11:「有名税」は、誰に納める税金か

 

 花織先輩から勇気づけてもらったあと、俺はその足でブルーマンデーへと向かった。

 

「こんにちはー」

 

 カラン、と喫茶店のドアを開けると、ひんやりとした空気の中に混じり、いつものコーヒーと煙草の匂いが出迎えてくれた。

 

「お、直樹くん。久しぶりだねぇ」

「テスト勉強は捗ってるかな?」

「直樹くんのことだ、勉強なんて言いつつ、本ばかり読んでるんじゃないかって、ちょうど話してたところだよ」

 

 ああ、この感じ。たかが三日ぶりなのに、異様に懐かしく感じた。

 カウンターに近づくと、常連のおじさんたちが軽く手を挙げて、次々に声をかけてくれる。

 やっぱり、俺はこの空間が好きだなぁなんて思いながら、ふと、店の一番奥のテーブル席に目をやった。

 

 そこに、余生先生の姿はない。

 

(今日は下りて来ないのかな?)

 

 無意識に肩が落ちた自分を誤魔化すように、リュックを下ろしてエプロンに手を伸ばすと、マスターがふと声をかけてきた。

 

「直樹くん、勉強は順調かな?」

「あ、えっと……ぼちぼちです」

 

 実は昨日まで講義をサボってました、とはさすがに言えない。どうにか苦笑いで返すと、マスターはクスッと笑って続けた。

 

「そうそう。直樹くんが来ないあいだ、コウが何度も『あの人は?』って聞いてきてたよ」

「えっ、余生先生が!?」

「ああ、何かある度に聞かれてね。テスト勉強だから休みって伝えたら『なんだソレ』って不機嫌そうに言ってたねぇ。大学生なんだから当たり前なのにね」

 

 マスターからの思わぬ言葉に、俺は再び誰も居ないあの席に目をやる。

 「あの人は?」という言葉が、いつもの素っ気ない余生先生の声でハッキリと再生される。そのたった一言が、心の奥でやけに響いた。

 

「きっと君と話したあの日が、よっぽど楽しかったんだろうねぇ」

「……そう、なんだ」

 

 マスターの嬉しそうな笑みにつられ、俺も頬を緩めていた。言葉では表現できないほど、今の俺は緩み切った変な顔をしているに違いない。きっと、鏡なんて見れたもんじゃないだろう。

 

「こないだマスターが勧めてくれた本の感想を、余生先生に伝えたくて……たくさんメモってきてて」

「ほう、そうかい」

「でも今日は先生いないんですね」

「いや、これだけ騒いでいたら……そろそろ降りてくるんじゃないかな」

 

 その言葉を聞いた瞬間、心臓の鼓動が急に早くなる。思わず背筋を伸ばし、エプロンを整え直した、そのときだった。

 ギシリ、と階段が軋む音が響く。反射的にそちらへ視線を向けると、二階からゆっくりと余生先生が下りてくる姿が見えた。

 

(ほ、本当に……おりて来てくれた……!)

 

 居ても立ってもいられず、思わずモゾモゾと体を揺らす。

 そんな俺に気づいたのか、余生先生がちらりとこちらを見た。が、何も言わずにいつもの席へと腰を下ろす。俺の事なんて見向きもしない。

 その様子を見ていたマスターが、クスリと笑いながら俺に声をかけた。

 

「直樹君。悪いけど、ちょっと話してきてやってくれるかい?」

 

 そう言って、俺の手に一冊の本を持たせてくる。それは、さっき月曜倶楽部に返した――歴史の始点と終点を繋ぐ、あの本だった。

 

「これは……」

「その本、コウも凄く好きなんだよ。出来れば、ページを見せながら話してやって」

「は、はい!」

 

 マスターからの厚意に、俺はリュックの中からメモを取り出すと、そのまま駆けるように彼の元へ向かった。

 

「あ、あの、余生先生!」

「声、うるさい。そんな大声出さなくても聞こえてる」

「っぁ、あ……すみません」

 

 机の横に立った俺を、余生先生がいつもの鋭い視線で見上げてくる。いけない、余生先生を前にすると嬉しくて声が大きくなってしまう。

 俺が静かに深呼吸をしていると「で、なに」と静かに先を促された。

 

「この本、読みました。すごく、良くて……あの、感想を、メモってきてて。だから、その……」

 

 出来るだけ声を抑えつつ、先ほどマスターから手渡された本と感想メモを余生先生の前に差し出すように頭を下げる。

 すると、そんな俺に短く声が掛けられた。

 

「……座れば」

「っ!は、はい!」

 

 そのまま静かに、先生の前に座るよう促される。

 俺は慌てて席に腰かけると、手にしていたメモを開きずっと言いたかった感想を一気に語り始めた。

 

「あの、ラストの〝他人の幸せを許せない主人公が、あそこで手を差し伸べる〟って展開、ずるいです、あれ……!今まで読んできたものが全部、その一行に吸い込まれていくみたいで……」

 

 やっぱり俺ばっかりが喋ってしまう。

 止まらない。感情も、言葉も。好きなモノを語れるって、表現できるって本当に楽しい。しかも、それを同じく好きな人と共有し合えるなんて……!

 

 先生はただ静かに、でも時々頷きながら聞いてくれている。

 

「わかってんじゃん」

「~~っ!!」

 

 あぁ、ヤバイヤバイヤバイ!

 ぽつりと返された言葉に、胸がいっぱいになる。そのせいで、俺としたことがまた余計な事を口走っていた。

 

「先生の今日の更新分も面白かったです。やっぱり先生の作品は……面白い。俺と違って」

「だから、俺の作品についてはいいっつってんだろ。……アンタしつこいな」

 

 柔らかさを残しつつも吐き捨てるように口にされたその言葉に、俺はピタリと口を噤んだ。

 

「そんなに感想言いたきゃ、感想欄にでも書きなぐってろよ。一応チェックしてるから、あそこでだったら目、通してやるよ」

 

 吐き捨てるように言われ、俺は何も言えずに俯いた。

 コメント欄に感想を書くのは苦手だ。それに、こうして実際に顔を合わせているのだ。出来るだけ直接伝えたいと思うのは、ファンの勝手なエゴだろう。

 

(分かってる。分かってるんだけど……!)

 

 余生先生にとっては迷惑な話だろう。

 でも、語りたい衝動をいつも止める事が出来ない。だって、好きな作品を語る喜びのランキング一位は、いつだって余生先生の作品なのだから。

 

(ああ、語りたい……語り尽くしたい……!)

 

 腹の底をソワソワと駆け巡る感情をどうにか飲み込みながら、テーブルの端に手を置いたそのときだった。

 

「そういや、あんたも作品投稿してるんだっけ。なんてタイトル?ってか、ユーザー名なに」

「っへ!?」

 

 あまりに予想外の事を尋ねられ、心臓が縮み上がった。きっと、連載を始めたての俺なら喜び勇んで伝える事が出来ただろう。

 でも、今の俺じゃ絶対無理だ。

 

「あ、いや!お、俺のなんてほんと全然で。コメントでもたくさん面白くないって言われたし……。先生は、そんなこと絶対言われないと思いますけど……」

 

 その言葉に、余生先生は静かにカップを置いた。

 

「批判コメントの数なら、俺も負けてない」

「え?」

「……俺の作品なんて、【ツク・ヨム】の中で一番クソだよ」

 

 あまりの言葉に思わず「は?」と聞き返そうとしたその瞬間——。

 

 カラン、カラン。

 振り返ると、いつもの常連客たちがゾロゾロと店内になだれ込んできた。すると、それまで俺をじっと見つめていた余生先生の視線が、パソコンへと戻った。

 

「仕事、してくれば」

「あ、はい」

 

 素っ気なく告げられたその一言と、ざわめき始めた店内の空気に、俺はそれ以上、続きを聞くことができなかった。

 

◇◆◇

 

 その夜、部屋の明かりを落とし、俺はベッドの中でスマホの画面をじっと見つめていた。

 

——批判コメントの数なら、俺も負けてない。

(あれって、本気で言ってたのかな)

 

 余生先生の言葉が耳に残って離れない。

 最初は落ち込む俺に対する慰めの言葉かと思った。でも、あの余生先生が俺に対してそんな気休めを言うとは思えない。

 

「……ほんと、かな?」

 

 恐る恐る、先生の作品ページを開いてみる。そして、作品名の下に書かれた【感想】というリンクを親指でタップする。

 

「うそ……」

 

 画面には、想像を超える数のコメントが並んでいた。

 もちろん、殆どの人が作品のことを褒めている。それは、初めて余生先生の作品を見つけた時にチェックした時と変わりない。

 

 でも、その中に、確かにあった。

 ストーリー構成に対する辛辣な批評、文章表現の拙さを笑う揶揄、シンプルなキャラクター批判。

 

(あんなに凄いのに、面白いのに……どうして?)

 

 どうして。どうして、どうして。

 喉の奥からこみ上げてくる悔しさが止まらなかった。いや、分かっている。好みは人それぞれだ。いくら一位だとしても「合わないモノは合わない」のだ。

 

 でも、それでも思ってしまう。

 あんなに鮮やかで、読めば心がえぐられるような作品なのにどうして、と。

 

 俺は、自分のコメント欄を読む時以上の苦しさを感じながら、そっとスマホの画面を閉じた。

 

——俺の作品なんて、あの中で一番クソだよ。

 

 同時に、それでもなお、更新を続ける余生先生の背中が、いつになく静かに、そして強く思い出された。

 最初に出会った頃から、彼はいつも小説を書いていた。学校にも行かず、ただひたすら。自分にはコレしかないんだとでも言うように。

 

「……余生、先生」

 

 その姿を思い浮かべた瞬間、ふっと胸の奥に風が吹いたような気がした。

 

(俺だけじゃ、なかった)

 

 目の奥がじんわりと熱くなる。それだけで、少し軽くなった。同時に最初にマスターに言ってもらった言葉が鮮明に蘇った。

 

——作品を読んで、感想をくれる人が一人でもいるって、それはすごいことだよ。

「ほんとだよ」

 

 俺も、書こう。もう一度。今度はあのコメントに届くような、誰か一人の心に残るような、そんな物語を。

 

「……よし」

 

 俺は、改めてまっさらな原稿用のファイルを開いた。