10:性悪寝たフリ王子の独白

 

〝王子〟というのは、存外に疲れる人気商売だ。

 白銀の髪に薄紫の瞳。完璧に整えられた容姿と、それに相応しい慈悲深さ。

 

 幼い頃から周囲が期待する「リゲル王子」を演じ続けてきた私は、婚礼の儀を終えた夜、ついに限界を迎えた。

 

 上辺だけの忠誠心で私に取り入り、権力闘争に明け暮れる臣下たち。

 清らかな乙女の仮面の下で、弟をはじめとした男たちに淫靡に股を開く婚約者。

 

(——あぁ、もう綺麗でいるのに疲れた)

 

 豚の肥溜めの中で我慢して微笑み続けるくらいなら、寝ている方がずっとマシだ。

 

 こうして、私は自分に眠りの呪いをかけた。

 

 王族にとって、魔術とは秘匿すべき切り札だ。

 ゆえに、私がそれを人知れず修めていたことを知る者は誰もいない。だから、自分自身に眠りの魔法をかけることなど、造作もなかった。

 

 ただ、呪いの発動には、必ず「解呪」もセットで施す必要がある。

 

(起きるつもりなど毛頭ないが……そうだな)

 

 解呪に関しては、あの女が持ち込んだゲロ甘い恋愛小説を参考にした。

 

 愛する者の口づけで目覚めるお姫様の話。

 気まぐれに読んだそれは、あまりにも下らなくて、あまりにも愚かしくて——思わず吹き出した。

 

(いいだろう。万が一このアバズレのメス豚が寝ている私に口づけしてきても、絶対に起きてなどやるものか)

 

 むしろ、舌を噛み切ってやろうか、なんて。

 そんな意趣返しのつもりで設定した条件だった。

 

 別に、このまま一生目覚めなくてもかまわないと。

 

——その時は本気でそう思っていたのだ。

 

 

◇◆◇

 

 

 しかし、眠りについてからも私の肥溜め生活は終わらなかった。

 

 使用人というものがいかに信用できない生き物かを、私は改めて思い知ることになったのである。

 

 寝ているからと手を抜く者。雑に扱う者。

 なかには、寝たきりの体をいやらしく触ってくる者まで現れた。

 男も女も関係ない。人間というのは、つくづく獣の一種だ。

 

(はぁっ。寝ていてもなお、気が休まらないとは)

 

 せめて暇つぶしにと、ちょっとした呪いや脅しを仕掛けてやれば、変な噂が立ち始め、使用人はろくに長続きしなくなった。ただ、怖がって逃げていく背中を眺めるのは、悪くない娯楽だった。

 

 だから、久々に新しい使用人が来た時も同じことを思った。

 

(さて、今度はどのくらい持つかな)

 

 そいつの名前はラナといった。

 最初、あまりにも顔を近づけてくるものだから、いやらしいことでもしてくるのかと身構えた。でも、違った。

 

「……すっごく綺麗。ほんとに人間?」

 

 まるで子供のような反応。

 体は小さいが、年齢は私とさほど変わらないように見えるのに。

 

 とはいえ、このままだと無意識のうちにキスでもされかねない。

 私が窓を風でゆすってやれば、びっくりして飛びのいて、律義にも自己紹介を始めたのが面白かった。

 

(まぁ、コイツも他のやつと同じだろうな。すぐ化けの皮がはがれるだろうよ)

 

 そう思ったのだが——。

 

 ラナは、どんなに時間が経とうとも私を雑には扱わなかった。

 しかも、それだけじゃない。こいつは寝ている私に話しかけてくるのだ。独り言のように、延々と。

 

「ねぇ、リゲル様。いつか目覚めたら、あのメイド長のホックも僕たち奴隷みたいに解放してあげてください。そうでなきゃ、あまりにも報われなさ過ぎる」

 

 その内容が、また想像以上に面白かった。

 

 城の者たちに対して、私がかねてより抱いていた不満を、まるでなぞるように——むしろ私以上の辛辣さで、ずけずけと罵り続けるのだ。

 

(なんだ、こいつ。面白いじゃないか!)

 

 そう思い、気まぐれに手を握り返してやった。たったそれだけのことで、ラナは飛び上がらんばかりに喜んだ。

 

「あぁっ!リゲル様は、なんてお優しい方なんだろう!」

 

 ……可愛いな、と思った。

 ラナの言う「お優しい」は、これまで私が相対してきた者たちから口にされる「お優しい」とはわけが違う。

 

 それが、すべての始まりだった。

 

 

◇◆◇

 

 ある日、ラナがこわばった顔で部屋に戻ってきた。

 

 どうした、と問いたくても声が出ない。話しかけることもできない。手を握ってやることしかできない私は、珍しく苛立ちに似た感情を覚えた。

 

 だが、やがてラナは堪えきれなくなったのか、例のアバズレ女への怒りを吐き出した。

 

 それがまた、最高だった。

 いよいよ我慢できなくなった私は、ラナの夢に現れることを決めた。

 

 夢への介入など、私には造作もない。

 近くにさえいれば、眠った相手の夢の中へ踏み込むことくらい、簡単にできる。

 

 夢の中で初めて向き合ったラナは、現実よりも表情が豊かだった。声もよく通る。何より——あの、罵り声が。

 

『あははっ!それは最悪だ!メス馬の相手なんて、この国で一番過酷な労働を強いられてたのは、リゲル様だったんですね!』

(本当に、いい声で罵るな)

 

 抑えてきた本音が、口から溢れ出す気持ちよさを、私はラナに教えてもらった。

 

◇◆◇

 

 ラナが私に恋をしていることには、早々に気づいていた。

 

 ああいう目は、これまでいくらでも見てきた。その先に何が来るかも、嫌というほど知っていた。だから最初は警戒した。

 

(恋などというものは、人間が欲を取り繕うための言葉にすぎない)

 

 だが、ラナは違った。

 

——あなたと一緒に居ると、楽しいなぁ。

 

 控えめに触れては、申し訳なさそうに顔を赤らめる。嬉しそうに、恥ずかしそうに、それでも手を離せないでいる。

 

 そんな姿が、可愛くてたまらなかった。

 どうやら私も、この口汚くて健気な男に、すっかり惹かれてしまっていたらしい。

 

(あぁ、もどかしいな……)

 

 自覚してからは、むしろ私の方が物足りなくなった。

 

 夢の中でねだる言葉が、どんどん増えていった。

 命令という形を取ったのは、ラナが奴隷上がりという引け目から遠慮しているのが分かったからだ。命令なら、言い訳が立つだろうと。

 

 ただ一つ。

 口づけだけは、命じることができなかった。

 

 いや、正確には、したくなかった。

 女々しくも、これだけは彼自身の意志で、私を求めるがままに触れてほしかった。

 

 まったく、あの女の下らない恋物語の主人公と同じ考えで、我ながら呆れる。

 

◇◆◇

 

 そして、あの運命の夜だ。

 ラナが顔を真っ赤にしながら部屋に入ってきた時、私はまだ、口づけを待っているつもりだった。

 

 なのに——。

(なのに、ラナときたらっ!!)

 

 私のズボンに手をかけ、震えながらも確かな手つきで触れてきた。

 あんな拙くぎこちない手つきにもかかわらず、私の体は臆面もなくしっかりと応えてしまうのだからお笑いものだ。

 

 ——が、その時の私には笑う余裕など毛頭なかった。

 

 ラナの吐息が乱れるたびに、抑えていた衝動が沸点に達しそうになるのを必死に堪えた。

 

 ラナが私の先走りを指で掬い取った時など、もはや自制などという概念が完全に消え失せた。しかも、それで自分の後ろを解し始めるとは——!

 

(ちょっと待て、ちょっと待ってくれ!いや、待たなくていい!これはもしかして!もしかしてしまうのか!?このまま私たちは繋がってしまうのか!?)

 

 全身が沸騰するかと思った。

 口づけなど、もはやどうでもよかった。このままラナが私の上に跨り、私の汚らしい欲のすべてを受け入れてくれる。

 そこから先は、想像するだけで限界だった。

 

 ——そう激しく興奮の波に身を委ねた、その瞬間。

 

(……終わった)

 

 挿入もなく、呆気なく。二人同時に。

 

 王族として、手淫だけでイってしまうなんて名折れもよいところだ。

 しかし、それでも私はこれまで感じたこともない幸福感と興奮のせいで、頭が真っ白になっていた。

 

 おかげで、ラナが話しかけてきても、手を握り返すことすらできなかった。

 

◇◆◇

 

 翌朝、パツパツのメイド服に今にも弾け飛びそうなホックをつけた女が、困り顔でやってきた。

 

「まったく、ラナのやつ!急に仕事を放りだして出ていくなんて……これだから奴隷上がりはっ!」

 

 どうやら、ラナが居なくなってしまったらしい。

「ごめんなさい」という書き置きを残して。

 

(あぁっ、なんてことだ!)

 私が興奮のあまり手を握れずにいたせいで、ラナは拒絶されたと勘違いしたらしい。

 まったく、私としたことが。あれほどの興奮に、ベッドの上で相手を気遣う余裕すら失っていたとは——我ながら情けない。

 

 その夜から、私はラナを追って夢の中へ踏み込み続けた。

 

 だが、城の外へ出たラナへの介入は、距離のせいで魔力の消費が比べものにならない。しかも夢の中の私は、ラナを前にすると衝動が暴走して、まともな会話もままならない始末だ。

 

 魔力を湯水のように使い果たし、肉体は日に日に衰えていった。

 まさか自分が、自分でかけた呪いと、性欲のせいで、衰弱死しかけるとは思わなかった。

 

 そして、ギリギリのところでラナが戻ってきた。

 涙で滲んだ瞳で、震える唇で、祈るように。

 

「リゲル様、大好きです」

 

 呪いが解けた瞬間、私は思った。

 

(真実の愛なんて、これっぽっちも信じていなかったのに)

 

 あんな馬鹿正直で不器用なキスひとつで、本当に解けるとは。

 私も相当どうかしている。

 

「だが……まぁ、いいか」

 

 窓の外では、今日も人々が、美しい王子の目覚めを祈り続けている。でも、きっとそんな日は永久に訪れないだろう。

 

「私は、とても性悪だからね」

——もっとも、私のお世話係も大概だが。

 

 私よりももっと性悪で、けれどこの世で最も愛おしい者。

彼の隣で、私はこの上なく幸福な「眠り」の中にいる。

 

 

 

 これは、西の果てモンデュール王国に伝わる——

 奴隷上がりの、性悪な「寝たきり王子のお世話係」の物語。

 

 

おわり