しかし、世間ではデキる男と評される忠孝は、ここでいつの間にか自分が賢明ではない判断のもと行動してしまった事に気付いた。気付いていても、止められなかった。

 

「野澤先生!あの、」

「はい?」

 

 背筋をピンと伸ばし、白衣をなびかせ宮和歌は振り返る。呼び止められ、振り返って尚、宮和歌はまっすぐと忠孝を見据えた。そんな宮和歌に忠孝は思わず叫んだ。

 

「今夜!空いとんね!?暇ね!?」

「っ!」

 

 大して仲が良いわけでもない仕事上で密接に絡むわけでもない。所属も違う。知っているのは互いの患者や看護師から流れてくる噂程度。ただ、同じ大学病院で働く、同期。

 

 それだけ。

 

 それなのに、忠孝は宮和歌を呼びとめ、共に夜を過ごす予定だった女性に心の中で詫びた。そして、宮和歌も当然であれば社交辞令を交えながら断る筈のその誘いに。

 

「……ひ、暇やけど」

 

 思わず、本音で答えてしまっていた。

 

 

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