そんなある日のことだ。
いつものようにリゲル様の美しい指先を丁寧に拭き上げながら、ぺらぺらと喋っていた。
「聞いてくださいよ、リゲル様。あのメイド長、またスカートのホックが弾けたんですよ。きっとこの城で一番過酷な労働を強いられてるの、あのホックですよ。……可哀想に」
最近の話題といえば、もっぱら城中の人間の〝悪口〟だ。
もともと友達なんて一人もいなかった僕は、リゲル様が眠っているのをいいことに、日ごろの鬱憤をこれでもかと吐き出していた。
それこそ、まるで友達に話すみたいに。
「ねぇ、リゲル様。いつか目覚めたら、あのメイド長のホックも僕たち奴隷みたいに解放してあげてください。そうでなきゃ、あまりにも報われなさ過ぎる」
自分で言っておいて、ふふっと吹き出す。
そのときだった。
ぴくっ。
握っていたリゲル様の白い指先が、確かに動いた。
「えっ?」
心臓が跳ね上がる。
呪いの噂が頭をよぎって一瞬固まったが、リゲル様は相変わらず穏やかな寝顔のまま。
気のせいかとも思いながら、もう一度指先を拭く。
それでも気になって、じっと様子を窺った。
「リゲル様、今動きました?もしかして……僕の声、聞こえてます?」
返事はない。
けれど、その瞬間、またしても人差し指が小さく跳ねた。
(……動いてる。これ、絶対こっちの声聞こえてるよね!?)
死に損ないだの呪いの人形だの言われていたけれど、もしかしてリゲル様には意識があるんじゃないだろうか。
恐る恐るリゲル様の美しい手のひらに、自分の手を重ねた。
「もし、僕の声が聞こえているなら……一度だけ、手を握ってください」
ドキドキしながら反応を待つ。
数秒の静寂の後、ぎゅっ、と確かな力で僕の手が握り返された。
同時に、リゲル様の瞼がわずかに震える。
閉じたままのその奥で、何かを必死に伝えようとしているのが分かった。
「わっ、わ!どうしようっ!あっ、あの。誰か呼んで——っ!」
慌てて立ち上がろうとした途端、今までにない力で、ぎゅっと握り締められた。
しかも、眉間には、ほんの僅かに皺が寄っている。
「も、もしかして……誰にも言うなってことですか?」
尋ねた瞬間、ぎゅっと一度だけ手に力が込められた。
間違いない。
リゲル様は、これまでもずっと意識があったんだ。
そう確信した途端、国中の大ニュースであるはずの事実を前にして、もの凄くちっちゃな不安が胸を過った。
「リゲル様……僕の話、つまんなくなかったですか?」
その瞬間、ゆっくりと二度、手に力が込められた。
これまでのやり取りで、「はい」のときは一度だけ握られる。
だとすると、今のは——。
「よっ、良かったぁ!」
どうやら、リゲル様にとって僕の話は嫌じゃなかったらしい。
それから僕たちは、一つの〝約束〟を決めた。
YESなら一度。NOなら二度。僕の手を握り返すこと。
こうして、元・奴隷の僕と王子様だけの、奇妙な意思疎通が始まったのだった。

