7:このアカウントには、言い訳は存在しません

 

 

「っ!」

 

 

 その日、嫌な夢を見た。

再び、アカウントのフォロワーが0になる夢だ。

 

 昨日、俺は結局、更新出来なかった。そのせいもあって、今朝はキッコウさんからの感想メッセージも来ていない。仕方のない事だけど、夢の事もあって妙に気持ちがソワソワしてしまう。

 

 

「はぁっ」

 

 

 深い溜息と共に、今日も今日とて、俺は彼の待つミーティングルームの扉を開けた。

 

 

        〇

 

 

 

「あの、茂木君。コレ」

 

 俺は茂木君に一冊のファイルを手渡した。

 

「……なんですか」

 

目を細めつつ、茂木君は気だるげに此方を見た。少し声が出しにくそうだ。

 

「風邪引いたの?茂木君」

「……別に」

「昨日の夜、寒かったもんね。大丈夫?」

「……どう答えたら満足ですか?辛い?大丈夫?どちらか好きな方をお答えしますよ」

 

 喉が痛いせいだろう。喋る度に表情の歪む茂木君に、俺は「ごめん」と謝るしかなかった。確かに、「大丈夫?」なんてこの世で一番どうしようもない質問だ。

 

「あ。いや……あの、大豆先輩。これは、何ですか?」

「えっと、事務のマニュアルで」

「俺、マニュアルなら、もう持ってますけど」

「あ、違くて。これは俺が作ったヤツで」

「作った?」

 

 怪訝そうな顔でページを捲り始めた茂木君に、俺は緊張のあまりゴクリと唾を飲み込んだ。ちゃんと、説明しないと。

 俺は自分の掌を見つめながら、もう片方の指で掌をなぞった。

 

「うん、俺……喋るのは苦手、だけど。文章を書くのは、少し得意で……」

「……へぇ」

「あと、たくさん失敗もミスもしてきた、ので。それをマニュアルに、付箋で書いて、」

「……」

「ミスに繋がる、ポイントとしてまとめて、みました」

「……」

 

そう、昨日はコレを作っていたので、更新は見送ったのだ。

 せっかくキッコウさんに『文章で伝えてみたら?』とアドバイスを貰ったのだ。実践して、早く成果を報告したかった。

 

 昨日、バスの中で色々な事を話して思ったのだ。俺は、小説以外の事も、キッコウさんと話せるようになりたい。俺は、茂木君をキッコウさんと話す為の“ダシ”に使っているのだ。

 

「けほっ、けほっ」

「あ、だい……」

 

 茂木君が咳込む。「大丈夫?」と言いかけて、やめた。そんな聞いても無駄な事より、俺にはまだ伝えるべき事がある。

 

「茂木君は、もう、凄く出来る人だから、そんなの、いらないかもしれないけど……でも、」

「……」

 

 チラと掌を見て、指でなぞる。茂木君はマニュアルを見てる。

 

「ただ、ウチの会社ってマニュアルが多いし。覚えるの、面倒だけど、でも、それって何かの、ミスが起きて……問題が、起こったからルールとして、マニュアルが追加されたっていう経緯があるから、」

「……」

 

 そういえば、茂木君はずっと無言だ。これはキツイ。まるで大勢の前で喋っているようなプレッシャーがある。変な緊張感のせいで、呼吸が上手くできなくなってきた。

 

「っは」

 

——–かまってちゃんです。

——–寂しがり屋なんですよ。

 

 茂木君とキッコウさんの言葉が頭を過る。

うん、大丈夫。俺はネガティブなんかじゃない。だから悪い事は考えない。きっと茂木君は、喉が痛くて喋れないだけ。それで、俺は茂木君に構って貰えてなくて寂しいから、不安になってるだけなんだ。

 

そう、そうだ。だから、俺は悪い方になんて考えたりしない。

掌を、見ろ。

 

「マニュアルを、覚えるんじゃなくて。そのマニュアルが、出来た理由を分かって、守った方が、間違えがないと思う……ので」

「大豆先輩」

「っは、はい!」

 

 やっと茂木君が口を開いた。

やっぱり少し喋りにくそうだ。だから、大丈夫。顔が怖いのは、茂木君は喉が痛いから。俺に苛ついてるんじゃない。そう、大丈夫大丈夫。

 

 俺はネガティブじゃないから(以下略)

 

「こんなに、ミスしたんですか。今まで」

「……えっと」

 

 改めて聞かれると答え辛い質問だ。

付箋だらけのマニュアルを、一頁一頁丁寧に捲ってくれている。ただ、それを見る茂木君の目に、バカにした様子は見られない。

 

「そう、だよ」

 

 そう、そうなのだ。

俺はこの五年間、沢山のミスをしてきた。些細なモノから、取り返しのつかない問題に繋がる所だったモノまで。そりゃあもうこの会社に存在するミスは、全部やったと言っても過言ではない程に。

 

その、どれもこれもが、マニュアルの丸暗記のせいで、意味も分からず通りいっぺんに仕事をこなしていたせいで起こったミスだ。

 

「俺、たくさんミスしたよ。多分、それだけは五年後の茂木君にも負けないと思う」

 

 本当は、違うよって言いたかった。だって、少しくらい先輩として見栄を張りたかったし。でも、今更そんな些細な事で、彼に見栄なんて張っても仕方がない。

 

「全部本当に起こった問題だから、少しは役に立つかも。だから、時間がある時に、たまに読んでくれると……い、いと思って」

「……そうですか」

 

 言った!ちゃんと、どうしてコレが必要なのかと、出来るだけ読んで欲しい事も伝えた!掌はもう汗でびっしょりだ。

 

「っはぁ」

 

実は、台本も書いていた。掌と指に。それを、チラチラ見て言ってたんだけど、茂木君はマニュアルを見てたから気付かなかったみたいだ。

 

あ、でももう一つだけ絶対に伝えておきたい事があったんだった。

 

「茂木君、あの。最後にお願いしたいんだけど」

「……何ですか?」

「もし、ソレ。いらないって思って捨てる時は、ゴミ箱じゃなくて、面倒かもだけどシュレッダーにかけて欲しい」

「どうして」

「他の人に、見られるのが嫌だから」

 

 こんな自分のミスの記録を他の人に見られるなんて、考えるだけでも恥ずかしい。だから、

 

「茂木君だけしか、見られたくない」

「っ!」

 

 それまでマニュアルに目を落としていた茂木君が、勢いよく顔を上げた。珍しく、そこにはどこか間の抜けたような表情を浮かべる彼の姿があった。

 

「あっ!別に、間違った事は書いてないよ!嘘は、書いてないから!」

「……わかってますよ」

 

 喉に触れながら頷く茂木君に、俺は時計をチラりと見た。もう、一時間経った。今日は、いつもより早く感じる。頑張って喋ったからかもしれない。

 

 うん。俺、今日は頑張った。

 

「茂木君。今日は無理して電話取らなくていいからね」

「……なに言ってるんですか。出ますよ。体調管理も仕事のうちですから。自分の責任です」

 

 これは絶対に無理をしてでも電話に出るのだろう。茂木君は電話に出るのも早い。皆、助かるって褒めてる。

 

茂木君は、何でも上手にこなす。それに、堂々としてるから安心感もある。

入社して、まだ一カ月も経っていないのに、他の課の課長からも褒められていた。他の人達も、みんな茂木君を褒める。あと、格好良いから、よく飲み会にも誘われている。

 

 

『え!もう終わったの?茂木君、仕事早いね』

『あそこは何を言われても、折れたらダメなトコロだ。よく安易に頷かなかったな。えらいぞ、茂木』

『茂木君、今日時間ある?ね?飲みに行かない?』

 

 

皆して、茂木君茂木君って言って。茂木君を構う。俺は、そんな風に皆に構われた事なんて、人生で一回も無いのに。

 

『……いいなぁ』

 

電話対応も窓口対応も、事務処理も。仕事への態度も。ぜーんぶ、入社四年目の俺なんて軽く追い越されてしまった。

 もちろん、女の人からごはんに誘われた事もない。

 

でも、俺と違って茂木君は誰かに頼るのは下手くそだ。

 

『大丈夫?多いでしょ、ソレ。手伝おうか?』

『いえ、大丈夫です。お気遣い頂き、ありがとうございます』

 

それだけは、俺の方が断然上手い。

 

俺のお話に出てくる慇懃無礼な攻めのように、そろそろ誰かに頼っても良い頃だと思うのに。……例えば、受けとか。

 

「……」

 

 まぁ、現実世界に、茂木君の頼れる“受け”なんて、どこにも存在しない。だって、あれはただの作り話だから。現実なんて、そんなモン。

 

「……わかった」

「え」

 

 よし、今日の電話は俺が全部取ろう。少し帰りが遅くなってもいい。今日の更新分は、今朝のバスの中で書いてあるから。

 

 

「茂木君。今日は出来るだけ早く帰るんだよ」

「……」

 

 言いながら、俺は思った。

 小説の慇懃無礼な彼にも、風邪を引かせてみよう。攻めが弱る時。それは受けとの距離が縮まる時だ。

 

 

        〇

 

 

 昼休み。

 

俺はロッカーで、何度も何度もSNSの画面を開いていた。

 

———

豆乳   15時間前

俺も楽しかったです。キッコウさん、ありがとうございます。好きです。

———

 

「やっぱ、“俺”って書いてる……」

 

何度見ても、そのメッセージは変わらない。

それに、何で好きなんて書いてしまったんだろう。昨日は、嬉しくて気付かなかったけど、冷静になると気持ち悪い気がする。

 

でも、同じく何度見てもフォロワーには「1」の文字。良かった。キッコウさん、消えてない。

居ても立ってもいられず、俺から茂木君の件について成果報告をしてみる事にした。

 

「キッコウさんのアドバイスの通り、喋るんじゃなくて文章で伝えてみたら、マニュアル見てもらえそうです。ありがとうございます。これからも、続けてやってみます」

 

 その文章を送ったあと、その流れで、俺はもう一つメッセージを打ち込む事にした。

 

「俺、腐男子です。昨日、間違えて“俺”って書いてしまったので、バレてしまってると思うのですが。ごめんなさい、気持ち悪かったら、フォローを外して貰って……」

 

 と、ここまで書いて、一旦手を止めた。

 

「……これは、ダメだ」

 

 こんな暗くて後ろ向きな書き方をしたら、キッコウさんも困るだろう。気を遣って、俺の事を“寂しがり屋”だって言ってくれたけど、こんな事を書いたら、それこそ“かまってちゃん”だと思われかねない。

 

「~バレてしまってると思うのですが。もし、嫌でなければ、これからも仲良くしてください」

 

 これでいい。

 あとは、仕事が終わるまでもうスマホは見ない。

 

 

「けほっ、けほっ」

 

 

 ロッカーの外から、茂木君の咳込む声が聞こえる。痰がつまったような咳で、聞いていて痛々しい。

 

「……大丈夫かな」

 

 そう、呟いた瞬間。記憶の中の茂木君が答えてくれた。

 

『どう答えたら満足ですか?辛い?大丈夫?どちらか好きな方をお答えしますよ』

 

「ごめん、大丈夫じゃないよね」

 

 昼休みはもう少しだけ時間がある。どうせなら、コンビニでのど飴でも買って来よう。このままスマホを持っていると、変にソワソワして気分が落ちこみかねない。

 

「……キッコウさん、返事。くれるかなぁ」

 

俺はポケットに財布だけを放り込むと、走って事務所を出た。遠くから、茂木君の咳の声が、小さく聞こえた。

 

 

        〇

 

 

 どうやら、俺が茂木君に勝てるモノが、もう一つあったらしい。

 

 

「はい。営業三課の大豆です」

 

 

 その日、俺は光の速さで電話を取った。電話が光った瞬間に取る。もちろん、音すら鳴る前に。これは新人の頃に嫌という程やってきた事だ。だから、少し得意。

 今のところ、茂木君には負けてない。

 

「大豆クン、今日は何だか気合が入ってるねぇ」

 

 のんびりした口調で課長が俺に声を掛けてくる。

 

「あ、はい」

「感心感心。何年経っても、お客様第一の心は忘れちゃダメだからねぇ」

「……」

 

いや、暇なら課長も電話に出て貰ってもかまわないのだが。まぁ、出ないと思うけど。

 

「でもね、大豆クン。自分の仕事もあるんだし。程々にね」

「……はい」

 

 はい、とは答えつつ、俺は課長の言う事なんか聞くつもりはなかった。

 

 いいんだ。だって、俺は独身だし。実家暮らしだし。風邪も引いてないし。今日の更新分のお話も、もう作ってあるし。全然、いいんだ。

 

 後ろから、茂木君の咳こむ音がする。その瞬間、また電話が光った。

 

「営業三課、大豆です。はい、はい、承知致しました。担当にお繋ぎ致しますので、少々お待ちください」

 

 

 茂木君。俺の買って来た飴は、舐めてくれているだろうか。

きっと、俺が直接渡したりしたら、きっと貰ってくれないだろうから、野田さんに代わりに渡してもらうようお願いした。

 

 もちろん、俺が買って来たっていうのはナイショで。

 

「営業三課、大豆です。はい。はい……あっ、大変申し訳ございません!」

 

 野田さんは感情の“機微”の分かる人だ。だからきっと、

 

 

「げほっ、げほっ!」

 

 

 俺と違って上手に、茂木君に飴を渡してくれただろう。

 

———

——-

—-

 

 

「……つ、疲れた」

 

 

 その日、電話に出過ぎた俺は、自分の業務が完全に滞ってしまっていた。そのせいで、結局パソコンを落としたのは九時過ぎ。

 

「っ!バスが来る!」

 

バスの最終は、九時半。急いでバス停に向かわないと、タクシーで莫大なお金をかけて帰る羽目になる。

 

「急がないと……!」

 

 キッコウさんの返事も気になるが、今はスマホをゆっくり眺めている暇もない。ともかくバス停に走らなければ。そう、俺が、自分のロッカーに手をかけた時だ。

 

「え?」

 

 ロッカーに、一枚の付箋が貼ってあった。

 

——–

のど飴、ありがとうございました。

——–

 

まるでパソコンで書いたような、揺れも歪みもないまっすぐな文字。こんなの、誰が書いたかなんて一目瞭然だ。

 

「……うそ」

 

しかも、その付箋の隣には、俺の買ってきたのど飴が一つ、テープで貼り付けられていた。

 

「野田さん。言わないでって言ったのに……」

 

 そう、不満そうに口にした……つもりだった。しかし、漏れ出た声は全然不満そうなんかではなく、むしろ酷く浮ついているように聞こえた。

 

「……やっぱり俺、かまってちゃんだ」

 

どうやら俺は、茂木君に構って貰えて、凄く浮かれてしまっているようだった。

 

「っあ!バス!」

 

 しかし、喜びに浸ってばかりもいられない。ひとまず、俺は運動不足の体を目一杯動かし、バス停まで走った。SNSにキッコウさんからメッセージが来ているか確認するのは、バスに乗ってからだ。

 

「っふへ!」

 

 思わず変な笑い声が漏れる。

 うん、今日は残業だったけど、凄く良い日だった。

 

 

 

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