12:ド底辺神の溢れ出る母性!

 

 

 二日後。お婆さんの孫はやってきた。

 でも、その孫はなんだか予想していたのと少し違っていた。

 

「あらあら、よく来たわねぇ」

「ただいま、母さん。ラックだよ。生まれてから会ってなかったよね?」

「……」

「ラックちゃん、よく来たわねぇ。ほら入って入って」

 

 お婆さんの孫は、ちっともお婆さんに似ていなかった。そもそも、俺がこの辺りで見る人間とは違った容姿をしている。

 

「なんだ、あれ」

 

 座敷のふすまからコッソリと様子を窺っていた俺は、とても驚いていた。息子の方はしばらく見ていなかったが、あまり変わっていない気がする。いや、少し年を取って老けたような。いや、毛が少し短くなったくらいか。

 しかし、孫の方はどうだ。

 

「毛の色が熟れた稲穂みたいな色だ。それに目もビー玉みたいにキラキラしてる」

 

 それに口にする言葉が、何を言っているのかちっとも分からない。年は三つか四つといったところだろうか。子供は意味の分からない言葉を喋ったりするモノだが、そういった類の「意味の分からなさ」ではない。なにせ、息子の孫と話す時だけは奇怪でワケのわからない言葉を話しているのだから。

 

「なんだ、なんだ?あれは、本当にお婆さんの孫?」

 

 でも、お婆さんはとても嬉しそうだ。ラックちゃん、ラックちゃんと何度も何度もあの孫の名前らしきモノを呼んでいる。

 

「****?」

「っ!」

 

 突然、金色の目とバチリと目が合った。その瞬間、俺は慌てて座敷の奥に隠れる。

 

「っはぁ、っはぁ。こわかったぁ」

 

 お婆さんが嬉しそうなので忘れていたが、子供は気を付けないといけない。なにせ、俺達の姿が見えてしまう事が多いからだ。

 俺はぴょんと跳ねて押し入れの中に隠れると、そのまま福の神様と作った組立人形(フィギュア)達に囲まれて目を閉じた。あの奇怪な姿の孫がいつまで居るかは分からないが、今日からしばらくこの中を出ない方が良いだろう。

 

「見つかったら怖いし……それに」

 

 あと二日で福の神様も帰ってくる。

 毎日毎日、何回も何回も暦表ばかり見ていると、むしろ時間が遅く流れているように感じるのでちょうど良かった。

 さて、最近はずっと部屋の掃除に明け暮れていたのでここいらでひと眠りするのもいいかもしれない。

 

「……うう、さむいなぁ。それに」

 

 乳先が疼く。

 ふと過った破廉恥な思考に、俺はギュウッと布団の裾を握りしめた。

 まったく、一体何を考えているのだろう!昨日の夜も、一人で乳先を弄って破廉恥な行為に耽ってしまっていたというのに!

 

「もう、寝よう。そうしようそうしよう」

 

 それにあと、四日で福の神様もご帰還される。そうすれば、また乳だって吸ってもらえるに違いない。

 俺は大きな福の神様の体に抱き込まれているのを想像しながらトロトロと深い眠りについ―――

 

「まーむ、まーむ!!まぁぁむ!」

 

 けなかった。

 

「……泣いてる」

 

 しばらくして、家中に響き渡った子供の泣き声に、俺は閉じかけていた目をパチリと開いた。何を言っているか分からないが、ともかく子供というのは大声を上げて泣く生き物なので、特段珍しいことではない。

 

「なんで、泣いてるんだろう」

 

 この騒がしさでは眠れないので、俺は潔く目を覚まし押し入れから出た。

 するとその瞬間、家中をドタドタと駆け回る足音と共に座敷に奇怪な子供が飛び込んできた。

 

「まぁむ!」

「っ!?」

 

 予想通り、そのガラス玉のような目からは、これまた蓮の中にたまった雨の水滴のような涙が次々と零れている。同時に子供とバチリと音が響く程に目が合ってしまった。

 これは、ヤバイ。

 

「まぁむ、まぁむ……まぁむ」

「あっ、あっ!」

 

 気が付くと、俺は駆け寄ってきたその子供に力いっぱい抱き着かれていた。やっぱりこの子には俺の事が見えているらしい。

 

「まむ、まむ」

「っひ、っひ……!」

 

 「まむまむ」って何だ!それになんで俺に抱き着いてくるんだ!

 俺は面妖な容姿の子供にびっくりして声をあげられないでいると、その金色の瞳の潤んだ瞳とばっちり目が合ってしまった。

 

「まむ、まむぅ」

「……ぁ」

 

 この子に「まむ」と言われて見つめられた瞬間、何故か福の神様に乳を吸われて抱き締められた時の事を思い出した。

 あぁ、俺はこんな幼子を前にして何て破廉恥な事を思い出しているんだろう!そんな焦りとは裏腹に、俺は抱きついてくる子供の背中をトントンと叩いてやっていた。福の神様が乳吸いをされる時のクセがつい出てしまった。

 

「まぁむ」

「まむって何?」

 

 尋ねたところで、答えは返ってこない事は分かっている。

 なにせ、子供は俺が何度か背中をトントンとしてやったあたりで、先ほどまでの泣き声が嘘のように目を閉じて黙りこくってしまった。どうやら、眠くてグズっていただけらしい。

 

「まぁむ」

「……よしよし、かわいいなぁ」

 

 俺は先ほどまで感じていた恐怖や緊張感が一気に抜け落ちていくのを感じながら、お婆さんと父親(お婆さんにとっては息子)が来るまで背中を撫で続けた。

 

「ラックちゃんたら、やっぱりお母さんが居ないと不安なんだねぇ。テレビに映った鬼に、あんなに怯えるなんて。悪い事したよ」

「ラックは怖がりな子だからね……って、あれ?」

「あらあら、こんなところで寝て。風邪引くといけないね、早く向こうに連れていかないと」

「せっかく寝たなら起こさないようにしないと」

「……まぁむ、まぁむ」

「まぁ、かわいいねぇ。おじいさん、見てください。ラックちゃんですよ」

「あれ、なんかラックのヤツ重くなったか?」

 

 違う、それは俺の分の霊気の重みだよ。

 その後、どうしても俺の服を離さない「らっくちゃん」のせいで、俺は初めて人間達の集まる居間で夜を過ごした。

 

「まぁむ、まぁむ」

「っひん!ツノはやめてぇ!」

「まぁん、まぁん」

 

 ケラケラ笑いながら容赦なくツノを触ってくる「らっくちゃん」に、俺はどうしてもここには居ない福の神様を思い出して仕方がなかった。

 

——–この底辺鬼め!

 

 俺のツノを弾く福の神様も、いつも楽しそうに笑っていた。

 でも、その日は福の神様のことをじっくりと思い出す余裕がないほどらっくちゃんが俺にべったりと張り付いて取れなかったせいで、その日俺は彼と同じお布団で寝る羽目になった。

 

「なんで、こんな事に」

「まぁむ」

「でも、かわいいからいいか」

 

 ギュッと俺にすり寄ってくる幼子の姿に、冬将軍が少しだけ弱まった気がした。

 

「……っひん!」

「っん、ん。まぁむ」

 

 ついでに、服の下に入り込んできたらっくちゃんに乳を吸われそうになったが、それは寸でのところで止めた。乳は他には差し出してはならないという、福の神様からの言いつけがあったからだ。

 

「らっくちゃん、乳はダメだけど代わりに指ならいいよ」

「まぁむ」

 

 ちゅぱちゅぱと健気に指に吸い付いてくるらっくちゃんに、俺は真冬にも関わらず、春先の縁側でひなたぼっこをしているような気持ちになった。

 

「ちゅっ、ちゅっ」

「ふふ、かわいいなぁ」

 

 しかし、この時の俺は分かっていなかった。こんなに可愛い「らっくちゃん」が俺にとっての「福はうち、鬼は外」になるなんて。