1:奴隷上がりのお世話係

 

「ラナ、今日からお前がリゲル王子のお世話係だよ」

「え?」

 

 最初に言われたときは、聞き間違いかと思った。

 いや、むしろ聞き間違いであってほしかった。

 

「あっ、あの。僕みたいな奴隷上がりに、王子様のお世話係なんて……その、荷が重いといいますか……」

「はぁ!?こっちだって、グズで木偶の坊なあんたの相手なんか荷が重いよ!」

 

 ひどいっ!

 スカートのホックが今にも弾け飛びそうなほど立派なお腹周りのメイド長に、僕は内心毒づいた。

 

(そっちのメイド服のほうが、よっぽど荷が重そうですけどね!?)

 

 彼女はいつもそうだ。

 こっちが気が弱くて言い返せないのをいいことに、いちいち大声で威圧してくる。まるで、獰猛な野生動物だ。

 

「まったく、これだから奴隷上がりは……いいからさっさとお行き!」

「はっ、はいぃっ!」

 

 反射的に返事をして、逃げるようにその場を後にした。

 

 向かう先は、新しい仕事先——。

 城の片隅にひっそりと佇む、眠り王子の居る石造りの塔だ。

 

 

 僕の名前はラナ。

 年齢はよく分からないけど、多分、成人は過ぎていると思う。

 

 五年前、リゲル様が打ち出した「奴隷解放」政策のおかげで、最悪の身分から抜け出すことができた、元・奴隷だ。

 

 ただ、極度の人見知りで、うまく他人と話せないせいか、どこへ行っても「使い物にならない」と放り出されてきた。

 そんな僕が最後に行き着いたのが、三年前から、悪い魔女の呪いのせいで眠り続けている第一王子、リゲル様のお世話係だ。

 

「触れた者を呪い殺す」なんて物騒な噂が立つほど、リゲル様の名はすっかり忘れ去られていた。

 廊下を歩きながら、ふと壁に飾られた王子の肖像画の前で足が止まった。

 白銀の髪に、薄紫の瞳。これが、眠り王子か。

 

「うぅ。呪い殺されたら、どうしよう」

 

 そうして、こわごわと訪れた塔の最上階。

 

 埃の舞う寝室の奥。天蓋付きのベッドに横たわるその人を見た瞬間、僕は息を呑んだ。

 

「う、うわぁ……!」

 

 思わず声が漏れて、慌てて口を押さえる。

 それでも、堪えきれずにそっと顔を覗き込んだ。

 

 リゲル様は、まるで時間が止まったかのような、若々しい姿のまま静かに眠っていた。

 窓から差し込む光を受けて、白銀の髪がきらきらと淡く輝いている。

 

「……すっごく綺麗。ほんとに人間?」

 

 長い睫毛に縁取られた瞳は閉じられているのに、それだけで整っているのが分かる。すっと通った鼻筋に、ほんのり色づいた唇。

 気づいたら、顔が吸い寄せられるように近づいていた。

 

「それにしても、本当に気持ちよさそうに寝てるなぁ」

 

 その穏やかな寝顔は、呪いなんて言葉とは一番遠い場所にあるように見えた。

 これまでの人生で見たこともないほどの美しさに、気づけば互いの鼻先が触れ合いそうなほど近づいていた。

 

 

 ——ガタッ。

「っ!」

 

 唐突に、塔の窓から吹き込んだ強い風が、窓枠を鳴らした。

 その音に、はっと我に返る。

 

「り、リゲル様。今日から身の回りのお世話をさせてっ、いただきます!ラナと申します。どうぞ、よろしくお願い……します!」

 

 頭を下げたまま、そっと視線を上げてリゲル様を見る。

 

 もちろん返事はない。

 ただ、規則正しい呼吸音だけが、静かに耳に届いていた。

 

「はぁ、とんでもない仕事を任されてしまった」

 

 最初こそ、あまりにも美しすぎる王子にビビって花瓶を割ったり、風で戸が軋むたびに飛び上がっていたけれど、意外にもすぐに慣れた。

 それどころか、とんでもないことに気づいてしまった。

 

「あれ?誰も怒鳴ってこない?」

 

 そりゃそうだ。ここにいるのは、眠り続ける王子と僕だけ。

 不器用な僕が何度タオルを落としても、リゲル様から怒鳴り声が飛んでくることも、「奴隷上がり」と人格を否定されることもない。

 

「ここは、最高の職場なのでは……?」

 

 うまく他人とコミュニケーションの取れない僕にとって、物言わぬ美しい‶〝置物〟のようなリゲル様は、この世で一番安心できる話し相手になった。

 三日も経つ頃には、もうすっかり慣れたものだった。

 

「おはようございます、リゲル様。今日も、よろしくお願いしまーす」

 

 気づけば僕は、鼻歌まじりにリゲル様を磨き上げる日々に、どっぷり浸かっていった。