1:勇者ヒスイは石化した。

 

 

 

その日、勇者ヒスイは、にっくき魔王の手によって石にされてしまった。

 

 

 

「っうわぁぁっ!」

 

「ヒスイ!」

「早く回復を!」

「ヒーラー! 早く! ヒスイの状態異常を解いて!」

 

魔王による石化の呪いが、ヒスイの足元から徐々に自由を奪っていく。意思を一切反映しなくなった体に、ヒスイはこれまでの人生で一度も感じた事のない程の焦りを覚えた。

 

「っくそ!」

 

もう少しで倒せると思ったのに!

ヒスイは大腿部まで石化の進行した自らの足を勢いよく殴りつけた。しかし、殴りつけた足にその感覚は無かった。むしろ、殴った手の方に鈍い痛みが走る。

 

「畜生! なんだよ! こんなのアリかっ!」

 

何度も何度も負けては撤退してを繰り返し、やっと魔王に一太刀浴びせる事が叶った。足元に倒れ込んだ魔王に、それまで一切見えてこなかった“勝ち筋”すら見たと思ったのに。

 

それなのに――。

『うそ、だろ……?』

 

何の事はない。ずっと倒そうと躍起になっていたのは、魔王の手下で、本物の魔王は別に居たのだ。

しかも、現れた“本物の魔王”の強さは手下の強さの比ではなかった。手も足も出ない。現れた瞬間、ヒスイも仲間達も地面に倒れ伏していた。こんなの反則だ。

 

それはさすがにあんまりだと思った。

 

「っぐ!クソッ!体が……おいっ!ヒーラー!さっさと治療しろっ!このノロマっ!」

「さっきから解除魔法をかけてます!ただ!全然効かないんですよ!」

「効かないじゃ済まないだろうが!この役立たず!おいっ!はやっ……」

 

早くしろ! そう言おうとしたが、最後まで口にする事は出来なかった。ヒスイは完全に石にされてしまったのだ。魔王の放つ強力な石化魔法は、ちょっとやそっとの回復魔法では解除出来なかったのである。

 

「ヒスイっ!」

「くそっ! こんなの倒せるワケねぇ!」

「どうしようっ! 私、死にたくない!」

 

リーダーであるヒスイが石になった事で、最強と呼ばれた勇者パーティは一気に戦意喪失してしまった。そんな状況の中、仲間達の気持ちが一つになった。

 

逃げるなら今だ、と。

 

ヒスイを石にした直後、何故か魔王は倒れた手下を介抱していたのだ。この機を逃せば、自分もヒスイのように石にされてしまう。

 

「お、俺は逃げますよっ! こんなの付き合ってられない!」

「ちょっと! 待ってよ!」

「おいっ! 置いて行くな! 俺も行く!」

 

(おいっ! 何逃げてんだ! お前ら! おいっ!)

 

石化したものの意識だけはハッキリしていたヒスイは声無き声で叫んだ。そりゃあもう必死に。しかし、仲間達は誰一人として、立ち止まるどころか振り返ろうともしなかった。

 

(クソクソクソクソッ! あの役立たず共がっ! 特にあの無能ヒーラーめっ! 石化も解けねぇなんて、あんなヤツ仲間にするんじゃなかった!こんな事なら……!)

 

動かない体の癖に、頭はえらくハッキリしている。

こんな事なら……と、そこまで考えて頭の中に浮かんだのは、ヒスイのたった一人の幼馴染だった。どこかぼんやりした性格の彼は、今どこで何をしているのか。

 

しかし、思い出の中へ現実逃避など、今のヒスイには許されていなかった。

いつの間にか目の前に“本物の魔王”が立って居たのだ。此方を見下ろす琥珀色の目は、どこまでも冷たく、そして怒りに満ちていた。

 

(っ! 殺される……!)

 

怖い。そう、ハッキリと命の危機を感じた。ヒスイはその時、生まれて初めて腹の底から恐怖を覚えたのだ。自分がこの世から消えてしまうという、死の恐怖を。

 

(なんだ……?)

 

しかし、結果的にヒスイは殺されたりはしなかった。なにやら、倒れていた手下が魔王に進言している。どうやら俺の代わりに命乞いをしているようだ。訳がわからない。

 

(一体どうしたっつーんだよ)

 

イマイチ状況の掴めない中、魔王は手にしていた剣を引いた。少し不満そうだ。

そして、冷たい目はそのままに石になったヒスイの体を片手で軽々と持ち上げると、そのまま一気に魔王城から飛び出した。いつの間にか外は夜になっていたようで、空には大きな満月が浮かんでいる。

 

(どこへ行く気だ?)

 

不安と恐怖に苛まれながら、ヒスイは魔王と共に夜空を飛んだ。石となった体では何の抵抗も出来ない。しかし、“その時”は突然訪れた。

 

(っは!? 嘘だろ!おいっ!)

 

魔王は容赦なくヒスイの体を空中に放り投げると、そのまま自分は元来た方へと飛び去って行った。もちろん、魔王はヒスイの事など振り返ったりしない。

 

(はぁぁぁぁっ!?)

 

重力に従い真っ逆さまに落ちていくヒスイの体。そして、その石となったヒスイの体は街道の脇に鈍い音を響かせて墜落した。痛みはない。なにせ石だからだ。

 

(嘘だろ……? どうすんだよ、コレ)

 

せめて上を向いて倒れ込めば良かったものの、ヒスイは地面に顔を付けた状態でその場に倒れ込んでいた。おかげで視界は草と土に覆われている。もちろん、立ち上がる事は出来ない。

 

(……誰か、助けてくれ。お願いだ。誰か)

 

動く事はおろか、声も上げられない。今や、魔王を前にしたような強い恐怖はないが、残るのは漫然とした不安。このまま自分はどうなってしまうんだ。そんな中、ヒスイが思い出したのは、やはり一人の幼馴染の姿だった。

 

『ヒスイー!怪我したの? 回復するよ!待ってて!』

 

ヒスイのパーティーには、もう一人ヒーラーが居た。

石化を治療出来ず、あまつさえ真っ先にヒスイを見捨てて逃げ出したヒーラー。彼の前にもう一人だけ居たのだ。しかし、その彼は魔王を前にした時、そのパーティには居なかった。

 

『ヒスイ、俺はもういらない?』

 

旅の始まりから共にあった幼馴染のヒーラーを、ヒスイは『役立たず』と言ってパーティから追放したのである。

 

『ああ。お前なんかいらねぇよ。この役立たず』

 

ヒスイは勇者の血筋を引いていた。それを由緒ある尊い生まれだと、誇りに思い生きてきた。

 

勇者の血をひく者は、十八歳を迎えると王様より魔王討伐の使命を課せられる。魔王を倒せるのは勇者の血を引く者だけだからだ。

生来戦いのセンスに光るモノがあったヒスイは、成長するにつれ、周囲からは惜しみない賞賛を浴びるようになった。実際に数多の強敵を苦も無く倒せるようになり――。

 

そして、思ったのだ。

 

なんで、こんな大した回復魔法も使えないヒーラーを連れて旅なんかしてるんだ?と。自分は凄い人間で、コイツはただの役立たずなのに。それを、幼馴染だというだけで連れ回してやる義理などない。勇者パーティに入りたい優秀なヒーラーなど世に腐るほど居るに違いないのだから。

 

ヒスイは“勇者の血”に驕っていたのだ。

 

『新しいヒーラーは用意した。もうお前なんかいらねぇよ』

『……分かった』

 

静かに頷いた幼馴染は、ヒスイの前から姿を消した。ただ、その時の幼馴染の顔をヒスイはどうしても思い出せないのだ。

 

(どうして今、俺はこんな事を思い出してんだ……?)

 

その答えは、何故かヒスイにも分からなかった。

 

 

        〇

 

 

勇者ヒスイは石になった。

一切の体の自由が利かない中、時間だけが刻々と過ぎていく。

 

(おいっ! 誰か助けてくれ! 俺は勇者だ! 勇者のヒスイだ!)

 

道の脇に突然現れた石像に、街道を通る人々は最初こそ何だ何だと興味を示した。しかし、そのうち石像はソコにあるのが当たり前の、それこそ道に転がる石ころ同然になった。

 

(クソッ! 俺を置いて逃げやがって! アイツら全員タダじゃおかねぇ!)

 

時に、旅に疲れた人々の腰かけ椅子になったり。時に、むしゃくしゃした通行人に唾を吐きかけられたり。酷い時には剣の修行の一環だと言って、何度も何度も切りつけられた事もあった。

 

(クソ、クソクソクソクソ!)

 

通りすがりの犬に片足を上げられた時は、心の底から(やめてくれっ!)と懇願した。しかし、ヒスイの願いも虚しく彼の顔には、生暖かい液体が目元を伝って流れていった。

最悪だった。

 

(……クソが)

 

そんな酷い仕打ちの中、ヒスイの心を最も傷付けたのは街道を通る人々の言葉だった。

 

『勇者ヒスイ? あぁ、アイツは魔王を前に逃げ出したらしい』

『そうなのか? 勇者の風上にも置けねぇヤツだな』

『元々、評判も悪かったからな。パーティーメンバーは全員、アイツのせいで酷い目に合ってきたと言っているらしい』

 

(なんだよ! それ!)

 

違う! アイツらが役立たずだったんだ! そう叫びたかった。けれど、口を動かそうにも体が動かない。なにせ、ヒスイは石なのだから。

その中で、ヒスイの心を崖底に突き落とす噂が流れ始めた。

 

『次の勇者一行は凄いらしい! 特にヒーラーが凄腕らしいんだ!』

『へぇ、そのヒーラーの名前は?』

『えっと、確か――』

 

***

 

(っ!ウソだろ……?)

 

それは、自分が役立たずと言って追い出した幼馴染のヒーラーの名だった。

そこから次々と聞こえてくるのは、幼馴染と新しい勇者一行の英雄譚。仲間想いの勇者は、パーティーメンバーからとても慕われており、それはもう素晴らしい人格者らしい。そして、ヒーラーとは恋人同士だとも言っていた。

 

『俺らぁ、勇者一行に会った事があるんだけどよ。あれはもう仲が良いなんてモンじゃなかったぜ。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい、勇者様はヒーラー様にゾッコンさ!』

 

耳を塞ぎたかった。けれど、耳を塞ごうにも体が動かない。なにせ、ヒスイは……。

 

(なんだよ! 俺と一緒に居る時は役立たずだった癖に! つーか、どいつもコイツも全員役立たずだったんだ! 俺は悪くねぇ! 俺は悪くねぇ! 悪くねぇ!)

 

『ヒスイ、大丈夫? 痛い? オレね、今ヒールの特訓中なんだ。上手に出来るようになったらヒスイのケガもすぐ治せるようになるよ!』

 

弱かった筈だ。ぼんやりしていて、自分が付いていてやらなければ何も出来ないグズだと思っていたのに。それがどうだ。今のこの姿を見たら幼馴染は何と言うだろうか。

 

(……いや、今の俺なんて見ても気付きもしねぇだろうな)

 

もしかしたら、今頃新しい勇者と魔王を倒している頃かもしれない。それにひきかえ、自分はどうだ。何も成し得なかった。

 

(もしかして俺が一番。役立たずだったのか……?)

 

 

勇者ヒスイは石になった。

その間も刻々と時は過ぎていく。季節は巡り、雨の日も風の日も雪の日も、ヒスイはたった一人で草と地面を眺め続けた。ヒスイの体は長い年月を経て、汚れ傷ついていった。

そうやって、どのくらいの時が過ぎただろうか。百年ほど時が過ぎた頃の事だ。

 

 

ヒスイは百年ぶりに青空を見た。

 

 

「かっこいー!」

(っ!)

 

幼い子供が、ヒスイの視界いっぱいに映り込んだ。大きな目を、これでもかとキラキラさせている。しかし、別にどうってことない。それは、本当にどこにでもいるような平々凡々な子供だった。

子供は土で汚れたヒスイの頬を優しく払うと、小さな体で一生懸命ヒスイの体を立ち上がらせた。ヒスイは、百年ぶりに立ったのだ。

 

「やっぱりかっこいー! 勇者様みたいだー!」

(……なんだ、このガキは)

 

何が楽しいのか一切分からない。しかし、子供はヒスイの体に一生懸命抱き着くと、嬉しそうに言った。

 

 

「えへへ。うちに持って帰ろー」

(は?)

「でも、このままだと重いなー」

(ちょっ、お前。何を……)

「あ! そうだ! オレ、昨日ね? 軽くする魔法を覚えたんだよ! ホントだよ! うそじゃない! 見てて!」

 

言うや否や、子供は口元だけポソポソと動かしながら何かの呪文を詠唱し始めた。微かなマナの“気”がヒスイの頬に触れるのを感じる。

 

「せいなる、つばさよ、ここにまいおりて、このものの、くさりを、たて!」

 

つっかかり過ぎて詠唱になるのか危うかったが、それでも少年は得意気に言い放った。その瞬間、ヒスイの体に柔らかく温かい感覚が纏われる。

 

(これは……)

「よし! これで軽くなった!」

 

確かに少年の言葉通り、ヒスイは軽くなったようで少年はヒスイの体を軽々と持ち上げた。しかし、それでも自分よりも倍以上あるヒスイの体だ。少年は数歩歩いたところで「うーん」と唸り声を上げた。

 

「歩きにくい……」

(お前、一体何なんだ?)

「これじゃあ、家まで時間がかかっちゃうね? どうする? 一緒に考えて?」

(家? おい、お前。俺を連れて帰ってどうするつもりだ)

「あ! それは良い考えだね? キミは頭が良いよ! エライエライ!」

(さっきから何なんだよ!? コイツ! ちょっと怖いんだが!)

 

そして、またしても思いついたとばかりにパッとその表情を明るくした。どうやら、少年の中では、ヒスイが何かを提案した事になっているらしい。

 

「こうした方が早いね! 行こう!」

 

次の瞬間、ヒスイは再び地面に寝転がされていた。そして――。

 

ゴロゴロゴロゴロ。

(おいおいおいおいっ!?)

 

「よいしょっ。っふう。うちに帰ったらキレイにしてあげるねー!」

 

街道の石畳の上を勢いよく転がされながら、ヒスイは魔王と共に夜空を飛んだあの時の事を思い出した。

 

 

(俺は、一体どうなるんだ……!?)

 

 

そう、勇者ヒスイは石になり百年後。

 

見知らぬ少年にお持ち帰りされてしまったのだ。