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         ◇

 

 

 それからというもの、忠孝は何かにつけて宮和歌に引っ張られるようになった。忠孝が宮和歌を引っ張るのではない。宮和歌が忠孝を引っ張るのだ。

 

「伊藤先生、いますか」

「伊藤せんせー。野澤先生ですよー」

「はいはい」

 

 あの“から揚げ定食”の一件から、宮和歌は開き直ったように忠孝には何でも話すようになった。それはもう“秘密のアカウント”は大活躍しているのである。昼休みや休憩も被れば共に過ごす。

 

「伊藤先生、一緒に昼ごはんを食べましょう」

「……はい、はい」

 

 そのいっそ清々しいまでの宮和歌の開き直り方に、忠孝は日々デジャビュを感じて過ごした。

 

『忠孝、聞け。たぶん、俺は女子じゃなくて男子が好きごたる』

「伊藤先生、聞いてもらってよか。私がいつからお兄ちゃんを好きか」

 

『俺みたいなのば、ホモとかゲイとか言うらしか』

「自分みたいなのを“近親相姦”っていうのを知ったのは、中学生の頃やんね」

 

『俺、ヤスキ先生ば好きごた!愛しとるごた!』

「私、お兄ちゃんが好きっちゃん。やっけん、私はお兄ちゃんの子供が欲しいの」

 

『俺の初恋の相手が、ヤスキ先生だからでしょう』

「私、お兄ちゃんが初恋やけん未だに処女なんよね」

 

 本当に、宮和歌と拓道はよく似ていた。故に、忠孝はいつまでたっても宮和歌に拓道の姿を重ねざるを得なかった。

 

「伊藤先生、今日はもう外に出るのも面倒臭かけん、売店で買ってベンチで食べるとでよか?」

「はいはい」

「奢るけん、好きなのば買わんね。遠慮せんでね」

「自分で買うけん、よかし」

「伊藤先生っち本当に気遣い屋やねぇ。遠慮せんでよかとに」

「俺は意味もなく奢ってもらうのが好かんだけたい」

「伊藤先生は私に永久に昼ごはんを奢ってもらっていいくらいの事ばしよるとに。変なか人やねぇ」

「……お前に言われたくなかし」

 

 そして、宮和歌が周りの目を気にせず忠孝を引っ張り回すようになってからというもの、病院内での忠孝と宮和歌の関係性は一気に同僚達の噂の的となった。

 

 片や、イケメンのスーパー外科医(今まで同僚に手は出した事は無い真摯なヤリチン)。

 片や、宝塚の男役にも引けをとらないクールビューティな女医(近親相姦処女)。

 

 白衣で並んで立てば、一見医療モノのドラマかと思わんばかりの迫力と雰囲気を醸し出す二人だが、中身がそうでない事を知るのは当人達のみである。

 

「お兄ちゃんが結婚したら、私はもう処女んまま人生終了とよね。生理意味なかったー」

「ミネストローネ食ってる時にそげんか話ばすんな」

「なんでや?」

「もう、なんでんよかけん。今は黙れ」

「赤かけん?大丈夫ばい。生理ん血とミネストローネの赤は全然違う色ばしとるけんね」

「わかっとるわ!わざわざ言わんでよかし!」

 

 こうして二人は今日も今日とて方言丸出しで、なんとも言えない会話を楽しみながら昼食にありついていた。

 忠孝はコンビニで購入し温めてもらったミネストローネをすすりながら「はあ」と静かに空を仰ぎ見る。宮和歌はと言うと、同じくコンビニで購入した焼きプリンを食べている。

 

「結局、お前どげんすると」

「んー。どげんしようかー」

「有給も早目にとっとかんといかんぜ。こういう仕事ばしよるなら特にたい」

「……もう、申請しとるけん大丈夫」

 

 だいじょうぶ。そう、何でもないように口に出された言葉に、忠孝は空から視線を戻さないまま驚くほど深い溜息をついた。

 

「お前は」

「伊藤先生、また怒った?」

「怒るたやん。こげん毎日話しよって事後報告か」

「……出したとはさっき」

「よかとか、それで」

「よかも何も、家族で、しかも兄弟で。結婚式に出席ばせんとか……非常識ちお兄ちゃんが相手から笑われるたい」

「よかとか。それで。お前はよかとか」

 

 忠孝はやっと決心すると、視線を空から宮和歌へと向けた。宮和歌の手は止まり、ぼんやりとどこかを見ていた。

 

「わからん。ねぇやん。伊藤先生」

「なん」

「私はどげんしたらよかとやか」

 

そう問うてくる宮和歌に、忠孝は答え出せる筈がなかった。

 

(忠孝、なぁ。俺はどげんしたらよか)

 

 頭をチラつくのは幼馴染である拓道の姿。あの時も、忠孝は拓道の言葉に何も返せなかった。そして、今もそうだ。

 

「ごめん。わからん」

 

 そう、どうにか絞り出し、その瞬間、忠孝はむしょうに拓道に会いたくなった。拓道なら、同じ状況でどうするのか。どう、答えるのか。聞きたくなったのだ。自分なんかよりも、きっとずっと建設的な“答え”を親友なら持っていると思った。

 

「(アイツは、どんな時も、いつだって。自分の道を拓いてきた。俺と違って、アイツなら……きっと)」

 

 そう、忠孝が手に持っていたミネストローネのカップに力を込めた時。

 宮和歌はまたしても独り言のように呟いていた。

 

「伊藤先生は、よか人ねぇ」

「…………」

「本当に、よか人。私の悩みとけ、どうして同じごと悩んでくれるとやか」

「…………」

 

 忠孝はその言葉に、最早返事を返そうとは思わなかった。こういう事は珍しくない。宮和歌は無意識なのだ。これは返事を必要としない、宮和歌のモノローグ。宮和歌が相手に伝えようとする時は、必ず目を見てくる。今現在、宮和歌の視線はどこか遠くを見ている。

 

 これは、宮和歌の心の底なのだ。

 

「伊藤先生には、一番幸せになって欲しかねぇ」

「っ」

 

 宮和歌と共に時間を過ごすようになって、忠孝は思い知らされた事がある。それは、自分についての事なのだが、認識した瞬間、忠孝は自分の事なのに信じられなかった。

 否、信じたくなかった。ずっと、気付かない振りをして生きてきた。

 

 伊藤忠孝は平川拓道を妬んでいる。

 

 親友でありながら、心の奥底では、拓道を妬み嫉み、常に、大きく、強い、コンプレックスを抱いている。

 死んでも言葉には出したくない、そんな感情を、拓道と出会った瞬間から抱いて生きてきたのだ。忠孝は己が通常の人間よりも秀でたスペックを持っている事を、自慢でも慢心でもなく冷静に“理解”している。

 

 けれども、それでもあまりある程の才能とカリスマを持った人物が、常に隣に居たせいで忠孝の自己肯定感は驚くほど低いのだ。

 

 才能にも恵まれ、常に周りを驚かす親友。そして、驚くほどに優しく、いつだって良い奴。ずっと一人の想い人を想い続け、恋を成就させた。なんて華々しく、美しい人生。

 それに引きかえ。

 

(俺は断然女やけどな)

(俺みたいなゲスは幸せにはなれんな)

(俺じゃなくてアイツやったら)

 

 なんて、拓道と正反対を気どり、自らを拓道から一番遠い場所に置いて己の身を守ってきた。

 忠孝は平川拓道という男が、一番大事で、一番嫌いだった。拓道とよく似ている、このただの同僚だった女医が忠孝にその事実を突き付けてくる。

 

「(俺はそげん良か人間じゃなか)」

 

 突き付けられる事実は黒く、苦しく、辛いものだ。けれど、

 

「伊藤先生に会えて、話ばして、よかったぁ」

 

もしかしたら、

 

「(俺も、そげん悪か人間じゃ、つまらん人間じゃなかとかもしれん)」

 

 遠くを見つめながら呟かれる、忠孝を肯定する言葉の数々に、忠孝はフッと静かに笑うと、若干冷めたスープを口に運んだ。

 

 ぴり。ぴり。

 ピリと電気の通ったような、背筋を指先で真ん中から上へと撫で上げられるような、とてもくすぐったい感覚。宮和歌と居るとよく感じるその不思議な感覚は、死んでいた自尊心が生き返ろうとしているのだと、忠孝は悟った。

 

「私、どうしてよかか分からんけど」

 

 宮和歌の言葉が突然力を持った。モノローグは終わり、宮和歌の目は忠孝をハッキリと見ている。

 

「うん」

 

 忠孝も今度はきちんと返事をした。これは忠孝に向けられる言葉だからだ。

 

「なんか、大丈夫ごた気がする」

「そうね」

「うん、なんか。大丈夫。結婚式までには、なんかもう」

「なら、良かった」

 

 忠孝がそう頷いた時だった。宮和歌の白衣のポケットに入っている携帯から、聞きなれない音が響いてきた。それはどこか懐かしく、小学生の頃によく聞いた曲だった。

 

「懐かしか曲やな」

 

 忠孝が思わず呟きながら宮和歌を見ると、それまでぼんやりとした表情をしていた宮和歌の表情が驚くほど強張っていた。それはもう異常な程に。強張り、引きつっていた。

 

「どげんした」

「お、おに」

「は?」

「お兄ちゃんからやん」

「電話か?」

「うん、うん……どげんしよう!」

 

 宮和歌はポケットから取りこぼしそうになりながら携帯を取り出すと、膝の上に乗せていたプリンが芝生の上に落ちる事もかまわず携帯を持って走った。そんな宮和歌に忠孝は「おい!」と声をかける間もなかった。宮和歌はそのスタイルの良さから繰り出される足の長さを存分に発揮し、みるみるうちに小さくなっていったのだ。

 

「ぜんっぜん大丈夫やなかやんか!あいつ!」

 

 そう。

 忠孝が宮和歌の後を追いかけようとした時、またしても携帯が鳴った。今度は忠孝の携帯だ。こんな時間に容赦なく電話をかけてくる相手と言えば。

 

「なんか!?この急がしか時に!お前大概仕事ばせろ!?」

『なんかやん。いきなりキレてくんなやーん』

「今は忙しか!切るけんな!?」

『「女と飯食いよるとのどこが忙しかとかやん!」』

 

 その電話口の拓道の言葉に、忠孝は思わず振り返った。振り返った先、小道を挟んだ向こう側にある病院内のカフェにソイツは居た。忠孝のコンプレックスであり、妬む相手であり、そして何よりも大事な親友が。

 

「拓道……」

『「おう、見えよるかー。ちょっと用事があって来た。まだ休憩ならこっちこいやん」』

 

 そう言って表情までは見えないが手を振ってくる親友の姿に、忠孝は迷いなく背を向けた。

 

「バカが!お前にかもとる暇なかった!」

「『はぁ!?お前が女にフラれるとげな、よくあるこつやんか!』」

「フラれとらんし!死ね!」

 

 忠孝は医者あるまずき言葉を病院で吐き散らすと、ベンチにミネストローネを置き、そのまま走った。もちろん携帯の通話は容赦なく切って、だ。そのまま、宮和歌の駆けていた方へ向かって忠孝も己の足の長さを存分に駆使し走った。

 全然、大丈夫そうではない泣きそうな彼女の元へ。忠孝は、いつもあぁ言う顔で我慢をする相手を放ってはおけないのだ。

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