城下町に「塔の眠り王子が危篤だ」という噂が駆け巡ったのは、それからすぐのことだった。
「そ、そんな……!リゲル様、なんで……」
どうやら、ここ数日で急激に王子の容体が悪化したらしい。
(……僕のせいだ)
夢の中でリゲル様は日に日にやつれていた。
最後には消え入りそうな声で「迎えにおいで」と囁いていた。あれは、妄想なんかじゃなかったんだ。
「もしかして、あの夢……リゲル様の命を削ってたんじゃ?」
そう思った瞬間、あの夜の羞恥も罪悪感も、すべて吹き飛んだ。
僕は無我夢中で城へと駆け出した。
怒鳴られる覚悟で城の門をくぐる。
そこでメイド長から飛んできたのは、怒声ではなかった。
「あんたがいなくなった途端、王子の容体が悪化するもんだから、ずっと探してたんだよ!」
どうやら今は、僕が職務を放り出したことを怒る余裕もないらしい。
僕は、王子の眠る塔の最上階へと向かった。
扉を開けた先にいたのは、最後に見た時とは別人のように痩せこけ、骨が浮き出るほど儚くなったリゲル様だった。
「リゲル様。僕の声、聞こえますか?」
震える手で、その細くなった手を握りしめた。
あれほど雄弁だったはずの指先は、今はもう、僕がどれだけ力を込めてもピクリとも動かない。
このままでは、彼の命が長くないことは明白だった。
(どうしよう、どうしようっ……)
その瞬間、脳裏にリゲル様の言葉が蘇る。
——ラナ、私にキスしてみたくない?
——許可なんていらない。キミの好きにしてみなよ。
(あれって、もしかして……)
あれはただの意地悪な挑発なんかじゃなく、彼の願いだったんじゃないのか。
涙で滲む視界のまま、ゆっくりと顔を近づける。僕なんかが触れていい人じゃないのは分かっている。
それでも今は、ただ彼にキスがしたかった。
「リゲル様、大好きです」
祈るような気持ちで、王子の乾いた唇に自分の唇を重ねる。
その瞬間、冷たかったはずの唇から、驚くほど熱い脈動が流れ出してきた。
「っ……!」
驚いて身を引いた僕の目の前で、王子の瞳が、ゆっくりと見開かれた。
「……はぁ、やっと解けた」
「あっ、え?」
薄紫の瞳が、以前よりもずっと鮮やかに僕を射抜く。
リゲル様は、呆然と固まる僕の首筋にぐいっと手を回すと、引き寄せて意地悪く笑った。
「ラナがグズグズするせいで、私は危うく死ぬところだったよ」
あまりにも突然の出来事に、口をぱくぱくさせたまま、言葉が出てこなかった。
「まったく、解呪の条件が『自分を心から愛する者からの口づけ』なんて……。軽い気持ちで設定したが、まさかこんなに苦労させられるとは思わなかった。そもそも、起きるつもりも毛頭なかったが」
「設定?それは、どういう——」
「さて、どういう意味だろうね?」
彼の口から洩れた意味の分からない言葉に、思わず首を傾げる。
けれど、彼は僕の質問に答える気など、さらさらないようだった。
リゲル様は、腰の抜けた僕を逃がさないように、その細い体からは想像もつかないほどの力で抱き寄せる。
そのまま、恍惚とした表情で、耳元に囁いた。
「はぁっ、やっとキミに触れられる」
「っひ」
ぴたりと重なった体は、さっきまで弱っていたのが嘘みたいに、信じられないほど熱を帯びている。
「さあ、これからもたっぷりお世話してもらうからね。ラナ?」
欲を隠そうともしない表情を浮かべた王子に、僕はベッドへと引きずり込まれた。
こうして、悪い魔女の呪いで長く眠りについていた王子は、愛する者の口づけによって、ついに目を覚ましたのだった。

