番外編13:勇者ヒスイは、ヘマの背中を見送った

 

 

 

 

「俺はいいわ。俺の時間は止めなくていい」

 

 

 

 そう、ヒスイは嫌そうな表情で自分を見つめてくる魔王に向かって、軽く言ってのけた。そんなヒスイに対し、ヘマはみるみるうちにその幼い顔を歪めていく。

 

「な、なんで?」

 

 クシャリと、顔の中央に皺が集まる。

 ヒスイにとって、そのヘマの表情はよく見慣れたモノだった。一人ぼっちの寂しさに耐えきれず、夜になるとよく泣いていたヘマ。石だった時は、どうする事もしてやれなかった顔だ。

 

「なんで?なんでイシ君は時間を止めないの?そんな事したら、イシ君だけ年を取っちゃうよ」

「俺は年を取っていいんだ」

 

 いつまで経っても子供のような風体のままのヘマが、ヒスイのもとへとトテトテと駆け寄ってくる。幼い頃から「オレもイシ君みたいに大きくなれるかな?」と口にしていたが、結局ヘマがヒスイのように”きくなる事はなかった。

 

「でも、それだと……」

 

 駆け寄ってきたヘマのくしゃくしゃの顔を、ヒスイはソッと両手で挟む。そして、自分を見上げてくるヘマの頰を両手の親指で優しく撫でてやった。あぁ、身長差は昔から殆ど変わっていない。これだ。この位置だ。

 

「オレ、イシ君に……置いていかれちゃうよ」

「そうだな」

「また、一人ぼっちになる」

「そうだな」

「そんなのイヤだ!」

 

 変わらない身長差。

 それが、ヒスイを心の底から安心させた。いや、身長差だけではない。ヘマにまつわる、変わらないモノ全てが、ヒスイにとってはいつだって救いだった。

 

「じゃあ、オレも時間なんて止めなくていい!明日死んでいいよ!」

「ヘマ」

「もう、寂しいのはイヤだ!」

 

 悲痛な叫びが周囲に容赦なく響く。

 出来ればこの悲鳴のような心の叫びまで、サンゴの奴に聞かせてやれば良かった。そう、ヒスイは少しだけ後悔した。しかし、すぐにその考えは消えた。ヘマの”寂しさ“を知っているのは“イシ”だけでいい。そして、その気持ちを埋めてやれるのも、“イシ”だけで十分だ。

 

「ヘマ、聞けよ」

「……死ぬ死ぬ。オレも、もうじぬ。もういいよ」

「ヘマ」

 

 ヒスイはイヤイヤと幼い子供のようにグズるヘマの額にキス落とした。それこそ、ヘマの言う“親愛のキス”を。ヘマに拾ってもらってから、一体何度された事だろう。

 

「ヘマ。俺はお前と違って、どうしようもない奴だ」

「……そんなごどない」

「そんな事あるんだよ」

 

 ヘマは最初に出会った頃から、何も変わっていない。少しだけ、体が成長した事以外を除いては、本当に驚くほど何も変わらなかった。

 

ーーーーイシ君!イシ君!

 

 ヒスイという男の人生は、20年で多くの変化を伴った。

 勇者の血筋としてこの世に生を受け、ヒスイがその能力を遺憾なく発揮していく中で、自分も周囲も全てが変わっていった。

 期待、賞賛、尊敬。ヒスイは常に喝采を浴びながら何の苦もない人生を歩み、そして。

 

 いつしか他人を顧みなくなった。

 そして、変化の最後。ヒスイの周りからは誰も居なくなった。誰からも振り替えって貰えない。それこそ、道の脇に落ちている石ころのように扱われた。

 

 でも、ヘマだけは違った。

 

ーーーーわー、かっこいー!勇者様みたいだー!

 

 ヘマにとっては、ヒスイが石だろうが、石じゃなかろうが関係なかった。それが、どれだけヒスイの心を救ってくれたか分からない。

 ヒスイには、ヘマの“変わらない姿”が尊くて、愛しくて仕方がなかったのだ。

 

「ヘマ。出来れば俺は、お前に好きでいて貰える俺のまま死にたい」

「おで、いじぐんのごど!ずっどずぎだよ!」

「ありがとう。でも、きっと無理だ」

「じんじで!おでは、ずっとがわらないよ!」

「ちがう。俺が、変わるんだ」

 

 ボロボロと零れ落ちる涙を拭う事なく、ヒスイはヘマの目を見つめた。

 

——イシ君の目は、キレイだねぇ。

 

 そう、ヘマはヒスイの目を「綺麗な目」と言ってよく褒めてくれたが、それはヘマにも言える事だった。

 

「ヘマ。お前、本当に綺麗な目してんなぁ」

「え?」

 

 ヒスイの口からポツリと零れた言葉に、ヘマが目を見開く。そういえば、ヘマの目を綺麗だと口にしたのは、これが初めてかもしれなかった。

 

「うん、綺麗だ」

 

 口にするのは初めてでも、いつも思っていた事だった。

 ヘマの深い真夜中のような瞳が、ヒスイを捕らえて離さない。何にも染まらず、永遠に変わらない真っ黒なその瞳こそ、ヘマの生き方をそのまま表しているようだと思った。

 

「俺はどうしようもない程のクズだからな」

「そんなごどないよ」

「そんな事あんだよ。きっと俺は、若い姿のまま長く生きすぎると……絶対にお前に見捨てられる俺になる。俺は、変わっちまう自信があるんだ。だから、ヘマ」

「……なあに」

「俺が死ぬ時に、お前がまだ俺を好きでいてくれたら、」

「っぅ」

 

 ヒスイはヘマの真っ黒な瞳に、静かに唇を落とした。ヘマの絶え間なく流れ続ける涙が、ヒスイの唇をしっとりと濡らす。

 

「喉笛掻き切ってでも、何でもいい。俺の後を追って来い。それで、俺とお前は“終わり”だ」

「……」

 

 とんでもない事を言っている事は、ヒスイ自身、承知の上だ。でも、こんな言い方しか思いつかないし、これがヒスイの精一杯でもあった。毎晩プロポーズをしてきた中で、一番最低な約束の言葉。

 

「ヘマ、返事は?」

「……」

 

 自分が死んでも「生きてくれ」なんて言わない。言えっこない。寂しさの中、一人で百年間も生きてきたヒスイには、その言葉がどれだけ残酷な事かを分かっているからだ。

 

「……うん」

「よし、良い子だ。ヘマ」

 

 小さく頷いたヘマに、ヒスイは一度だけその小さな体を力強く抱きしめた。そして、すぐに離す。なんとなく分かるのだ。もうすぐ明日になってしまう、と。

 

 ヘマの寿命は、残り僅かだ。

 

「さぁ、ヘマ。行って来い」

「うん」

 

 ヘマは、ずっと此方を黙って見ていた魔王の方へと一歩踏み出した。その背中を、ヒスイは黙って見送る。

 

「……ねぇ、イシ君」

「なんだ?」

 

 すると、ヒスイに背を向けていたヘマが、ちらりと後ろを振り返った。振り返って、そして言う。

 

「オレは、これからずっと今日で止まるけど」

 

ーーーー明日も、結婚の約束して。

 

 か細い声で乞われたその言葉に、ヒスイは心の底から思った。

 

「ああ」

 

 ヘマが自ら命を絶てるような、そんな自分のままで、今度こそ死にたい、と。

 

 

 

 こうして、勇者ヒスイはヘマの背中を見送った。