俺は昔から注目されるのが、大の苦手だった。
緊張して、何が何だか分からなくなる。今朝の俺がまさにそうだ。所以、俺は“出来ないヤツ”なのである。
でも、そんな俺にも一つだけ……人より、ちょっとだけ出来る事があった。
『大豆君は作文が上手だね』
『……っ!』
作文だけは、いつも先生に褒めて貰えた。
自分の思った事を文章に書くのは、あんまり苦手じゃなくて。うん。すこし、得意、だったかもしれない。
だから、大学生になって、俺はコッソリ小説を書き始めた。
オリジナルのBL小説を。そう、俺は、ボーイズラブが好きだった。
ーーーーーーー
件名:キッコウです。
メール:kikkou@ahoo.co.jp
豆乳さん。
いつもの如く、語彙力の無い感想ですみません。今回の更新分も大変素晴らしかったです。
最初の主人公のあのセリフ。まさか、あれが最後のセリフへの伏線なんて予想もしませんでした。毎度の事ながら、豆乳さんの会話文の描写は素晴らしいです。特に、受けの当意即妙な言い回し、台詞に含まれた伏線の緻密さには舌を巻きます。だから、あの時主人公は――
(中略)
次回も凄く楽しみです。でも、あまり更新は無理されないでくださいね。
寒くなってきました。風邪などひかれませんよう、ご自愛ください。
キッコウ
ーーーーーーー
『キッコウさんからの感想だ!』
キッコウさん。
俺が大学時代に運営していた個人サイト【まろやか毎日】に、定期的にメールで感想をくれていた読者さんだ。
ちなみに【豆乳】というのが、当時の俺のハンドルネームだ。
『今回の感想も、難しい言葉がたくさん書いてあるなぁ……とうい、そくみょう?』
いっつも「語彙力なくてすみません」なんて遠慮がちな言葉から始まる感想は、どう考えても俺より語彙力があった。
感想の中にポツポツ現れる、難しくて意味の分からない言葉達。だから俺は、キッコウさんの感想を読む時、いつも携帯片手に分からない言葉を調べるのが習慣になっていた。
『とうい、そくみょう……その場にうまく適応した即座の機転をきかすさま。へぇ。でも、俺、そんな、とうい、そくみょうな台詞、書いたっけ?』
小説を書いてはいるが、俺は決して語彙力がある訳でも、凄い物語を書いているワケでもない。きっと、受け取ってくれるキッコウさんが、俺のお話を“凄く”してくれているのだ。
『はぁっ、次回も、凄く楽しみだって。明日もバスの中で書こう』
丁寧で、凄く一生懸命なその文章は、まるでキッコウさんの人柄そのものだった。まぁ、会った事も、もちろん見た事もないんだけど。それでも、思う。
『キッコウさん、優しい。好きだ』
人気なんてまるでない個人のBLサイトで、こんな熱心な読者さんが付いてくれるなんて奇跡みたいな話だ。
それに、現実世界で、こんなに褒めて貰える事なんて、滅多にな……いや、皆無だ。だから、物凄くありがたくて仕方がない。
『返事かこ!』
だから、俺もいつも一生懸命、返事を書いた。
注目されながら人前で喋ったり、理路整然と何かを解説すしたりするのは苦手だったけど、文章で気持ちを伝えるのは、少し得意。
そうやって感想とお返事のやり取りをしていくうちに、ある日、キッコウさんから提案された。
ーーーーーーー
豆乳さん。サイト用のSNSのアカウントは作らないんですか。
ーーーーーーー
『サイト用のSNSか……あんまり気乗りしないなぁ』
なにせ、男でBL小説を書いてるなんて、知り合いに知れたら大事だ。簡単に投稿出来てしまう分、どこでボロが出てしまうか分からない。
『それに、そんなの作って、文章が下手くそだってディスられるのも嫌だし』
そう、今までも、荒らしや晒しのせいで、大好きな小説サイトがいくつも閉鎖してきたのを見てきた。
だから、俺のサイトにはレビューも拍手コメントも設置してない。
唯一あるのは、firstの下の方に、小さく設置したメールフォームくらいである。ただ、それも見えにくいように文字色を薄くして、フォントも最小サイズにしてある。
キッコウさんは、いつもそのメールフォームから感想を送ってくれるのだが、よくも見つけられたモノだと思う。
そんな俺に、キッコウさんは提案してくれた。
SNSアカウントを作りませんか、と。
ーーーーーーーー
アカウントに鍵さえかければ、豆乳さんの許可した人しか中を見る事は出来ません。例えば、私のアカウントだけ許可してもらえれば、私だけにしか見られません。
そうなれば、もっと豆乳さんに小説の感想を送りやすくなるなと思ったんですけど。
ダメでしょうか?
ーーーーーーーー
私だけ。
感想を送りやすくなる。
その二つの言葉に、俺の心は一気に動いた。キッコウさんだけに見られるアカウントなら、怖くない。大人数は苦手だけど、好きな相手と二人だけなら、まだ平気だ。
ーーーーーーーー
キッコウさんだけしか、見られたくありません。
ーーーーーーーー
キッコウさんの事は信用していたが、一応念を押しておく。
ーーーーーーーー
もちろんです。絶対に誰にもお伝えしたり、晒したりなんかしません。
ーーーーーーーー
『……キッコウさんが、そう言うなら』
既に数ヶ月もの間、丁寧な感想を送り続けてくれていたキッコウさんだけなら、と俺は勇気を振り絞ってSNSのアカウントを作った。
フォロー1 フォロワー1
ーーーーーーーー
本当に、フォロワーは私だけなんですね。なんだか嬉しいです。
ーーーーーーーー
そうやって【豆乳】のSNSのアカウントはひっそりとこの世に誕生した。
『ふふ。嬉しいだって。絶対にキッコウさん以外はフォローしないでおこう』
それに、キッコウさんのSNSアカウントを覗いてみると、キッコウさんも俺と同じ状態だった。
フォロー1 フォロワー1
『キッコウさんも俺だけなんだ……!』
お互いしか居ないSNSアカウント。
明らかに俺をフォローする為だけに新しく作られたそのアカウントに、俺はホッとした。しかも、キッコウさんも鍵をかけている。
これで、俺への感想も他の人に見られたりしない。
『ちょっと、楽しくなってきた』
しかし、その三年後。
キッコウさんが突然消えてしまうなんて、その時の俺は思ってもみなかった。