2:このアカウントには語彙力は存在しません

 

 

 

「し、四月、一日の、朝礼を、は、はじめます。まずは、所長から、新年度に向けての、」

「大豆クン。違う。最初は副所長から新入社員の挨拶って言われてたでしょ」

「っ!あ、二行目読んでた!す、すみません!間違え、ました!間違えて、二行目を、読んでしまって、いました!」

「大豆クン、それマイク通して言わなくていいから!」

「あ、はい!ふ、副所長から、のお話です!副所長、お願いします!」

 

 そうやって、俺が副所長にマイクを差し出すと、「緊張しなくていいからね」と、軽く肩を叩かれた。

 副所長はいつも優しい。好きだ。

 

「はぁっ」

 

 チラと前方を見てみれば、そこには総勢百五十人弱のスタッフが副所長の話しを聞いている。あぁ、なんてことだ。多い。多すぎる。

 そもそも、朝礼の司会進行など、極度のあがり症の俺には地獄みたいな仕事だ。おかげでここ一ヶ月は、ずっとこの日を思ってお腹を痛くする日々が続いていた。

 

「大豆クン、次は所長の話だからね。ダイジョウブ?」

「……」

「今更そんな顔しないでぇ?」

 

 あぁ、俺は一体どんな顔をしているのだろう。

 そして、先程からテンポ良くフォローに入ってくれているのは、俺の所属する営業三課の課長だ。つまり、俺の直属の上司である。

最初は「そろそろ、朝礼の司会くらい出来なきゃダメでしょ」と、軽く俺に司会を振ってきたのに、結局こうして隣に立ってくれている。どうやら、今朝、俺の顔を見た瞬間、コレは一人ではダメだと判断したらしい。

 

ダメだと判断したなら、司会も課長がやってくれたら良かったのに。

 

「……ふう」

 

 深呼吸をする。まだ朝礼は終わってない。始まったばかりだ。気なんて抜いていられない。

 

「次は、所長の話。その後は、各部署からの連絡。そして……」

 

 よし。次に読む時は、読む行を指で追おう。そしたら、同じ行を間違えて二度読む事もない。

 

「ねぇ、大豆クン?あんまり紙ばっかり見ない方がいい。逆に緊張するよ」

「でも、俺。……台本がないと喋れなくて」

「僕とは台本が無くても喋れてるでしょう?それと同じように話せばいいんだ。司会だって相手あってのコトなんだからさ。それとも、キミは紙と会話をしているのかい?」

「……」

 

 また始まった。

課長の高度過ぎる持論。そんな事言われたって無理なモノは無理だ。そもそも、そんな風に話せるなら、俺だってこんなに苦労してない。

 

 俺は他人に注目されるのが大の苦手なのだ。

 

「その顔、納得してないねぇ?何事も素直に受け止めて、やってみる事も大事だよ。何事も経験経験」

「……はい」

 

 はい、とは言ったものの、俺は原稿から顔を上げる気などサラサラなかった。だって、皆を見たら緊張して喋れなくなる。ずっとそうだった。俺は、自分の出来なさを、よく理解している。

 

「えっと、各部署からの連絡の後は、司会者の目標を言って、最後に……」

 

 再び視線を手作りの台本に落とす。そして、何度も何度も心の中で復唱した

 

その時だった。

 

 

「本日よりお世話になります、茂木 万(もぎ よろず)と申します」

 

 

 あまりにも淀みない堂々とした声に、俺はとっさに紙から顔を上げた。

 

「……ぁ」

 

するとそこには、真新しいスーツに身を包んだ、そりゃあもう格好良い男の子が居た。

 

「不慣れな事も多く、先輩方にはご迷惑をおかけする事も多々あるとは存じますが、日進月歩、努力して参りたいと思います」

 

 マイク越しに響き渡る、耳馴染みのない頑なで丁寧な言葉遣い。

一度も染めた事の無さそうな真っ黒な艶のある髪は、全体的に短くに切りそろえられ、ワックスでしっかりと固められている。そのせいで、一見すると酷く堅苦しい印象を与える。

 

「ご多忙な中とは思いますが、どうぞご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」

 

ただ、その堅苦しさは、むしろ整ったキツめの顔立ちに、凄く良く似合っていた。実はドラマに出てます、なんて言われたら、きっと俺は無条件で信じてしまうだろう。

 

それくらい、彼の姿はオーラと品格で満ち溢れていた。

 

「……すごい」

「凄いのが入ってきたねぇ」

 

 課長も感心したように新入社員の彼を見ている。

 

「……格好いい」

「堂々としてるね、彼」

 

 大豆クンと違って。

なんて、課長の口から直接言われたワケでもないのに、頭の中で勝手に思い浮かべてしまう自分が嫌だ。ネガティブにも程がある。

しかし、そんな後ろ向きな思考の隣で、ふと湧き上がってくる別の感情があった。それは、

 

「彼は……攻め、かな?」

「ん?何か言った?」

「いえ、なにも」

 

 そんな言葉が、とっさに口を吐いて出ていた。良かった、小声だったせいか課長には聞こえていないようだ。

 

「絶対攻め。そうだ、年下攻めがいい。堅物イケメンと……そうだな、受けはどうしよう」

 

新入社員で、あんなにイケメンで。それなのに、チャラいワケでもない。むしろ、堅物。「ご指導ご鞭撻」なんて言葉を大勢の前でサラリと口にするあたり、普段からあぁなのだろう。

 

とにかく、あの彼。

茂木君は異様にキャラが立っていた。

 

「……受けは、先輩。または上司。受けにだけ見せる特別な顔。堅物な彼に合わせて萌えるのは、」

 

 楽しい、ワクワクする。先程までの緊張なんて、どこかへ飛んで行ってしまった。

 

「やっぱり、平凡受けがいいな。書きやすいし。でも、主人公もちょっとクセのある感じで、」

 

なにせ、受けすらあやふやなこの状態で、五十手先までエピソードが出来上がってしまった程だ。久々。こんな感覚。

 そうやって、新人の茂木君に見惚れながら妄想に勤しんでいると、いつの間にか目の前にマイクが差し出されていた。

 

「……大豆君?次だよ」

「っ!」

 

 新人の紹介を終えた副所長が、心配そうな顔で俺を見ている。どうやら、新人の紹介はいつの間にか終わっていたようだ。

 

「あっ、あっ!」

 

俺は大混乱の中、副所長からマイクを受け取ると、手にしていた手作りの台本へと視線を落とした。

どこだ?どこを読めばいい?今はどこだった?何が終わった!?

 

「っは!はい!今週の、司会者の、も、目標は!」

「大豆クン!だから次は所長の話だって」

「あっ、そ、はい!所長のお話です!所長は、手短に話します!」

「なになになに!何言ってんだい!?大豆クン!」

 

 ヤバイ、もう大混乱だ。

 俺は、あまりにも混乱し過ぎて「司会者の目標は手短に!」と隅にメモしていた自分用の覚書きを間違って読んでしまっていた。

 

「ぁ、あ、う」

「大豆クン!大丈夫!?次は所長の、」

 

隣で課長が何か言い募ってくるが、全然頭に入ってこない。

 

「ダイズー!所長に怒られるぞー」

「ダイズ君頑張ってー!」

 

 周囲から笑い声や、課の皆の声が聞こえてくる。しかし、俺はといえばそんな事を気にしている余裕は一切なく、台本の読む箇所を必死に指で追おうとした。

 しかし、

 

「うわっ、手にマイクがある!」

「今更どういう驚きなのかな!?」

 

 マイクを持ってしまったせいで、指で台本を追えない。これじゃあ、どうやって今読んでる行を把握すればいいんだ?

どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう!

 そして、次の瞬間。混乱し過ぎて俺は思わず顔を上げてしまった。

 

「っう、うわ……」

 

 百五十人分の視線が、全て俺に注がれていた。所長も、副所長も、課の皆も。そして、あの攻め予定の茂木君も。

 

「あ、あぁぁ、えっと……!」

 

 あぁぁぁっ!わからない!どうすればいい!皆、すごいコッチ見てる!見てる見てる見てる……

 

 俺!見られてる!

 

「こ、こ、こ、これで朝礼をっ、終わります!」

 

 この場から離れたい一心で、始まったばかりの朝礼を強制終了させた。頭を下げた瞬間、手にもっていたマイクに額がぶつかった。

 

 ゴンッ!キーン!

 額の痛みと、スピーカー越しに凄まじい殴打音が事務所全体に響き渡る。シンとする大会議室。

 

「大豆クン……」

 

 隣からは、頭を抱えるような課長の声が聞こえる。

 

 あぁ、完全に終わった。

 入社して四年目。新人と呼ばれる年齢は、とっくの昔に過ぎ去った。

 大豆 亀太(だいず かめた)。二十六歳。

 

 

 新年度から、全社員の前で大いにやらかしていた。