235:「みんな」になったエルフと、甘えん坊のタンタンちゃん

 

 

        〇

 

 

「うわぁ、大分遅くなっちまったなぁ」

 

 夕刻。

 シバとドージさんの店に長居をし過ぎた事もあり、繁華街から訓練場に到着する頃には完全に日が落ちていた。

 城の脇にある、近衛兵達の広大な訓練場。そこは、兵士としての訓練など殆どしてこなかった俺にとっては、あまり馴染みのない場所だ。

 そりゃあそうだ。だって、俺はイーサの専属部屋守だったのだから。皆が訓練に明け暮れる殆どの時間を、俺はイーサの部屋の前で過ごしていた。

 

「やっぱりもう誰も居ないかぁ」

 

 学校の校庭のようなその場所は、人っ子一人、いや、エルフ一人居ない。微かな星の明かりに照らされて、ただただシンと静まり返っている。

 でも、昼間はきっと様々な訓練をする兵士で賑わっていたのだろう。そう、ぼんやりと昼間のこの場所について想像する。

 

「兵士かぁ」

 

 ここで皆、毎日毎日訓練に明け暮れているのだ。“もしも”の時の為に。兵士はその為に存在しているのだから。

 

「もしも、なんて来なきゃいい。ずっと」

 

 これから先もずっと、“もしも”に備えて訓練をするだけの日々でいい。

 いつの頃からか、俺は強くそう思うようになっていた。それは、俺の中で“エルフ”だった彼らが、“みんな”に変わった瞬間でもあった。

 平和が良い。陳腐な言葉だけど、そう強く想う。

 

「さてと、ここに居ないとなると……そうだな」

 

 殆ど使った事のない場所にも関わらず、妙に感慨深い気持ちになってしまった。そんな妙にしんみりした気持ちを現実に引き戻したのは、ハッキリと訴えかけてくる“空腹”だ。あぁ、今は夕食時だ。だとすると、皆が居そうなのは――、

 

「食堂だろうな」

 

 俺は薄暗い訓練場の前で小さく呟くと、両手に抱えた荷物を軽く持ち直した。パンパンの袋だが、そう重くない。質量はあるが中身は軽いのである。

 

「腹減ったぁ」

 

 俺は星の輝きだした夜空を眺めながら、食堂のメニューを思い出すと、止められない腹の虫を大いに鳴らした。

 

 

        〇

 

 

「はぁっ」

 

 扉を開けた瞬間、様々な料理の良い匂いが鼻孔を擽った。次いで聞こえてくるのは、楽しそうに食事をするエルフ達の話し声。

 そしてその中には、案の定“みんな”も居た。

 

「お、サトシじゃねーか!コッチ来いよ」

「どこ行ってたんだよ!」

「えらく大荷物だな。何をそんなに買ったんだ」

 

「お土産!」

 

 俺が食堂に入った瞬間、他の隊のエルフの合間を縫って、皆が声をかけてくれた。それが嬉しくてつい声を張って返事をすると、急いで皆の元へと走った。荷物がかさばっているせいで、途中机や椅子にガスガスと荷物がぶつかる。

 

「サトシ、夕飯は外で食べてきたのか?」

「いや、まだです」

 

 声をかけてきたのは、テザー先輩だった。いつもは一人で食べているのに、今日は皆と同じテーブルで食事を囲んでいる。珍しい事もあるもんだ。

 

「空いてるから、ここに座れ」

「あ、ありがとうございます」

 

 トレーの上のメニューを見てみると、そこには俺が最初によく頼んでいたビーフシチュー的なヤツがある。あぁ、良い匂いだ。今日は久々にコレにしようか。

 

「よいしょ」

「えらく大荷物だな。何を買ったんだ」

「だから、お土産ですってば」

 

 俺はテザー先輩の隣に荷物を置きながら答えた。何か変な感じがする。

 こんな風に、ここで誰かと一緒に食事をするなんて、最初は思いもよらなかったのに。ずっと遠巻きにされて、陰口を叩かれるばかりだったあの頃の俺からは想像もつかない。

 

「おい、サトシ。お土産って何だよ?」

「俺達へのお土産か?」

「貰ってやってもいいぜー」

 

 俺の置いた大荷物に、体の大きなエルフ達がワラワラと寄ってくる。その中には隊長の姿まであるのだから堪らない。もう完全にゴッツいオッサンまで居るのに、まるで小学校のようだ。

 

「うん、皆へのお土産だよ」

 

 俺の言葉に、「へ?」と皆の目が一気に瞬いた。

 まさか本当に自分達に向けた“お土産”だとは露程も思わなかったのだろう。隣に座っていたテザー先輩なんかは、「まったく、無駄遣いばかりして」と呆れた顔を浮かべている。まるでエーイチみたいな事を言う。俺にとっては一切“無駄”なんて思っていないのに。

 

「なんだ、なんだ?」

「酒か!」

「食いモンか!」

「良い女か!」

「女はねぇだろ!どうやって土産にすんだよ!」

「まぁ、何でもいいわ!」

「いやぁ、気ぃ遣わせてわりぃな!早くくれ!」

 

 一気に男子校の教室の勢いなった皆に、俺は思わず吹き出した。悪いが、あのお土産は皆の為に買って来たワケではないのだ。完全に、“たった一人の為”だけに買ったモノだ。

 

「一人一つずつあるので慌てないでください。はい、どうぞ」

 

 そう、俺は一番近くに居た仲間の手に、“ソレ”を握らせる。するとその瞬間、今か今かと楽しみに顔を覗かせていた皆の顔が一斉に目を瞬かせた。

 

「「「「「「は?」」」」」」

 

 食堂の一角から重なるように響いた呆けた声に、他の隊のエルフの視線までもが一斉に此方に向く。ちょっと恥ずかしいから、他の隊の皆は見ないで頂きたい。これは完全に内輪ノリのヤツだから。

 

「雑に扱わないでくださいよー。はい、どうぞ」

 

 どうぞ、どうぞ、どうぞ。

 固まる皆の反応など気にせず、俺は一人一人に“お土産”を手渡していく。

 

「なんだ、これ」

「いや、これはどう見ても」

「ぬいぐるみ、か……?」

 

 俺からお土産を受け取ったエルフ達から戸惑いの声が上がる。

 そう、俺がパンパンの袋から取り出したのは、動物の形を模した“ぬいぐるみ”だった。形は様々。ただ、手触りはどれも最高にフワフワしていて気持ちが良い。まるで“あも”のようだ。

 

「「「「「え、なんで?」」」」」

 

 また皆の言葉が一斉にハモる。

 確かにそうだろう。酒でも、食べ物でもない。ましてや、女なんてあり得ない。まぁ、普通に考えて大の男にヌイグルミをお土産に渡すなんて、考えもしないだろう。

 ただ、手触りの良さに逆らえないのか、皆、無意識に手の中にあるヌイグルミを撫で続けている。

 

「いやぁ、大の大人がヌイグルミを持ってる姿が見たくて」

「「「「「はぁっ!?」」」」」

 

 俺の言葉に「何やってんだよ、お前」「やっぱサトシの考える事はわかんねーな」などと互いに口々に言い合い始めた。ただ、やっぱり手の中のぬいぐるみは撫でられているのが何とも言えない。

 

「っふふ」

 

 思わず笑いが込み上げてくる。

 ぬいぐるみとゴツい兵士って、なんだか強烈に似合わなくて逆に良いじゃないか。ギャップは魅力を際立たせるって聞いた事があるが、その最たるものを見た気がする。

 すると、俺のすぐ隣から耳に残る色気のある声が聞こえてきた。

 

「ったく、お前さぁ。何してんだよ。マジで金貰ったからって。ばっかじゃねーの」

「テザー先輩にもありますよ」

「いらねーしぃ」

「まぁ、そう言わずに」

 

 いつの間にか酒を飲んだ“あの”テンションになっているテザー先輩に、俺が配り終えてスカスカになった袋へと手を突っ込んだ。すると、ふわりと手触りの良いヌイグルミの毛が俺の手に触れる。

 最後の一つ。他より、少しだけ大きいソレは“テザー先輩の為”に買ったモノだ。いや、それどころか皆に渡したぬいぐるみも含め、全部テザー先輩の為に買ったと言っても過言ではない。

 

 俺はぬいぐるみを袋から出すと、眉を顰めるテザー先輩の耳元にソッ声をかけた。

 

『タンタンちゃん、寂しい時はこれを抱いて寝てね』

「っ!」

 

 久々に口にした『タンタンちゃん』という言葉に、震える声で「ベイリー……」と呟く声が聞こえた。そう、人生史上最も先輩が甘えられた相手の名前だ。その名前を呼ぶ時だけは、声の色気が抑えられ子供のような色が強くなる。

 良かった。久しぶりだったが、俺は上手にベイリーを演れているようだ。

 

『大丈夫。ぬいぐるみを持ってても恥ずかしくない。もし見られても平気。皆も持ってるからね』

「っ!」

 

 先輩の尖った耳が先から真っ赤に染まっていく。口を耳に寄せているお陰で、俺の顔は見えない筈だ。テザー先輩の中の“ベイリー”が、先輩の中だけでもハッキリと蘇ってくれているといい。

 

『だから、夜寂しくても変に知らない人たちと飲み歩いちゃダメだよ』

「……う」

『酔っぱらって外で寝たらダメ。タンタンちゃん、可愛いから連れ去られるかもしれないからね』

 

 テザー先輩には三つの顔がある。真面目で責任感の強い、少し冷たい昼の顔。酒と女が好きで、ちょっとだらしない夜の顔。

 そして――、

 

「……ベイリーが居たら、しない」

『まったく、困った子だなぁ』

 

 “ベイリー”だけに見せる、甘えた赤ん坊のような顔。

 俺は、その相反する三つの顔を見る度に思っていた。この人は、本当に“イーサ”に似ているな、と。責任ある生まれや立場で、自らを押し殺さねばならなかった所も、そんな中で唯一甘えられる相手が“人間”だった所も。

 

「ベイリーはもう居ないですよ。テザー先輩」

「……そんな事、言うな」

「先輩、お願いですからもう変な酒の飲み方は止めてくださいね」

「……」

 

 ベイリーの演技を止め、俺はテザー先輩の耳元から口を話す。銀色の美しい髪が俯くテザー先輩の表情を隠してしまっているが、どんな顔をしているかは想像がつく。嫌な事を言ってしまっている自覚はあるが、それでも俺は言わなければならない。

 

「ベイリーじゃなくても、普通に俺も心配ですから」

「……サトシ」

 

 パッと顔を上げて此方を見て来きたテザー先輩は、もう甘えた子供のソレではなかった。ただ、嬉しい事に“親しい友”のような目で見てくれている。

 

「さて、お腹空いたし俺も注文に行くかな」

 

 そう、俺がテザー先輩から離れると「おい、アイツら……」と皆の声が聞こえてきた。ヤバ、そう言えば此処には“みんな”が居たんだった。しかも、男子高校生みたいなノリの“みんな”が。

 

「まさか、サトシがアレな方だとは思わなかったな」

「まぁ、人は見た目によらないからな」

「おい、アイツらの部屋の隣の奴ら。今晩は、ちょっとうるさくても勘弁してやれよー」

「なぁ。じゃあ、まさかイーサ王もアッチなんじゃ……」

「おい!それ以上言うな!首が飛ぶぞ!戒厳令だ戒厳令!」

 

 おい、どんな勘違いだよ!また変な噂が立つのだけは勘弁だからな!

 そう、俺が皆の居る方を振り返った時だった。

 

「ぶはっ!」

 

 俺は勢いよく吹き出していた。

 そりゃあそうだ。男子高校生のノリで喋るデカイ兵士の腕の中には、それぞれ可愛いフワフワのぬいぐるみ達が優しく撫でられていたのだから。

 

「ははっ、皆可愛すぎだろ!」

 

 そんな純粋な俺の感想に、皆の表情がピシリと固まる。何だよ急に、ワケが分からん。そんな固まる皆を余所に、夕食を取りに行った俺は後に知る事になる。

 

 その直後から「百人斬りのサトシ」なる、嫌なあだ名が食堂中を蔓延した事を。

 

「アイツ、あんなナリでスゲェらしいぞ」

「あぁ、気を付けろ。気付いたら食われてるらしいからな」

「もう何人んも食われてるらしい」

 

「……」

 

 ……最悪過ぎる。