14:人間と狼

 

 飼い主に交尾の真似事をしてくる場合、それは自分の強さを主張し、主従関係を確認するためのマウンティング行動である事が多い――のだが!

 

「くつした、俺に交尾をしたらダメだ」

「どうしてか?」

「俺は交尾の相手じゃないからだ」

「イアンはくつしたの交尾の相手だが?」

 

 違うが!?

 そう、目をかっぴらく俺に対し「ぼく、なにもわかりません」っていう純粋な目をしながら小首を傾げてくるくつしたの表情に思う。コイツ、一切何も分かってない、と。

 ただ、そのポーズと表情があまりにも可愛らしく、ここが前世であればすかさずスマホを取り出して写真に収めていた事だろう。

 

「俺は……くつしたの、交尾の相手じゃありません」

「イアンはくつしたの交尾の相手!くつしたが決めた!決めた!」

「ちょっ、こらこらこら!」

 

 そう言って、くつしたは俺の体に抱き着くと、ヘコヘコと腰を振り始めた。もう成体で、いつでも交尾が出来る体ではあるため、きちんと勃起もしている。

 

「うぅーーー!」

「ダメだって言ってるだろ!」

「ぐぅぅぅっ!」

 

 俺が無理やりくつしたの体をどけると、先ほどの小首を傾げていた時とは異なり、微かにギラついた目でこちらを見てくる。まったく、最近、気を抜くとすぐに俺に交尾をしかけてくるから困ったモノだ。

 

「はい、今日はおやつは抜き」

「っっ!な、なんで!なんでだ!」

「ダメって言ってるのに、俺に交尾をするから」

「だって!イアンが言った!大会が終わったらちゃんと子供を作れるようにしろって!イアンが言った!」

「だから!相手は俺じゃなくてメスの狼だって……」

「~~っっ!もうイアンなんか知らん!」

 

 くつしたはそれだけ言い放つと、そのまま尻尾を巻いてゲージの中へと閉じこもってしまった。最近はいつもこうだ。交尾の話になると、どうも聞き分けが悪くていけない。

 

「くつした?なぁ、俺は人間だけど、くつしたは狼……神獣だろう?俺達二人じゃ子供は作れないんだ。子供を作るなら同族じゃないと」

「……ぅーー、くつしたはわからない。わからない。くつしたはイアンと交尾する。イアンがくつしたの子供を産む」

「いや、だから無理だって。それに、説明したと思うが大会が終わったらお前は俺から一人立ちするんだ。そろそろちゃんと神獣としても大人の狼としても弁えないと」

「うるさいっ!イアンなんかキラいだ!あっち行け!人間ふぜいが!」

 

 久々にくつしたに「人間ふぜい」と呼ばれてしまった。最初はそう呼ばれるのが当たり前だったのに、毎日のように「イアン、イアン」と名前を呼ばれていたせいで、予想以上にショックだった。

 そのせいで俺も少しムキになってしまった。

 

「そうかい!じゃあ、もう勝手にしな!」

「……っ!」

 

 それだけ言うと、俺は勢いよく家を出た。扉を締める間際、ピンと尻尾と耳を立てたくつしたの姿が視界を過る。でも、俺は止まらなかった。止められなかった。

 もちろん、外に用事などない。ただ、言葉が通じる以上、狭い家の距離感に一緒に居ては更に空気が険悪になるのは目に見えていた。だから、出た。

 

「クソ。言葉が通じるって、面倒くせぇな」

 

 狼が喋んなよ。

 思わず溜息と共に漏れ出た言葉に、俺はとっさに片手で口元を覆った。

 

「……なに、言ってんだ。俺」

 

 あれほど、くつしたが喋ってくれた事で夢が叶っただの何だとのはしゃいでいたくせに。こんなの身勝手にも程がある。

 

「クソッ!」

 

 くつしたと喋れて嬉しい。名前を呼んでもらえて幸せ。

 そうやって普段は誰とも関わってこなかった俺の世界に、くつしたは新しい喜びを教えてくれた。それなのに、くつしたが言葉を持たないただの狼だったら、きっとここまで揉める事も寂しさを感じる事もなかっただろうに、なんて。

 そんな事ばかり、頭を過る。もう身勝手過ぎて、自分が嫌になる。

 

「……最悪だ」

 

 無言でスタスタと行く当てもなく城下町を歩く。そうやって、自分がどこを歩いているのかもわからなくなっていた時だった。

 

「よお、イアン!」

「っ!」

 

 いつもなら公園でしか聞かない声が、俺の名前を高らかに呼び止めた。無視したくとも、名前を呼ばれると本能的に顔を上げてしまう。

 これも、くつしたのせい……お陰だ。

 

「シーザー」

「お、今日はめずらしくちゃんと返事をしたな。どうした。今日は一人か?くつしたはどうした?」

「別に」

 

 当たり前のようにくつしたの話題を振ってくるシーザーが、今日はいつも以上に鬱陶しく思える。ふいと、シーザーの隣に座るストローへ目をやった。

 黒光りのする長毛は、今日も太陽の下でキラキラと光っている。やっぱりストローは綺麗だ。

 そんな事を想っていると、静かなストローの目が、ジッとこちらを見つめてきた。言葉なんて通じない筈なのに、その目は確かに言っていた。

 

「くつしたと喧嘩でもしたのか」

 

 ストローの瞳が告げてくる心の声と、飼い主であるシーザーの声がピタリと重なった。

 

「うるさい」

「なんだ、図星か」

 

 あぁ、クソ。ウルサイな。

 いつもなら無視してシーザーに背を向ける所だが、どうにも我慢が出来ずに返事をしてしまう。なんだか、今日の俺はいつもと違う。自分で自分の事が分からない。

 

「ふうん、まぁ何でもいいがな。暇なら、俺と一緒に仔狼でも見に行かないか?」

 

 これ以上突っ込まれたくないと思ったところで、シーザーがスルリと一歩引いた。ついでに、ちょっと気になる言葉を投げかけてくる。

 

「仔狼?」

「あぁ、こないだ言ったろ?俺が良いブリーダーを紹介してやるって。ちょうど去年の大会でSランクに昇格した狼が子供を産んだそうでな。見に行く所なんだ」

「ストローも一緒にか?」

「もちろん。そこにはストローの奥さんも居るからな」

 

 奥さん。という言葉に、心なしかストローの背筋がシャンと伸びた気がした。どうやら、狼にも夫としての自負らしきものがあるらしい。

 

「……そうなのか」

 

 狼は元々群れで生活する生き物だ。群れの中心が番のオスとメスであり、雄はその群れの頂点として君臨する。雄の狼にとって、番を作る事は生まれた意味そのものと置き換えても過言ではないのかもしれない。

 

——–イアンはくつしたの交尾の相手!

 

 やっぱり、いくら言葉が通じ合っても狼と人間は別の生き物だ。そんな当たり前の事を、俺はくつしたが喋るというだけで忘れかけていた。くつしたの世界には俺しか居ない。だから、くつしたにとって俺が交尾の相手になるのは仕方のない事だ。それを、俺は――。

 

——–狼が喋んなよ。

 

 面倒くさがって対話すら放棄した。救いようのないテイマーだ。