(この家、ヤベェんじゃねぇか?)
あれからどのくらいの年月が経っただろう。
強風に軋む古い家屋に、ヒスイはそんな事を思った。今日は風が強い。季節的に疾風でも来ているのかもしれない。
(ヘマ。お前が帰ってくる頃には、俺はこの家の下敷きになってるかもしれねぇぞ)
冗談抜きでそう思う。
(そん時は、お前が家ごとヒールでもかけてくれや)
誰も居ない家。開かれる事のない扉。
ヘマと過ごしたあの八年間が、どれ程賑やかだったかヒスイは実感しない日はなかった。
(ヘマ。サンゴとは仲良くやってるか? 見苦しいなんて言われて泣いてないか?)
そしたら、俺が怒ってやるから言えよ。まぁ、体ごと倒れ込んで下敷きにしてやる事くらいしかできねぇけど。
なんて。
ヘマが居なくなってからのヒスイは、まるでヘマの独り言が移ってしまったかのように、心の中のヘマに話しかけ続けた。
(そういや、こないだ天上からネズミが落ちて来たぜ? 俺の肩に乗ってきやがった。最悪だ)
こういう事かと、ヒスイは心底納得した。もしかしたら、あの時のヘマもちゃんと心の中に“誰か”ではなく、“イシ君”を住まわせながら話しかけていたのかもしれない。
(でも、まぁこの家には何も食いモンなんかねぇからな。すぐどっか行ったぜ。お前が居なきゃこの家にはネズミすら寄り付かねーんだ)
ヘマが居なくなって最初は日にちを数えたりもした。けれど、それもすぐにやめた。そんな事をしても無駄だと気付いたからだ。何日、何年経ったからヘマが帰って来るワケではない。帰ってくる時に、ヘマは帰ってくるのだ。
——–絶対に帰ってくるからねー!
約束した。だから、ヒスイは此処で待っていればいい。そう、ヒスイがガタガタと風に揺さぶられる家屋の音を聞いている時だ。
キイ。
扉が開いた。最初、ヒスイは余りの強風に勝手に扉が開いたのかと思った。けれど、違った。
(あ、ああ……)
「……ただいま。イシ君。かえってきたよ」
(ヘマ……! よく帰った! おかえり! ずっと待ってたぞ!)
そこには、随分と大人びたヘマの姿があった。ヘマが、帰って来たのだ。
(ヘマ、よく帰って来たな! 大丈夫か? 魔王はどうした? いや、いい。少し痩せたか?どこか具合の悪い所でもあるのか? おい、ヘマ!)
「……イシ君。きみは、ずっとここに居てくれたんだね。ありがとう」
ありがとう、と静かに口にしてヒスイの目の前に立つヘマは、どうも様子がおかしかった。出て行く時はあんなに溌剌として感情豊かだった筈のヘマが、今は無表情。そしてその目はどこかうつろだ。
(ヘマ?)
「なにが、ダメだったんだろうね。イシ君。オレは、サンゴが大好きなのに」
まるで“あの時”みたいな事を言う。
見苦しいと言われ、サンゴに背を向けられて家に帰ってきた、あの日のヘマのような。そんなヘマの姿に、ヒスイはハッとした。
(ヘマ……まさか、お前)
「サンゴに言われ、ちゃっだぁ」
そう言ってうつろな目に目一杯の涙を湛えて抱き着いてくるヘマに、ヒスイはあの日の自分の言葉が胸を突いた。
——–ヒスイ、俺はもういらない?
——–新しいヒーラーは用意した。もうお前なんかいらねぇよ
あの日の幼馴染の顔をずっと思い出せなかったヒスイは、ヘマによってその顔を知った。
「おれ、もう……いらないんだっでぇ」
(……ごめん。ごめんな。ヘマ)
ヒスイはサンゴの代わりにヘマに謝り続ける。たとえ自分の声が聞こえなくとも、謝らずにはいれなかったのだ。
「っぁあ゛ぁぁぁ!」
(……おかえり、ヘマ)
勇者ヒスイは、愛しいヘマを涙と共に出迎えた。