2:同日

 

歩いて、いたのだが。

 

「おら、早く金出せ」
「俺達腹減ってんだよねぇ」

 

風を切って歩いていた母校の近くのコンビニで、庄司はある集団を見つけた。それは、数名のガラの悪そうな男子高校生が、一人の男子高校生を取り囲んでいる姿だった。取り囲まれている方は、庄司と同じ制服を着ている事から紀伊国屋の生徒だと思われる。しかし、取り囲む方はどうやら他校らしく、着崩された制服は学ランではなくブレザーであった。

そう、ぼんやりと庄司が高校生達の様子を伺っていると、次の瞬間、取り囲まれていた男子高校生が一人の男に腹を殴られた。

 

「あ゛ぁ?テメェ、この状況でだんまりかよ?」
「ナメてんのか、オラ!?」

 

殴られた方は表情を歪め、そのまま蹲ろうとするが、その前にその体は壁へと押しつけられる。庄司は誰か助けてやるヤツはいないものかと辺りを見渡した。
しかし、通行人はそこそこ居るものの、皆見て見ぬフリをしている。
特に、殴られている方と同じ制服を着た下校中と思わしき生徒は、その様子にコソコソと何かを言い合いながら足早にその場を立ち去って行く。コンビニの前で行われている暴挙だというのに、コンビニ店員すら無視だ。

 

「あー、うわぁ」

 

みるみるうちに暴力がエスカレートする男子高校生達に、庄司は「うわぁ」と眉を潜めると、無意識のうちに彼らに向かって歩いていた。いつもの29歳サラリーマンの庄司であれば、こんな状況他の通行人と同様に真っ先に無視して見なかった事にするだろう。

しかし、今日の庄司はハロウィンという名目の仮装中だ。無理はあるが18歳の高校生という設定にしている。せっかく別人に仮装しているのだから、いつもと違う事をするのもまた一興だと、そう思ったのだ。

 

「なぁ」
「あ?」

 

庄司は今やただのリンチ状態となっている集団の一人へ軽く声をかけた。振り返った男は、どうやら一番最初に蹲る男子高校生へと暴力をふるった男のようだった。
突然、なんてことないような声で話しかけられた不良は、毒気の抜かれたような顔で庄司を見下ろした。見下ろされた庄司は、最近の高校生の発育の良さに若干恐れをなしてしまった。

 

「……えっと。お金、やるから。もう殴らないでやって」
「はぁ?」

 

庄司の言葉に他の不良達も皆、殴る手を止め庄司を見つめる。いや、見つめるでは多大に語弊がある。不良達は皆、庄司を射殺さん勢いで睨みつけていた。

ただ一人、庄司によって助けられた男子高校生を覗いては。

 

「はい、どうぞ」

 

庄司はそう言うと、声をかけた不良の手をとり1万円札を握らせた。逆に、1万円を握らされた不良は、その瞬間睨んでいた目を瞬かせると「あ、え?」と呆けたような声を上げる。

 

「これで何か買ってきな」

 

庄司はそう言うと、不良達の間をすり抜け蹲る男子高校生へと近づいた。そして、蹲ったまま庄司を見上げる傷だらけの相手に庄司は手を伸ばす。

 

「行こうか」

 

行こうか。
そう、言われ手を差し伸べられた男子高校生は、ただただ目を瞬かせた。そんな相手に庄司は無理やり男子高校生の腕を掴むと、そのまま立ち上がらせ肩をかかえた。

 

「それじゃ」

 

庄司は軽く不良達に会釈すると、男子高校生を脇に抱えて足早にその場を後にした。
いつもと違う事をするというのは、少々、いや、かなり怖いものだと、庄司は歩きながらカラカラになった口内をうるおすように、唾を呑み下した。要するに、勢いで飛び込んだものの不良は大人でも怖いという事だ。

 

「なぁ」
「ん?」

 

そう、少しだけ庄司が先程の不良達に思い出したように恐怖し始めた頃。肩を貸して歩いていた男子高校生が控えめに声をかけてきた。

 

「どこに、行こうとしてんの?」

 

そう言われて庄司はハタと立ち止まった。
ともかくあのコンビニから離れなければと歩いてきたが、自分は本当にどこへ向かっているのだろう。方向的に考えると駅前に向かっているようだ。つまり、来た道を戻っているという事になる。

無意識の帰巣本能に庄司は思わず「ははっ」と軽く笑ってしまった。

 

「知らん間に家に帰ろうとしてた」
「俺連れて?」
「そうみたい」

 

庄司は笑いながら頷くと、そのまま男子高校生の肩から手を離した。特に歩くのには不自由していなさそうだし、肩は必要ないだろう。とにかく彼の受けたダメージの殆どは服の上からはわかりにくい腹や、後は目に見えてわかりやすい顔の傷だ。

 

「なぁ」
「なんだ?」
「なんでお前、俺を助けたんだ?」

 

男子高校生は口元の血を拭いながら、どこか不審気な表情を浮かべ庄司に尋ねてきた。確かにその質問はもっともだ、と庄司は思った。
先程の「どこに行こうとしているのか?」という問いよりも、実は先に問われるべき問いだろうとも思った。そう思うと、何故かまたしても庄司は笑えてきてしまった。
なんだか仮装のせいか、庄司の笑いのツボはかなり浅くなっているようであった。

 

「お前、さっきから何がおかしいんだよ」
「っふは。ごめ、今日……俺、なんかおかしいんだ。なんかいつもと違う事したいなーと思ってたらお前が絡まれててたから。いつの間にかあんな事してた」
「……はぁ?」
「不良こえー。てか、1万で見逃してくれるとは思わなかった。案外安い奴らだな。あはっ」

 

庄司は軽く男子高校生の肩を叩きながら笑うと、次の瞬間、男子高校生の鼻からタラリと垂れてきた赤い液体に更に「ぶはっ」と吹き出した。男子高校生の鼻から流れる赤い液体、それはまごうことなき鼻血であった。
鼻血なんて間近で流しているやつを見るのはいつ振りだろうか。大人になって鼻血なんてめったに見れるものではない。

 

「おまっ、鼻血出てるし。ぶはっ、なんで今更、殴られてる時出せよ。時間差鼻血ウケる」
「はぁっ?あ、へ。あ、マジかよ。ちょっ、ティッシュ、ティッシュ持ってね?」

 

庄司の爆笑に男子高校生は鼻に手をやると、自分の手にベッタリとついた血に目を見開いた。その間も次々に鼻からは血が流れていく。

 

「うわー、すご。ちょっと、これで鼻押さえとけ。周りが見てる」
「いや、ティッシュは?」
「今ねぇからとりあえずソレで」

 

そう言って庄司が差し出したのは真っ白なハンカチだった。学生の頃はハンカチなど持って歩く事のなかった庄司であったが、社会人になり営業等で外を回る機械が増えてからは、何があってもいいようにと最低2枚はハンカチやタオルを持ち歩くのが習慣になっていた。
そして、仮装をしている今も、その習慣は抜けていなかった。

 

「いや、そんな……わりぃし」
「気にすんな」
「ふが」

 

いつまでたってもハンカチを受け取らない相手に、庄司は無理やりハンカチを相手の鼻に押し当てた。真っ白だった布に、血の色が染み込んでいく。それをどこか申し訳なさそうな顔で見つめる男子高校生に、庄司は更にハンカチを鼻におしつけてやった。

 

「それ、やるよ。気にすんな」
「いや……買って返す」
「いやいや、ハンカチなんて腐る程あるからいいし」

 

庄司は言いながらハンカチを男子高校生へと押しつけると、相手はなんとも言えないような表情を浮かべたまま庄司を見ていた。そして、静かに息を吸い込むと小さな声で「ありがと、助かった」とだけ呟いた。その声に、庄司はなんともフワフワとした気分になっていた。

それは、29歳、社会人の庄司には一切感じる事のできない気持だ。

 

「なぁ、お前……何年?」

 

ハンカチを鼻にあてたまま、少しつまったような声で尋ねられた言葉に、庄司は少しだけ返答につまった。何年?今の設定の18歳でいくと高校3年という事になる。
しかし、そこまで考えて庄司は「お前こそ、何年だよ」と切り返した。

 

高校3年、という設定でいくつもりだったが、もし相手が同じ3年であった場合、同じ学年というのは庄司の仮装にかなりのリスクをもたらす。というか、すぐにバレる可能性が高い。
クラスを尋ねられて同じクラスなんていうバカな落とし穴にははまりたくない。

なんと言っても今日はハロウィンの記念すべき1日目なのだ。この場だけの付き合いにしても、ともかくこの場だけでも乗りきらなくては。

 

「俺は……3年だけど」

 

相手の回答に庄司はゴクリと唾を飲み込んだ。早まって3年なんて答えなくてよかった、と心底思った。そして、ただでさえ年のサバを読んで無理をしているのに、これ以上学年を下げるなんて、と妙な後ろめたさを覚えつつ、自分の中の設定の改変を行った。

 

「俺は2年です。先輩だったんすね。タメ口きいてすみません」

 

18歳、ではなく17歳の橘庄司の完成だ。
あぁ、とうとう一回りサバを読んでしまった。
12歳差という最後の砦を見事にぶちやぶってしまった庄司に、今や怖いものなど何もない気がした。

 

「ふぅん。いや、別にタメ口でいいし。助けてもらったの俺の方だし。なんか部活の後輩とかでもあるまいし」

 

ガッツリ年下に敬語を使うのもなんだかなと思っていた矢先の良心的な提案に、庄司は深く頷いた。高校生に敬語を使う大人というのは、なんとも滑稽で抵抗がある。年上の部下にタメ口をきくよりは抵抗はないが。

 

「名前は?」
「橘 庄司。あんたは?」
「俺は……山戸伊中」
「伊中?珍しい名前だな。そんな先輩いたっけか?」

 

やまと いなか。
庄司はわざとらしく「そんな先輩聞いたことないなぁ」などとのたまうと、自分の名前の印象を相手から素早く消しにかかった。こういうのは言ったもん勝ちなのだ。

 

「俺は……目立つ生徒じゃねぇから。知らないのも無理ない。部活にも入ってねぇし」
「ま、俺も帰宅部だから先輩とか後輩とか繋がりねぇんだけどさ」

 

伊中に合せて庄司もそれらしい事を言うと、ふと庄司は本来の自分の目的を思い出した。そういえば今日は母校へ変装して乗り込むのが目的であった。
もう大分日も落ちかけている。学生らしい気分で校舎をうろつけるのもあと1時間足らずといったところだろう。

 

「じゃ、先輩。もう絡まれないように気を付けろな」

 

庄司はそれだけ言うと未だに鼻血の流れ続ける伊中に向かって軽く手をあげると、そのまま伊中へ背を向けようとした。懐かしの母校はすぐそこだ。

 

「おっ、おい!」

 

しかし、懐かしの母校への一歩はガシリと掴まれた腕によって遮られた。焦ったような声と、思いのほか強い手の力に、庄司は「なんだよ」と、若干不機嫌そうな表情で振り返る。
振り返った先には呆れたような表情の伊中が居た。

 

「お前、どこ行く気だ!」
「どこって……学校」
「もう授業終わっただろ」
「いや、ちょっと忘れ物を」
「明日にしろ、バカ。あっちに行ったら今度はお前がアイツらに絡まれるぞ。次は1万どころじゃ済まない」

 

至極もっともな伊中の意見に庄司は「あー」と深く頷いた。
確かにその通りだ。先程の不良達はきっとまだあの辺りに居るだろう。そうなれば、次にアイツらに庄司が見つかった場合、声をかけられる(絡まれる)可能性は限りなく高い。

今日は学校に乗り込むのは止めておいた方がいいだろう。幸い取得した有給はまだまだ潤沢に残っている。今日がダメでも明日また再チャレンジすればいい。

 

「そうするわ」
「そうしろ。なんか、お前危なっかしいな」

 

先程まで絡まれて暴力を振るわれていたとは思えない程の上から目線だ。しかし、学校へ向かう、という目的が消失した今、制服を着た庄司は次にどこへ向かったらよいのか。
庄司は未だに伊中に掴まれた腕を見ながら考えた。

すると。

 

「庄司、この後時間あるか」
「あ?」

 

突然伊中に問われれた問いに、庄司は目を瞬かせた。そして突然の事に、庄司は何を繕う事もできぬまま「暇だけど……」と答えていた。すると、伊中は鼻に押し付けていたハンカチで乱暴に鼻を拭うと、ソレをそのままポケットへと仕舞い込んだ。

 

「助けてもらったし、なんか奢らせろよ」
「……おお」

 

なんとも魅力的な提案に庄司は気持ちがふわっと気分良く舞い上がるのを感じた。年下に奢ってもらうのが気になるとか、そういう気持ちは一切ない。なにせ、今、庄司は17歳の高校2年生というおこがましい設定の中、行動をしているのだから。

 

「甘いもん奢ってくださいよ、甘いもん」
「甘いもん……ケーキとか?」
「そうだなぁ、なんかハロウィンっぽいもん」
「なんだそりゃ」

 

「ハロウィン……かぼちゃのケーキか?」と、庄司の腕をしっかり掴んだまま歩きだした伊中に、庄司が思わず笑った。意識的か無意識かはわからないが、この伊中という男子高校生はどうやら庄司の事を気に入ったようである事は分かった。
庄司は、なにやらイタズラが成功したような妙な満足感を覚えると伊中の隣に立ち歩いた。

とりとめのない話をしながら、二人でファーストフード店のケーキを食べながら。

 

「これウマー」
「一口くれ」

 

伊中と話すのは、庄司にとってもなんとも言えず楽しいものであった。
庄司が子供っぽいのか、伊中が大人染みているのかは定かではないが、二人はともかく気が合った。そうして二人がひとしきり笑い合った後、伊中に言われ連絡先なんてものを交換していた。それは庄司自身、とても意外だった。

 

1週間だけのこの道楽に、今後の付き合いを思わせる何かを残すつもりは一切なかったからだ。

けれど、庄司は連絡先を教えた。きっと庄司もまた伊中との今後を1週間だけで終わらせたくないと、心のどこかで思ってしまったのだろう。あの、窮屈で行き詰まった日常では得られない、このカラカラとした楽しさを、無邪気さを。

 

「じゃ、またな。伊中。もう絡まれんなよ」

 

時刻は夜の8時。
かれこれ4時間近くダラダラと店に居座った二人はファストフード店の前で、やっと別れようとしていた。

 

「あー……てか、庄司のが絡まれそう。家どこだ。送っていく」
「はぁ?どの口がそれを言う。今日絡まれてたのは伊中だろ。俺は大丈夫だ。それよりお前は自分の心配をしろよ」

 

なにやら納得のいかない心配のされように、庄司は伊中の肩をポンポンと叩いてやった。送っていくと言われても、もし万が一庄司が絡まれたところで伊中が居ようが居まいが結果は変わらないだろう。
二人してボコボコにされる結果しか、庄司には想像できなかった。

 

「いや、でも「伊中」

 

それでも食い下がろうとする伊中に、庄司は言葉を遮るように彼の名前を呼んだ。
そして。

 

「また、明日な」

 

庄司はカラッと笑ってそう言うと伊中に背を向けて駅へと向かった。
庄司の腕は、今度は掴まれる事はなかった。

ただ背中から「あぁ、また明日な」という、どこか機嫌の良さそうな伊中の声が聞こえていた。その声に、庄司はまた「ははっ」と楽しげに笑ったのだった。

 

 

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