「は?」
俺の犬が勝手にどこかへ行ってしまった。
「今朝、お部屋に食事をお持ちした時には、既にいらっしゃいませんでした」
「なん、だと」
その日は、俺とお節介女の結婚式当日だった。本当なら、俺はこんな犬の部屋になど寄っている暇などないのだが、昨日の犬の様子が気になって気付けばこの部屋に来ていた。
昨日、俺は生まれて初めて女を抱いた。
女の抱き心地は、一体どんなモンかと心底期待していたが、期待し過ぎていたのか、大した事はなかった。なんなら、全部コッチが主導で動いて、なにから何まで気を遣って動かねぇといけない分、ダルいとさえ思った。
『私、勇者様とこうして一つになれて……本当に嬉しいです』
俺は疲れた。
そう、喉の奥まで出かかった言葉を遮るのに、俺は必死だった。ひとまず、笑顔で『俺もです』と心無い台詞を吐くだけで精一杯だ。
とんでもない事に、犬とのセックスの方が俺にとっては断然気持ち良かった。これは、あの箱入りお節介女だからそう感じてしまったのか、他の女だとまた違った感想になるのか。今後、試す必要がある。
ひとまず、今晩は犬を抱く。正直不完全燃焼で腹の奥がくすぶって仕方がない。ハッキリ言えば、欲求不満だったのだ。
だから、今晩は俺の部屋で待っていろと伝えに来た筈だったのに。
「姿を見た者は?」
「いいえ。お連れ様を見た者は居ないそうです」
「あ?」
その瞬間、俺は自分の口から低い声が漏れるのを聞いた。
「おい、誰が“お連れ様”だ」
「え?っひ!」
俺は傍らに立つメイドを見下ろした。短い悲鳴が、聞こえる。俺は今、どんな顔をしているというのだろうか。
「お連れ様じゃない。ツレだ」
「……え?」
「今後、言い間違える事のないように」
短くそれだけ言うと、メイドに背を向けた。犬が居ないなら、長居は無用だ。俺も忙しい。
アイツは“お連れ様”じゃない。ツレだ。俺の「連れ合い」。
「俺は王になる男だ。別に何人伴侶が居ても何も問題はねぇだろ」
連れ合い。伴侶。
ツレ、と俺が口にする時。俺はいつだってそう思って口にしていた。別に、誰に説明するワケでもねぇけどな。
〇
クソつまらねぇ結婚式は、晴天の中盛大に行われた。
城のバルコニーに立つ。俺の眼下にはゴミのように集まる人、人、人。あぁ、コイツら全員俺が守ってやったんだ。
粛々とお披露目やら式やらは進んでいく。それなのに、犬は俺の視界のどこにも映り込んでこない。一体何をしているというんだ。
お前は俺の、犬だろう。なんで、見える所に居ない。自覚が足りなさ過ぎる。これは仕置いてやる必要があるな。
無事に式が終わった。
俺はその足で、犬を探す為に城中を探し回った。でも、どんなに探しても犬は見つからなかった。
「おい、どこだよ。どこ行った」
犬は突然俺の前に現れて、突然居なくなった。
「なんで。なぁ、なんでだよ?俺が結婚したから、ショックで引きこもったのか?」
犬の部屋で、俺は何か手がかりがないかと必死に探した。ただ、その部屋に残っていたのは一冊の本だけだった。しかも、欠片も読めない。この本は一体何だ。
「なぁ。昨日抱いてやれば、お前は逃げなかったのか?」
犬は、相当おかしなヤツだった。
俺の旅に同行したいと勝手にくっ付いて来た。最初はウゼェと思った。弱いヤツが付いて来るなんて、邪魔以外の何者でもないからだ。
それに、俺は誰かに意見されるのも、誰かに合わせて動くなんてのも、大嫌いだった。
だから、一人が良かった。
「腹減った。メシは。どうすんだよ。俺のメシ。なぁ、おい」
けど、犬は驚くほど俺に意見などしなかった。俺が言った事には絶対に服従する。俺が右と言えば右を向き、左と言えば左を向く。
どんな無理難題も、俺が言えば確実にこなす。フェラもセックスも、何の躊躇いもなくやってみせる。
「お前、最後まで俺に付いて来るんじゃなかったのかよ。お前の言う“最後”は、ここまでかよ。なぁ、なぁ、なぁ。おい、返事!」
返事は、どこからもない。これを言えば、アイツはどんな事にも「はい」と頷いてくれていたのに。
——–っふぅぅっ、ごめぇっ。
「っ!」
突然、アイツの泣き声が耳の奥で響いてきた気がした。旅の途中から、アイツはたまに俺の前で泣くようになった。最初はいつだったか。そうだ。あのお節介女に迫られて、抱くか抱かないかの瀬戸際の時だった。
あの晩も、アイツは俺の為にスープを作ってくれていた。ただ、アイツはあのお節介女に怒鳴られて部屋から逃げ出して行った。ただ、あんなに慌てていたにも関わらず、作ったスープは律義に置いていくのだから面白い。
『勇者様。私の全てを、貴方に捧げます』
この期に及んで、まだヤろうとしてくるお節介女に、俺はまぁひとまず一発ヤってみるかと思ったのだが。
「腹減ったなぁ。なぁ、飯作れよ。城の飯が口にあわねぇんだよ。食えねぇモンばっかでよ」
腹が鳴った。今も、“あの時”も。
吐いた直後で、胃の中は空っぽだった。そんな中、アイツの置いて行ったスープの美味そうな匂いのする部屋。その瞬間、完全に性欲より食欲が勝ってしまった。
『姫、貴方との夜は……もっと大切にしたい』
嘘だ。もう腹が減ってヤるどころの騒ぎではなかった。もしあの時、ヤったとしても絶対に勃たなかった自信がある。どうにかお節介女をあしらい、俺はスープを飲み干した。
あぁ、こんなモンじゃ足りない。
空になった皿を手に、俺は逃げ出した犬を追った。
そして、俺は信じられないモノを目にした。
「犬……。この城で、信じられんのはお前だけだったんだぞ。俺をこんな所に一人にしてんじゃねぇよ」
——–初代様は、絶対に殺させない。
そう言って、アイツはいとも簡単に人間を殺した。殺す事に一切の躊躇いがない。どうやら俺は、そもそも人間側に裏切られていたらしい。暗殺者は、身内から出ていたワケだ。
けど、その時の俺にとって、そんな事はどうでも良かった。
腹が減っていたから犬を探しに来たのに、完全に空腹など吹っ飛んでいた。その瞬間俺の体を支配していたモノ。それは完全なる性欲だった。
——–王様、バカかよ。
そう吐き捨てるように言ったアイツの横顔に、たまらなく興奮した。いつもは情けない顔ばっかの癖に。そうか。アイツは、俺の為なら躊躇いなく人まで殺せるのか。
「どこ行った、犬。腹減った。抱きたい。全部、足りねぇ」
処理しろと言ったら、俺のモンを躊躇いなく咥えてみせる。どうやら、昔の男のモンも咥えていたようで腹が立ったので、後ろに突っ込んでやった。コッチは初めてらしい。立った腹も、少しだけ納まった。
「あぁ、疲れた。何だコレ……ワケわかんねぇ」
セックスしながら、アイツの髪の毛にベッタリと付いていた返り血が、俺の手に付く。気付かれないように、ソッと自分の服で拭った。
「あぁ、つらい」
——–俺。初代様との旅が、人生で一番楽しかったです!
あぁ、そうか。犬。
「俺も、そうだったみたいだ」
間違っていた。犬には俺しか居ないんじゃない。“俺”には、犬しか居なかったんだ。
「さみしい」
誰も居なくなった犬の部屋で、たった一つの手がかりである本を片手に、
俺は、静かに泣いた。