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     ◇

 

 

「から揚げ定食で」

「俺もそれで」

 

 二人が揃って昼食の場所に選んだのは、病院のすぐ近くにある定食屋だった。ここも昼時になればサラリーマンでごったがえす店だが、今や午後2時。

 ランチのピークを過ぎたそこは閑散としており、店内に設置されているテレビから流れるワイドショーの音が響くばかりである。忠孝は宮和歌がメニューを脇に仕舞うのを見届け、昨日から用意していた言葉を放った。

 

「昨日のアレは何か」

「え」

「昨日のアレは何かっち言いよるったい」

「アレ?」

 

 宮和歌は見るからにご立腹の忠孝に眉を潜めた。眉を潜めた宮和歌に、忠孝は「コノヤロウ」と内心拳を握りしめる。女を本気で殴りたいと思ったのは初めてだった。

 

「何ばそげん怒っとると」

「何ばそげん怒っとるとかっち?マジでが?マジでお前はそげんかこつば思いよるとか」

「え、なん?」

「お前は俺のプライドばバッサリ傷つけたったい」

「なん?」

 

 心底意味が分からないと言った表情で己を見つめる宮和歌に、忠孝は「はぁぁぁ」と頭を抱えて溜息をついた。つくしかなかった。

 

「野澤先生。先生は昨日、俺ば穴っち思って喋りよったろうが」

「あな?」

 

 忠孝は吐き捨てるように言い放つ。しかし、言われた宮和歌はといえば未だに話をうまく飲み込めず首を傾げた。傾げて言った。

 

「それを言うなら、男の伊藤先生は穴じゃなくて棒じゃなかと?穴は私やん」

「なんば昼間から流れるように下ネタぶっこんでくっとか!コレのどこがクールビューティー?宝塚?誰が言った!?」

「少なくとも私じゃなかし」

 

 忠孝は事もなげに下ネタを挟んでくる宮和歌に、最早それまでのイメージを記憶から削除する事を決めた。ついでに、相手を生物学的には女とは認めるが、心情的な部分でそれ以上でもそれ以下でもないところに分類してやる事にした。

 野澤宮和歌は、野澤宮和歌。そういう分類にした。

 

「もう穴でも棒でもよかけど、昨日、野澤先生は俺という個人を認めんで言いたい事だけ言って勝手に帰った。俺の返事なんか聞こうともせんで。俺は壁でも棒でもなか。やけん、あの後、色々考えたやん。それだけの事ば、お前は俺に言うたんぞ」

 

 忠孝は去っていく宮和歌の背中を見て、腹を立てた。宮和歌は決して“忠孝”だったから腹を割って話した訳ではなかった。

「距離の詰め方が上手い」だの「コミュニケーション能力が凄い」だの忠孝に向かってのたまいながら、楽しそうに笑いながら。けれどその目は最初から最後まで忠孝を見ていなかった。

 

「言ってスッキリしたとかならよかけど、別に野澤先生は俺に話したってスッキリも何もしとらんやろうが。俺が穴とか棒ならよかったい。けど、俺は人間やけんな。昨日のアレは、ただ俺が野澤先生ば心配して終わっただけやった。俺は昨日から今まで、野澤先生の事しか考えとらん!」

「…………」

「で、結局どげんすっと?結婚式は参加すっと?できっと?」

 

 忠孝はコツコツと指で苛立たしげに机を叩きながら宮和歌に聞いた。本題はここからなのだ。実の兄を好きで、しかしその兄が結婚してしまう。結婚式とパーティには家族なのだから宮和歌も当たり前のように参加せねばならない。

 さて、どうすれば宮和歌は苦しまずにすむ?これは忠孝の中でそう言う問題なのだ。

 

「はい、カラあげ定食2つお待ち」

「あ、はい」

 

 しかし、丁度よくそこへ注文していたから揚げ定食が二人の元へ届いた。忠孝は一つを店員から受け取ると、それを宮和歌の元へと置いた。その時だった。

 

「伊藤先生は、よか人ねぇ」

 

 何はともなく呟かれた言葉。その言葉はハッキリと忠孝の耳にも届いたが、宮和歌にとってはただの独り言のようなものだった。しかし、言わずにはおれない言葉だった。

 

「そうやんね。私、伊藤先生くらい関係のない人間にやったら、丁度よかけん話ばしよう。聞いてもらおうっち思って、あげんか事ば言ったとよね。けど、言ったら言ったで引かれたやろうなぁとか、言わんほうが良かったなぁとか思ったら、なんか顔ば見てられんごとなって。やけんすぐ帰ったったい。失礼かね、ほんと私失礼かことばした」

 

 淡々としたトーンで語られるこの言葉は、宮和歌のモノローグなのか、それとも忠孝に向かって放たれる会話の一部なのか。あまりに宮和歌が自分の中を整理するように呟くものだから、忠孝はどう返事をしたらよいのか、いやそもそも返事をするべきなのか迷った。

 

「私は伊藤先生の事ば、誰にもアカウントば教えとらん秘密のSNSくらいに思っとったごた」

 

 現代人にしか通じない、しかしまさしく言い得て妙な例えは、忠孝の口を塞いだ。

 そう、まさしく昨日の忠孝は返事を必要としない、感情を吐露するためだけの宮和歌の秘密のアカウントだったのだ。しかし、それまでモノローグのように吐露されていた宮和歌の言葉が、次の瞬間“対話”へと変わった。

 

「ごめんなさい」

 

 宮和歌は忠孝の目を見つめながら静かにそう言うと、ゆっくりと頭を下げた。

 

「ぜんぜん、親しい訳でもないのに私の為に悩んでくださってありがとうございます。伊藤先生は、とても良い人ですね」

 

 下げられた頭の下で、恥かし気もなくまっすぐ向けられる称賛の言葉に、忠孝は感じた事のない程の背筋のしびれを感じた。ピリと電気の通ったような、背筋を指先で真ん中から上へと撫で上げられるような。それはとてもくすぐったい感覚だった。

 

「……いえ、こちらこそ。感情的になってすみません」

「食べましょうか。お腹がすきましたね」

 

 宮和歌はやっと顔を上げると、割り箸を持つと手を合わせた。忠孝も先程の感覚の余韻を残しつつ、腹部に走る空腹感に宮和歌同様手を合せる。

 

「「いただきます」」

 

 二人はそのまま、黙々と昼食にありついた。忠孝はカラ揚げをたいらげながら宮和歌の“秘密のアカウント”という立ち位置に、まんざらでもない気分になっていた。

 壁でも穴でも、ましてや棒ではない。宮和歌にとってはどれも同じかもしれないが、忠孝にとってはそれは言い得て妙な上に、とても満足のいく立ち位置だと思った。

 

「(SNSは他人と繋がる為にあるっちゃけんな)」

 

 

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