8:寝たきりは性に合わない

 

 城下町に「塔の眠り王子が危篤だ」という噂が駆け巡ったのは、それからすぐのことだった。

 

「そ、そんな……!リゲル様、なんで……」

 

 どうやら、ここ数日で急激に王子の容体が悪化したらしい。

 

(……僕のせいだ)

 

 夢の中でリゲル様は日に日にやつれていた。

 最後には消え入りそうな声で「迎えにおいで」と囁いていた。あれは、妄想なんかじゃなかったんだ。

 

「もしかして、あの夢……リゲル様の命を削ってたんじゃ?」

 

 そう思った瞬間、あの夜の羞恥も罪悪感も、すべて吹き飛んだ。

 僕は無我夢中で城へと駆け出した。

 

 怒鳴られる覚悟で城の門をくぐる。

 そこでメイド長から飛んできたのは、怒声ではなかった。

 

「あんたがいなくなった途端、王子の容体が悪化するもんだから、ずっと探してたんだよ!」

 

 どうやら今は、僕が職務を放り出したことを怒る余裕もないらしい。

 

 僕は、王子の眠る塔の最上階へと向かった。

 扉を開けた先にいたのは、最後に見た時とは別人のように痩せこけ、骨が浮き出るほど儚くなったリゲル様だった。

 

「リゲル様。僕の声、聞こえますか?」

 

 震える手で、その細くなった手を握りしめた。

 あれほど雄弁だったはずの指先は、今はもう、僕がどれだけ力を込めてもピクリとも動かない。

 

 このままでは、彼の命が長くないことは明白だった。

 

(どうしよう、どうしようっ……)

 

 その瞬間、脳裏にリゲル様の言葉が蘇る。

 

——ラナ、私にキスしてみたくない?

——許可なんていらない。キミの好きにしてみなよ。

 

(あれって、もしかして……)

 

 あれはただの意地悪な挑発なんかじゃなく、彼の願いだったんじゃないのか。

 涙で滲む視界のまま、ゆっくりと顔を近づける。僕なんかが触れていい人じゃないのは分かっている。

 

 それでも今は、ただ彼にキスがしたかった。

 

「リゲル様、大好きです」

 

 祈るような気持ちで、王子の乾いた唇に自分の唇を重ねる。

 その瞬間、冷たかったはずの唇から、驚くほど熱い脈動が流れ出してきた。

 

「っ……!」

 

 驚いて身を引いた僕の目の前で、王子の瞳が、ゆっくりと見開かれた。

 

「……はぁ、やっと解けた」

「あっ、え?」

 

 薄紫の瞳が、以前よりもずっと鮮やかに僕を射抜く。

 リゲル様は、呆然と固まる僕の首筋にぐいっと手を回すと、引き寄せて意地悪く笑った。

 

「ラナがグズグズするせいで、私は危うく死ぬところだったよ」

 

 あまりにも突然の出来事に、口をぱくぱくさせたまま、言葉が出てこなかった。

 

「まったく、解呪の条件が『自分を心から愛する者からの口づけ』なんて……。軽い気持ちで設定したが、まさかこんなに苦労させられるとは思わなかった。そもそも、起きるつもりも毛頭なかったが」

「設定?それは、どういう——」

「さて、どういう意味だろうね?」

 

 彼の口から洩れた意味の分からない言葉に、思わず首を傾げる。

 けれど、彼は僕の質問に答える気など、さらさらないようだった。

 

 リゲル様は、腰の抜けた僕を逃がさないように、その細い体からは想像もつかないほどの力で抱き寄せる。

 

 そのまま、恍惚とした表情で、耳元に囁いた。

 

「はぁっ、やっとキミに触れられる」

「っひ」

 

 ぴたりと重なった体は、さっきまで弱っていたのが嘘みたいに、信じられないほど熱を帯びている。

 

「さあ、これからもたっぷりお世話してもらうからね。ラナ?」

 

 欲を隠そうともしない表情を浮かべた王子に、僕はベッドへと引きずり込まれた。

 こうして、悪い魔女の呪いで長く眠りについていた王子は、愛する者の口づけによって、ついに目を覚ましたのだった。