3:聞き上手の王子様

 

 手のひら越しにやり取りするリゲル様との時間は、びっくりするくらい楽しかった。

 

「リゲル様!あの、聞いてください!」

 

 今日も今日とて、ベッドの傍らに椅子を置き、手を握っておしゃべりをする。もちろん、その内容は城の者たちの「悪口」だ。

 

「貴族のお姫様たちって、なんであんなに香水きついんですかね?リゲル様、起きたら言ってあげてくださいよ。『キミたち、〝毒ガス〟を纏うのはやめなさい』って!」

 

 ぎゅっ。

 

「フォーゲル大臣っていっつも縦揺れしてるんですけど、あれ止めて欲しいんですよねぇ。だって、見てると酔っちゃうんですよ」

 

 ぎゅっ。

 

「あっ、そうだ。こないだなんて——」

 

 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ。

 王子の手のひらが、相槌を打つみたいに、僕の手を握り返してくれる。

 人見知りで友達もいなかった僕にとって、彼の指先は、世界で一番話の合う最高の相棒になっていた。

 

「あぁっ!リゲル様は、なんてお優しい方なんだろう!」

 

 これまでは、胸の中に溜め込むしかなかった汚い感情を、何も気にせず吐き出せる。それは、これまで味わったことがないくらい、気持ち良かった。

 

 そのせいか、気づけば、どこで何をしていてもリゲル様を思い浮かべるようになっていた。

 

「……あ、このお花リゲル様のお部屋に合いそう」

 

 しかも、それは他人の嫌な部分を見つけた時だけじゃない。

 夕焼けが綺麗だったとか、お昼のごはんがおいしかったとか。反射のように「リゲル様にお話したいな」と思う。そして決まって、こう考えてしまう。

 

——彼は、同じものを見たら何と言うのだろう。

 

 そこで、初めて気づいた。

 

 あぁ、僕はリゲル様とお喋りしたいのかもしれない。

 

「あの、リゲル様……」

 

 今日も彼の手を握って一方的なおしゃべりを続けていた。

 そして、ふと言葉が途切れる。

 

(僕の話、楽しいですか……?)

 

 そう尋ねそうになり、グッと喉の奥に飲み込んだ。

 リゲル様は優しい。こんなことを聞いたって、どうせ一度握り返してくれるに決まってる。

 

「……僕、いつかあなたとお話してみたいです」

 

 だからこそ、彼の優しさに付け込み過ぎないよう、YESもNOもいらない本音を口にした。

 

 けれど、そんな楽しい日々の中で、ちょっとした事件が起きた。

 

 

「リゲル様、新しいお召し物を持ってきますね!」

 

 ある日、着替えを取りに王城の本棟へ向かったときのことだ。

 人目を忍ぶように廊下の角を曲がった僕は——見てはいけないものを見てしまった。

 

「私がこの世で一番愛するのはあなたよ」

「ふふ、兄さんのことはいいの?」

「いいのよ、誰があんな眠り人形を愛せるっていうの?」

 

 リゲル様の妻であるお姫様が、弟である第二王子にしなだれかかり、熱い口づけを交わしていたのだ。

 しかも足を絡め、下半身を擦り寄せ、今にも情を交わし始めそうな勢いで。

 

「うっ、うわ!」

 

 あまりの光景に、思わず声が漏れた。

 二人の視線が一斉にこちらへ向く。

 その瞬間、怒鳴られると思い、きゅっと肩を竦めた。けれど耳に届いたのは、怒声ではなく氷のように冷たい声だった。

 

「っは。何かと思えば、奴隷上がりじゃないか。兄さんのせいで、城にまで奴隷が這いまわるようになって困るな」

「本当ね。覗き見なんて……やっぱり奴隷上がりは汚らわしいわ」

 

 僕は何も言い返せないまま、追い立てられるようにその場を離れ、逃げるように塔へと戻った。

 

 

「はぁっ、はぁっ。リゲル様……も、戻りました」

 

 部屋に戻り、いつも通り横たわるリゲル様の姿を目にした瞬間、得体の知れない怒りと悲しみが、ぐっと込み上げてきた。

 どうにか気持ちを押し込めて、いつもの仕事に手をつける。

 

「リゲル様……遅くなってすみません。お洋服、着替えましょうね」

 

 体を起こし、新しい衣服に袖を通してもらう。

 触れた体は温かく、胸もまた、呼吸に合わせて確かに上下していた。

 

(リゲル様は、ちゃんと生きてる)

 

 するりと、美しい銀色の髪に指を通す。そのまま、彼の頭を撫でるように髪を梳かしながら、ふと手が止まる。

 

——誰があんな眠り人形を愛せるっていうの?

 

 その瞬間、堪えていたものが一気に弾けた。

 

「さっきお姫様を見ましたけど、あれのどこが清らかなんですか!?完全に欲求不満こじらせた獣じゃないですか!王宮は、いつからモンスター飼い始めたんです!?ちゃんと檻に入れておいてくださいよ……っぁ」

 

 言い切ったあと、サッと血の気が引いた。

 今のは、さすがに言っちゃいけないやつだ。

 

「す、すみません!今の、忘れてください!僕、最低なことをっ……!」

 

 王子の反応を確かめるのが怖くて、僕はその日、一度も手を握ることができないまま、逃げるように自室へと引きこもった。