勇者ヒスイは転がっていた。
ゴロゴロゴロゴロ。
(何だ何だ何だ!?)
ヒスイの石像を拾った少年。彼は名前をヘマタイトと言った。
「おい、またヘマタイトが何か変な事してるぞ」
「仕方ねぇよ。ヘマはみなしごだ。親が居ないとあぁなっちまうんだろうよ」
「可哀想だけど、あれじゃあねぇ」
通称ヘマ。
まだ十歳と幼いヘマだったが、早くに親を亡くし村外れの小屋にたった一人で暮らしていた。そんなヘマを、村の大人達はみな哀れに思っていたが、当のヘマがあまりにも突拍子もない行動ばかりをするので、困ったもんだと眺めるのが常だった。
「おい! ヘマ!」
「サンゴ!」
村の中を大きな石像を転がしながら歩くヘマを遠巻きに見つめる村人達の中から、一人の活発そうな少年がヘマに駆け寄って行った。彼の名はサンゴ。ヘマの幼馴染だ。
「なぁ、ヘマ。お前何やってんだよ! また、そんな変な事して!」
「サンゴ! 見て! かっこいい石を見つけたから拾ってきたんだー!」
「……かっこいい石?」
「ほら、勇者様みたいなんだよ!」
「えぇ。そっかぁ?」
「よく見てよ! それに顔がサンゴにも似てる気がする!」
ヘマの言葉に、サンゴと呼ばれた活発そうな少年がヒスイの顔を覗き込む。意思の強そうな赤茶色の瞳が、石になったヒスイを映し出した。至近距離にある子供の顔。それを前に、ヒスイは思った。
「ぜんぜん似てねぇし!」
(全然似てねぇじゃねぇか!)
「そうかなぁ。オレは似てると思うけどなー」
「ヘマ。お前、こんな汚くてデカイ石どうすんの?」
「家に持って帰ってキレイにするよ!」
「そして?」
「オレの家族にする!」
まるでそうするのが当たり前だと言わんばかりに口にしたヘマに、サンゴとヒスイは同時に目を剥いた。
「はぁ?」
(はぁ?)
「ふふ。いいでしょ! オレにもやっと家族が出来た! 早くキレイにしてあげたいから、もう行くね! ばいばい! サンゴ!」
ゴロゴロゴロゴロ。
ヘマはサンゴに手を振ると、またしても一生懸命ヒスイを転がしながら歩いた。その間も、ヘマは喋るのを止めない。どうやら、ヘマはとてもお喋りな子供のようだ。
「さぁ! 帰ろう! 帰ろう!」
(やかましいガキだな)
「あ! さっきのはオレの幼馴染のサンゴだよ! 格好良いでしょ!」
(そんな事はどうでもいい。ガキ、さっきのはどういう事だ。家族って……)
「あ、そうだ。ここ階段があるんだった。どうしよう。キミは大きいからなぁ」
(は? 階段だと?)
「まぁ、いっか! 下りの階段だし! 先に行ってて!」
(はっ!? おいおいおいっ!)
次の瞬間、視界が驚くほど回転した。
ゴロゴロゴロゴロ!
ヒスイの体は階段の段差を飛び跳ねながら勢いよく落ちて行った。ヒスイはヘマに突き落とされてしまったのである。
(か、家族って何なんだ……?)
落っことされたショックで、ヒスイが茫然とそんな事を思っていると、ご機嫌なヘマの声が追いかけてきた。
「上手に落ちたねー! えらいよー!」
(コイツ、怖すぎるんだが……!?)
笑顔で駆け寄ってくるヘマに、お前は家族を階段から突き落とすのか? と詰め寄ってやりたかったが、そんな事出来る筈もない。なにせ、ヒスイは(以下略)
「サンゴはね、勇者のまつえい? なんだよ! 大きくなったら魔王を倒しに行くんだって」
(勇者の末裔? アイツが? おい、今は何年だ。まだ魔王は倒されていないのか?)
「だから、オレも大きくなったら一緒に魔王を倒しに行くんだー! でも、まだまだずっと先! あ! そうそう! 今日は昨日貰ったバブの肉を焼いて食べるよ! 味は塩味!」
(クソ、これじゃ埒が明かねぇ)
ヘマのお喋りは二転三転し続けた。お陰で一切話が通じない。
しかしそれはヒスイが石だからではなく、きっと人間だとしても同じだっただろう。だからこそ、ヘマは村人達からも遠巻きにされているのだ。ヘマは人の話を聞かない子だ。
でも、それに対しヘマは気にした様子はまるでない。ずっとニコニコしている。
「あのね、オレの魔力は回復魔法に向いてるって言われたんだー! だから、まずはヒールから練習してー……あ、ついた!」
(ここは……)
転がされていた体がピタリと止まる。そして、ちょうど横たわるヒスイの目に飛び込んできたのは、オンボロの小屋だった。なにも言われなかったら、廃屋だと思ったに違いない。そのくらい、ヘマの家はボロボロだったのだ。
「さ! 今からキミをお風呂に入れるよ! 待ってて!」
(風呂? 風呂に入れてくれるのか?)
風呂などいつぶりだろう。ヘマの言葉にヒスイが微かな希望を胸に湧き上がらせた時だった。
「えーい!」
(っうおおおおい!?)
ヒスイの体はすぐそばを流れる川の浅瀬へとぶち込まれていた。水しぶきが空中に激しく舞い、微かに虹を作った。
まぁ、そんな事だろうと思っていた。
(あーー、虹なんて久々に見たわ)
ヒスイは、考えるのをやめた。ヒスイは頭の片隅で「もしかしたらこのまま川に沈められるかもな」なんて最悪の事態すら考えたりもしたが、最早どうでも良かった。
ただ、そこからはさほど悪い事態にはならなかった。
「キレイな目だねぇ」
(……)
ヒスイの体は水の中でヘマによって、優しく優しく洗われた。
「ふふ。格好良いね。本当に勇者様みたいだ」
(……俺は勇者なんかじゃねぇよ)
ガタガタの道を長い間転がされ、階段を転がされ、川に投げ込まれたにもかかわらず、ヘマはヒスイをまるで生きている人間のように触れた。髪の毛は毛の流れに従って指で擦られ。顔は赤子の体に触れるようにそっと布で拭われた。
「今日からキミはオレの家族だよ」
(家族……)
こんな風に話しかけられたのはいつぶりだ。こんな風に生きてるかのように触ってもらえたのはいつぶりだ。こんな風に、優しい目で見て貰えたのはいつぶりだ。
ヒスイは目の周りを優しく布で擦られながら、ぼんやりと思った。
「キミ、名前は何ていうの?」
(……ヒスイだ)
「そっか、イシって名前なんだ。そのまんまだね。でも分かりやすくて、とっても良い名前だと思うよ」
(……)
「オレはヘマタイト。ヘマでいいよ。よろしくね、イシ君!」
(コイツ、怖いんだが……)
ただ、やはり言葉は通じなかった。それはヒスイが石だからなのか、ヘマが話の通じない子供だからなのか。どちらなのかは定かではなかった。
「全部きれいにするからねー! イシ君! キレイになれ! ヒールだよ!」
(あーー、もうどうにでもなれ)
勇者ヒスイは洗われた。少し変わったヘマという子供の手によって。そりゃあもう、全身くまなく。
「金ピカになった!」
(……ハーー)
ヒスイは川に映った自分の姿に思わず深い溜息を吐いた。百年ぶりの自分の姿は、確かに驚くほどに完璧な「石」だった。