1:犬より人間の躾の方が難しい

 

 

 飼い犬の振る舞いは、飼い主の接し方の集大成だ。

 

 

「なぁ、キミ。界隈では相当腕の立つ調教師(テイマー)だそうじゃないか。どうだね?この子は」

「……」

 

 どうもこうもねぇよ。

 俺の心情などつゆ知らず、隣では体中をブランド品で固めた依頼者の男が、うっとりとした表情で目の前の惨状を眺めていた。

 

「素晴らしいとは思わんか?」

「……」

 

 素晴らしい?コレのどこが?

 どうやら、コイツの目は節穴らしい。俺は、部屋中のクッションに噛みつき、首を振りながら駆け回る仔狼を前に静かに眉を潜めた。

 

「グルルッ!」

 

 次の瞬間、クッションの中の羽毛が部屋中に飛び散った。

 

「そう、ですね」

「そうだろう!見なさい、あの深みのある黒と赤褐色の美しい毛並みを!」

 

 どうにか口にしたギリギリの返事に、男は目元に優越感を滲ませると、視線を部屋の中へと向けた。部屋の中に舞いる白い羽が更に増している。見渡してみると、この部屋に形を保ったクッションは一つもない。

 

「なにせこの子はグラフラートの森で発見された、大神ホーラントの血を引く血統種と言われている。そんじょそこらの使い魔の狼と一緒にされては困るよ?」

「……」

 

 俺はアンタに困ってるよ。そう思った時だった。

 

「うぅ、ぉぉぉんっ!」

 

 突如として響き渡った空気を切り裂くような獣の咆哮に、その思考はピタリと絶たれた。

 

「……暴れるだけでなく、吠え癖まであるのか」

「それだけじゃない。この子は顎の力も凄まじいからな。可愛いからと言って迂闊に手を出すと、腕ごと持っていかれる。それでうちの使用人も何人かヤられているからな」

「は?」

 

 思わず、俺の声から僅かばかりあった社交辞令が消えた。ジッと依頼主の顔を見やると悪びれた様子もなく言ってのける。

 

「やんちゃな子なんだよ」

「……」

「なぁに、迂闊に手を出さなきゃ攻撃はしてこない」

 

 この男は得意気に何を言っているんだ。バカじゃないのか。

 そんな俺に対し、男は何を勘違いしたのか、こちらを見下したような表情で続けた。

 

「なんだ?もしかして、怖いのか?聖王国でも屈指の調教師(テイマー)だと聞いていたが、実際には大した腕ではないようだな」

 

 あぁ、良かった。コイツはただのバカだ。俺の表情の意味に、何一つ気付いていない。同時に目の前の惨状に、俺は心底納得した。

 

ウォォォンッ!

 

 再び遠吠え。舞い上がる羽毛の中を、茶色の毛の塊がピョンピョンと飛び跳ねている。暴れる、吠え癖、そして噛み癖まである。しかも、その力はそんじょそこらの狼の使い魔とはワケが違うときたもんだ。

 

「……まぁ、こうなるわな」

「なに?」

 

 飼い犬の問題は、飼い主の接し方の集大成だ。これは、現代も異世界も変わらない。

 だとすれば、この仔狼の有様は、全部このクソ飼い主のせいだ。腕を持っていかれた使用人は、仔狼ではなく飼い主であるこの男を恨むべきだろう。

 

「では、依頼内容を確認します」

「あ、あぁ」

 

 俺は華美な服装を身に纏った男に向き直ると、今回の依頼内容の確認に入った。

 これ以上、このバカな金持ちの無意味なマウントを受け続ける必要もない。時間の無駄だ。

 

「契約期間は一年。基本的な手慣らし、躾の仕込み。そして――ん?」

 

 そこまで口にした時だ。足元に感じた気配に視線を落とすと、そこにはフンフンと匂いを嗅ぐ仔狼の姿があった。

 

「へぇ」

 

 狼は長毛種が多いが、この子はダブルコートの短毛種らしい。その姿形は、狼というよりジャーマンシェパードと言ってよかった。豊かな茶色の毛並みが陽光を反射し風格を際立せる。幼いながらに、その姿はまるで自然の王者といっても過言ではなかった。

 

「格好良いな」

「わふ?」

 

 俺の呟きに、凛とした瞳がこちらを見つめる。褒められたのが分かるのだろう。真っ黒な瞳が喜色に染まるのが分かった。まるでこちらの言葉を理解しているようだ。犬……いや、狼は往々にして、こういう所がある。だから好きだ。

 

「おい、迂闊に手を出すと噛ま、」

「失礼しました。では、契約内容の確認に戻ります」

 

 彼らは本当に頭が良い。

 なのに、どうして人間はこんなにもバカで愚かなのだろう。テイマーが初対面の使い魔相手に不用意に手を出すワケないだろうが。

 

「来年の春に開催予定のシュテファニッツ大会で彼を表彰台に乗せること。それで間違いなかったですね」

「……出来るのかね?」

「出来ます」

 

 依頼者の男からのにわかに疑いを帯びた問いかけに、俺は出来るだけ感情を乗せずに返した。

 その間も、視線は仔狼に合わせたまま。躾の第一は、目を合わせる事。既に、俺の仕事は始まっているのだ。

 

「そう言って、今までも何人ものテイマー達が何も出来ずに帰って行ったが?」

「俺を今までのテイマーと一緒にしないでもらいたい」

「ほう、言うじゃないか」

「事実ですので」

 

 俺が今までに、どれほどの動物を相手にしてきたと思っている。軽く数百頭は育成してきた。

 

「……前世の分も含めて、だが」

「ん、なんだね?」

「いえ、何も」

 

 気が付けば、仔狼はいつの間にか俺になど興味を失くしたようにツンと視線を逸らしていた。

 

「……小さいクセにプライドだけはいっちょ前か」

 

 しかも、俺の足を前足で踏んでいる。仕方のない事だが、こんな場所で好き勝手育てられた結果の、後天的な気位の高さがうかがえる。まったく、とんでもないワガママ坊やにさせられたモンだ。

 

「ん?なんだって」

「いえ、何も」

「まったく、君は本当に声が小さいな。そんなので獣の調教が出来るのかね。今まで雇ったテイマー達は、皆ハキハキしていたが」

「……調教に失敗したテイマー達と比べないで頂きたいんですが」

「へぇ」

 

 男の表情がヒクリと歪む。でも、俺は気にしない。どうでもいい。

 だいたい、俺がボソボソ喋るのは人間相手だけだ。本気で伝えたいと思わない相手なら尚の事。声を出すのもエネルギーを使う。無駄な体力は使いたくない。

 俺は人間より、動物が好きだ。ずっと昔から。ずっとそうだ。

 

「っは、そこまで言うのであれば、契約に二つ追加させてもらおうじゃないか」

「なんでしょう」

「調教の途中でのキャンセルは受付ない。必ずうちの子を表彰台に乗せる。この二つが守れなかった場合、違約金を払ってもらう」

「……」

「どうだ?自信があるんじゃないのか」

 

 面倒な事になった。

 この男、どうあっても俺にマウントを取りたいらしい。新しい契約の中身など、何の意味もないのだ。ただ、コイツは俺に、ただ「まいった」と言わせたいだけ。まったく、バカバカしい。

 

「……っはぁ」

 

 本来なら、こんなバカげた約束をのむ必要はない。むしろ、このタイミングでこの話を断ってもいいくらいだ。しかし、何故だろう。

 

「分かりました。でしたら、こちらからも一つ追加させてください」

「なんだね?」

 

 足元でチラチラとこちらを見ては視線を逸らす仔狼の姿に、その時の俺は酷く懐かしい気分になっていた。この子は、とても〝あの子〟に似ている。

 

「この子がシュテファニッツ大会の表彰台に上る事が出来たら、報酬を今の倍にしてください」

「っは、いいだろう」

「ありがとうございます。では契約を……ぁっ」

 

 〝あの子〟に似ている。そう思った瞬間、俺は気付いてしまった。

 

「……くつした?」

「わふっ!」

 

 その仔狼は後ろ足だけ毛が白かった。思わず口にした言葉に、それまでチラチラと視線を逸らしていた仔狼の耳がピンと立った。そして、ハッキリと俺の目を見つめる。こんなところまでそっくりだなんて。

 その姿に、考えるよりも先に口が動いていた。

 

「もう一つだけ、契約内容を追加してもよろしいですか」

「なんだ?成功報酬を三倍にしろ、か?」

「いえ。一年間、この子を俺の自宅で面倒みさせてください」

「……正気か?」

 

 相手の目が大きく見開かれる。確かに、この惨状を前に何を言いだすのか、と思っているのだろう。

 

「はい」

「……私は別にかまわないが、屋敷外でこの子が引き起こした不利益の補填は自分でやってもらうが。それでもいいのか?」

「はい。けっこうです」

 

 こんなバカな飼い主と屋敷に居たのでは、調教しようにもどうにもならない。俺の仕事は動物の調教であって、人間の教育は契約に含まれていない。

 

「ならば……まぁ、いいだろう」

「ありがとうございます」

「その代わり、この子に少しでも怪我や傷を負わせた場合、それに対しても違約金を支払ってもらうからな」

「はい」

 

 ハッキリ言おう。この仔狼にとっての一番の不利益は、このバカ飼い主と一緒に居る事だ。ただ、幸いな事にこの仔狼はまだ幼い。

 

「くぅ?」

 

 ほら見ろ。このチラチラとこちらを見ては構って欲しそうな目を向けてくるこの仔狼を。子供どころか、まだ赤ん坊だ。今からなら、どうにでも教育出来る。

 

「交渉成立だ。では、別室で改めて契約書にサインを」

「わかりました」

 

 そう言って案内しようとしてくる依頼者について行こうとした時だ。俺のズボンの裾がグッと何かに引っ張られた。

 

「はぐっ」

「ん?」

「ほう、どうやら気に入られたようですな」

 

 そこには、視線を逸らしたままズボンに歯を立てる仔狼の姿があった。

 

「さすがはテイマー、動物には好かれる性質のようで。良かった良かった」

 

 いや、良くねぇよ。ふざけんな。

 俺が踏ん張っているからこそ体勢を保ててはいるが、かなり力が強い。女子供が相手なら容易に引き倒されているだろう。

 あと、数少ない俺のズボンに穴が空いた。屋敷内での不利益なのだから、このズボン代は請求しても良いだろうか。いいよな?いいだろう。後で絶対請求しよう。

 

「あ、そういえば」

「どうされました?やはり契約するのが怖くなりましたか?」

「いえ、そうではなく」

 

 俺はふと、ある事に思い至ると、依頼者の方に向き直った。

 その瞬間、俺のズボンを引っ張る仔狼の力が更に強くなった気がした。おい、いい加減にしろ。今日おろしたてのズボンだっつーのに。

 

「この子のお名前は?」

「あぁ、まだお伝えしておりませんでしたね。この子の名前は――」

 

マックス・フォン・ヘクトール・リンクスラインサーブアルフ・パウ・カールス・ストロングハート。

 

「立派な名前でしょう?」

「……ええ」

 

 長ぇわ。無理だわ。覚えきれねぇわ。

 それに、多分本人もソレが名前って自覚ねぇわ。飼い主のエゴでクソみたいな名前付けんな。名前の大切さを分かってねぇのか。

 

「……めんどくせ。〝くつした〟って呼ぼ」

「わふっ!」

 

 こうして、バカな飼い主から将来有望な仔狼を引きはがす事に成功した俺は、この「ソードクエスト」の世界で最高峰の使い魔を決めるシュテファニッツ大会で、くつしたを表彰台に乗せる事と相成ったのであった。

 

「ぐぐぅ」

「……はぁっ」

 

 屋敷を出る頃には、俺のズボンはビリビリに破かれていた。