手のひら越しにやり取りするリゲル様との時間は、びっくりするくらい楽しかった。
「リゲル様!あの、聞いてください!」
今日も今日とて、ベッドの傍らに椅子を置き、手を握っておしゃべりをする。もちろん、その内容は城の者たちの「悪口」だ。
「貴族のお姫様たちって、なんであんなに香水きついんですかね?リゲル様、起きたら言ってあげてくださいよ。『キミたち、〝毒ガス〟を纏うのはやめなさい』って!」
ぎゅっ。
「フォーゲル大臣っていっつも縦揺れしてるんですけど、あれ止めて欲しいんですよねぇ。だって、見てると酔っちゃうんですよ」
ぎゅっ。
「あっ、そうだ。こないだなんて——」
ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ。
王子の手のひらが、相槌を打つみたいに、僕の手を握り返してくれる。
人見知りで友達もいなかった僕にとって、彼の指先は、世界で一番話の合う最高の相棒になっていた。
「あぁっ!リゲル様は、なんてお優しい方なんだろう!」
これまでは、胸の中に溜め込むしかなかった汚い感情を、何も気にせず吐き出せる。それは、これまで味わったことがないくらい、気持ち良かった。
そのせいか、気づけば、どこで何をしていてもリゲル様を思い浮かべるようになっていた。
「……あ、このお花リゲル様のお部屋に合いそう」
しかも、それは他人の嫌な部分を見つけた時だけじゃない。
夕焼けが綺麗だったとか、お昼のごはんがおいしかったとか。反射のように「リゲル様にお話したいな」と思う。そして決まって、こう考えてしまう。
——彼は、同じものを見たら何と言うのだろう。
そこで、初めて気づいた。
あぁ、僕はリゲル様とお喋りしたいのかもしれない。
「あの、リゲル様……」
今日も彼の手を握って一方的なおしゃべりを続けていた。
そして、ふと言葉が途切れる。
(僕の話、楽しいですか……?)
そう尋ねそうになり、グッと喉の奥に飲み込んだ。
リゲル様は優しい。こんなことを聞いたって、どうせ一度握り返してくれるに決まってる。
「……僕、いつかあなたとお話してみたいです」
だからこそ、彼の優しさに付け込み過ぎないよう、YESもNOもいらない本音を口にした。
けれど、そんな楽しい日々の中で、ちょっとした事件が起きた。
「リゲル様、新しいお召し物を持ってきますね!」
ある日、着替えを取りに王城の本棟へ向かったときのことだ。
人目を忍ぶように廊下の角を曲がった僕は——見てはいけないものを見てしまった。
「私がこの世で一番愛するのはあなたよ」
「ふふ、兄さんのことはいいの?」
「いいのよ、誰があんな眠り人形を愛せるっていうの?」
リゲル様の妻であるお姫様が、弟である第二王子にしなだれかかり、熱い口づけを交わしていたのだ。
しかも足を絡め、下半身を擦り寄せ、今にも情を交わし始めそうな勢いで。
「うっ、うわ!」
あまりの光景に、思わず声が漏れた。
二人の視線が一斉にこちらへ向く。
その瞬間、怒鳴られると思い、きゅっと肩を竦めた。けれど耳に届いたのは、怒声ではなく氷のように冷たい声だった。
「っは。何かと思えば、奴隷上がりじゃないか。兄さんのせいで、城にまで奴隷が這いまわるようになって困るな」
「本当ね。覗き見なんて……やっぱり奴隷上がりは汚らわしいわ」
僕は何も言い返せないまま、追い立てられるようにその場を離れ、逃げるように塔へと戻った。
「はぁっ、はぁっ。リゲル様……も、戻りました」
部屋に戻り、いつも通り横たわるリゲル様の姿を目にした瞬間、得体の知れない怒りと悲しみが、ぐっと込み上げてきた。
どうにか気持ちを押し込めて、いつもの仕事に手をつける。
「リゲル様……遅くなってすみません。お洋服、着替えましょうね」
体を起こし、新しい衣服に袖を通してもらう。
触れた体は温かく、胸もまた、呼吸に合わせて確かに上下していた。
(リゲル様は、ちゃんと生きてる)
するりと、美しい銀色の髪に指を通す。そのまま、彼の頭を撫でるように髪を梳かしながら、ふと手が止まる。
——誰があんな眠り人形を愛せるっていうの?
その瞬間、堪えていたものが一気に弾けた。
「さっきお姫様を見ましたけど、あれのどこが清らかなんですか!?完全に欲求不満こじらせた獣じゃないですか!王宮は、いつからモンスター飼い始めたんです!?ちゃんと檻に入れておいてくださいよ……っぁ」
言い切ったあと、サッと血の気が引いた。
今のは、さすがに言っちゃいけないやつだ。
「す、すみません!今の、忘れてください!僕、最低なことをっ……!」
王子の反応を確かめるのが怖くて、僕はその日、一度も手を握ることができないまま、逃げるように自室へと引きこもった。

