7:金持ち父さん、貧乏父さん(7)

 

 大変だ!

 何やら、ヨル達が問題に直面しているようだ!

 

『山肌の整備は、この冬が明けた春先からやるぞ』

『待て、春先って……すぐ夏が来るだろう?そしたら疾風が来る。そうすれば、また土砂崩れが起きて整備も無駄になるし、何かあったら危険だ』

『かといって、疾風が過ぎるのを待てば次は冬だ。冬は雪のせいで作業効率が悪い』

『夏も冬も……どっちも無理だ』

『かといって、山肌全体の整備が一季節で終わるわけがない』

 

 またしても、オポジットとヨルを中心とした村の若い男達が、村の中心にある寄合所で話し合っている。

 そして、俺はそんなアイツらを陰から見守るという役割を実行中だ!この役割はとても大事なのだ。何が大事かというと、野蛮なオポジットが、素敵の上のヨルに対し、野蛮な事をしないか見張っているからだ!

 

『おとうさーん』

『なんだ?イン』

『みんなの仲間に入りたいなら、入れてって言えばいいじゃん』

 

 木の陰から寄合所に集まる男達を見ている俺の元へ、可愛い息子のインが俺の袖を引き、話しかけてくる。

 俺は決して仲間に入りたくて見ている訳じゃない!

 その辺りは最高に重要な所なので、きちんと訂正しておかねばなるまい!

 

 そう思ったのだが、そんな俺の勢いは、更に激しい大量の小さな勢い達によってかき消された。

 

『そうだぞ!スルー』

『いっつも俺達とばっかり遊んでないで、たまには大人ともあそべ!変わり者!』

『俺が親父に、仲間に入れてくれるように頼んでやろうか!』

『フロム!お前本当に余計な事を言うなよ!?オポジットに余計な事を言ってみろ!ニアは絶対お前の嫁にはやらんからな!?』

『はぁ!?』

 

 俺の周りに集まっていた村の子供達は、俺の服を引っ張ったり、髪の毛を引っ張ったり好き勝手にしている。

 大人として多目に見てやっていたのだが、次の瞬間、背中に走った激しい痛みに、俺は『いでっ!?』と思わず大声を上げてしまった。

 

『インのとーちゃんだからって、ニアは渡さねー!』

『いや!ニアは俺の娘だから、そもそも、俺のなの!?なんで、お前のみたいになってるんだ!』

『ねー、おとうさん』

『っなんだ!?イン!』

 

 今はニアが誰のものかについて、この糞ガキフロムと壮絶な議論をしているところだ!邪魔をするな!

 

『フロムのお父さんが、こっちに来てるよ?』

『っ!?何!?うっ、うわ!?早く言え!』

 

 きっと先程の俺の声と、子供達の騒がしさで気付かれてしまったのだろう。こちらに向かって、眉間に酷い皺を作りながらやってくるオポジットの姿が見えた。

 ずんずんずん!と、そんな音が俺の耳に響いてくるようである。

 

『おいっ!スル―!お前何ガキどもとばっかり遊んでるんだ!お前も知恵を出せ!いい加減にしろ!!』

『どうせ、俺の意見など聞かんだろうが!う、ううわ!早い早い!』

 

 俺はもうすぐ傍まで近寄ってきているオポジットに『ひぃぃ!』と、隠せない悲鳴を上げると、すぐさまこの場を離れるべく、足に力を入れた。

 俺は、力とあればオポジットに負けるが、足の速さなら、昔から一度も負けた事がないのだ!

 というか、俺はこの村の誰よりも足が速い、という自負がある!

 

『では!皆!さみしかろうが、俺は行く!じゃあなっあああ!』

『親父!捕まえた!インのとーちゃんを捕まえたぞ!』

『でかしたぞ!フロム!そのまま、その“変わり者”を抑えておけ!?』

『分かった!まかせろ!』

『っおい!フロム!それ以上俺の足を止めてみろ!ニアは!』

『ニアは、俺のものだ!!』

『違う!俺のだ!』

 

 そう、フロムと謎の言い合いをしているうちに、俺はまたしても野蛮なオポジットの後ろから、ヨルまでもが呆れた顔で此方に近づいてくるのが目に入ってしまった。

 

 これはいかん!

 

『フロム!離さないなら……お前ごと連れていく!』

『うっ!うわぁ!?』

『っく!なんだ!フロム!お前!?重くなったな!?ちょっ!インと全然違うじゃないか!?』

『下ろせ!下ろせ下ろせ!おーろせ!』

『おとうさん!オレも!オレも!フロムだけずるい!』

『っくぅ!さすがにムリだ!』

 

 俺は予想以上に成長して重くなったフロムを持ち上げ肩にかけると、一気に駆け出した。後ろからは『スルー!いい加減にしろ!?』と叫ぶオポジットの声が聞こえるが、どうやら追いかけては来ていないようだ。

 

 まぁ、フロムというハンデがあったとしても、俺の本気の走りに追いつけるのは、きっと狼くらいなものだろう!

 

 俺は「助かった」と胸を撫でおろしながら、ともかくオポジット達から距離を取るべく、フロムを抱えたまま村を駆け抜けた。

 騒ぎ散らすフロムと、それを抱えて走る変わり者の俺。

 いつものように年寄り達は、呆れた顔で俺の事を見ている。コソコソと何か言っているようだが、そんな事は知った事ではない!

 

『下ろせーーー!ニアが見てる!!』

『誰が下ろすかーー!』

 

 

 あぁ、子供の成長って、なんて早いんだ!

 

 

 

 

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『おい、今日のアレは何だ?』

 

 

 あれ?いつかも聞いたような問いだぞ?これは一体なんだ?

 ふうむ、アレ、アレ。

 

『あぁ!あれは俺の娘を奪おうとする、悪ガキへのお仕置きだ!』

『いい加減にしろ。わざとだろ』

『……な、なんの事だか』

 

 俺は、いつもより鋭いヨルの視線に、思わず目を逸らしてしまった。ヨルの本気の目はさすがに怖い。夜の深い闇の中へ吸い込まれそうになる気がするからだ。

 

『スルー。お前、いつも俺達の事を隠れて見ているな』

『っは!あんなに見事に隠れていたのに!何故バレた!』

『あれで、隠れているつもりか。お前もうるさいが、お前の周りにはいつも子供達が集まっているから、どこへ居てもすぐ分かる』

 

 くう。やはり俺の愛好者である子供達の仕業だったか。俺がどんなに巧妙に隠れても、大衆の目はいつも俺に向く。

 困ったものである。

 

『どうして、昼間は俺を避ける』

『っ!』

 

 ヨルの少しだけ天気の悪い夜のような声に、俺は背中がビクリとするのを感じた。

 

 このヨルの声はいけない。俺まで悲しくなるではないか。

 あぁ、違うんだ、違うんだ。

 俺はヨルを避けている訳ではない。

 

『違うんだ……ぜんぜん、ちがう』

『スルー、お前の考えなど予想はついている』

『……きっと、それはハズレだ』

『外れない。どうせ、お前は俺がお前とこうして夜に会っていることが村人に知れたら、俺まで“変わり者”扱いされて、計画が台無しになるのを恐れているのだろう』

『は、はずれだ。そんなのは、まるでちがう』

 

 まるで、俺の心を見透かすように口にされたヨルの言葉に、俺はヨルとは絶対に目を合わせないように、視線を色んな方向に向ける。

 

『こんなに隠し事が下手な奴を、俺は初めて見たぞ』

『俺は下手じゃない!だいたいが上手だ!』

 

 そう、思わず反論と共に俺はヨルと目を合わせてしまった。その瞬間、ヨルの目が俺をジッと捕らえる。目が合っただけなのに、それだけで俺はもうヨルから目が離せなくなってしまった。

 

『スルー、お前が思っている程、周りはお前を“変”には思っていないぞ』

『いいや、俺は変わり者だ』

『まったく、頑固な奴だな』

 

 そう言って頭を抱え始めたヨルの姿に、俺は夜空の上にある、細く細くなってしまった月を見上げた。月は凄い。どんなに細くなっても、夜を照らす。

 

 どんなに細い光も、辿れば道になる。

 

『なぁ、ヨル。信じなくてもいいから、聞いてくれるか』

『……なんだ』

 

 俺はすぐ隣にあるヨルの肩に、自分の肩をぶつけながら、月を見た。

 空に薄く広がる“夜”を見た。

 

 あぁ、俺はやっぱり夜が好きだ。

 夜は俺を咎めない。自由にさせてくれる。

 夜は、優しい。

 

『次の夏はな、きっと疾風は来ない。……いや、来ない、は言い過ぎか。そうだな、数も少なく、強い疾風は来ない、といった所だろう。だから、山肌の整備をするなら、次の春から行うのが最も素晴らしい』

『……どうしてそんな事が分かる』

 

 当然の問いに、俺は少しだけ言うか迷ったが、言ってみる事にした。

 細い月でも夜を照らす。

 ヨルになら、言ってもよい気がした。

 

『今年は夏の期間がいつもより10日早く終わった。俺の肌感覚だから、正確にとは言えないが、まぁ、早く終わった事は確かだ。そして、疾風は去年の7個多く、全部で29個。例年より多い方だ。その中で強力な疾風は3個。村に甚大な被害をもたらした。強力な疾風の数もまた、いつもより多かった。そして、一番はこの冬。今の所、まったく雪が降っていない。夏の疾風は、この冬の在り方で大きく左右される』

『…………』

 

 黙るヨルに、俺はともかく続ける。

 こうして俺の話を黙って最後まで聞いてくれるのは、ヨルだけだ。家族には、もうこんな話はしない。俺が知っていればいいからだ。

 俺さえ知っていれば、家族は守れる。

 

『疾風の数が多い事、夏の期間が短い事、そして、一番は冬に雪が降らない事。これらは、次の年の疾風の数を減らし、規模も小さくさせる特徴だ。理由はよく分からない。そして、逆に疾風が多く、強力なモノが来る時の特徴は、その真逆だ。つまり、夏が長く、やって来た疾風が少なく、冬に雪が早く降り、降雪量も多い事。去年、一昨年とその特徴が大なり小なりあった事で、ここで2年間の疾風に対する村の被害は過去最大だった。その為、村の皆は警戒しているが、今年の気候から察するに、来年は大丈夫だ』

『その法則は、言い伝えか何かか?』

『違う。7歳の頃から20年間、俺が疾風の数を数え、気候の特徴を観測して、予想を立てて来た。今の所、15歳の頃から立て始めた予想に、大幅なハズレはない』

『20年間……字の書けないお前は記録を取れないだろう。何故そんなに過去の疾風の事まで詳細に記憶している』

『そうだ。字が書けないから、俺は覚えておくための、工夫をしている』

『どんな?』

 

 あぁ、ヨル。ヨル。ヨル。

 俺は話を聞いてもらえる事が、こんなに嬉しいとは思わなかった。こんなに真剣に、俺の話を、あぁ、嬉しい、嬉しい。

 信じて貰えなくても、聞いてもらえるだけで嬉しい。

 

『俺は忘れないように疾風の……いや、彼らの1つ1つに名前を付けている。名前を付け、古くからの友人のように接する。性格がどのようなものかを、彼らの過ぎ去った後、インと話し合う。毎年来てくれるんだ。どんな性格だったか知っていれば、もてなす準備も万全に出来る』

『……名、か』

『そう。名はとても大事なモノだ。名前が付いた瞬間、ぼんやりと形の見えなかったものに、顔や性格が生まれる。親しみを持てる。疾風を憎んではいけない。憎めば、怒りや恐怖で本質が掴めなくなるし、それは更に被害を大きくする。大事なのは、彼らを友だと思う事。友を出迎えるように準備する事。友の事は知りたいと思えるだろう?知って冷静に準備をする。俺の家は貧しいからな。取り越し苦労で、過度に無駄な準備をしたり、レイゾンの収穫を減らしている余裕は……一切ないんだ』

『…………』

『確かに、読み書きのできない俺には記録は取れない。だから、ヨルに「これだ」と記録を見せる事は出来ない。けれど、俺の頭の中には、全部ちゃんと在る。だって、友の事だぞ?20年経っても、忘れる訳がない』

 

 疾風に名前を付けるなんておかしいと言われた。

 疾風が来た時に『よく来たな!いらっしゃい!』と笑ったら、不謹慎だと怒鳴られた。

 今年は疾風が少ないから、レイゾンの収穫はもっと熟れてからが良いと言ったら、お前の言う事など誰が信用するかと無視された。

 

 俺は“変わり者”だ。

 

 誰からも話を聞いてもらえない“変わり者”だ。

 

けれど、夜だけは違う。

 ヨルだけは違う。

 

『信じなくていい。聞いてくれてありがとう。ヨル』

『……スルー、お前は』

『“たいぐ”か“きけつ”か、か?』

 

 俺が『お前が言いたい事はお見通しだぞ!』という気持ちを込めて、ヨルの方を笑って見てやると、そこには俺の予想に反した表情で、俺の事を見つめるヨルが居た。

 

 なんだ、この顔は。

 俺は、他人にこんな顔をされた事は、一度もない。

 これは、一体。

 

『お前は、素晴らしい』

 

 なに。

 

『!!』

 

 俺はその瞬間、自分の耳がおかしくなったのだと思った。

 それか、これはヨルの声真似をした自分の言葉なのではないかとすら思った。けれど、俺は何も言っていない。それに、俺は確かに見ていた。

 ヨルが口を動かし、とても熱い眼差しを俺へと向けて『素晴らしい』と口にするのを。

 

 あぁ!そうさ!俺は素晴らしい!

 そんなのは分かってる!当たり前の事を言わなくていいんだ!ヨル!でも褒めてやろう、さすがは俺の愛好者だ!

 

『…………っは、く』

 

 そう、口にしたつもりだった。

 けれど、俺の口からは、何も言葉は漏れてこない。

 漏れるのは、変に詰まってしまったような、呼吸音のみ。

 

 あれ?俺は言葉の出し方を忘れてしまったのだろうか?

 

『観測と記録が物事を正確に把握する全ての根源だ。そして、統計、分析がそこに続き、それは確かな“事実”を生む。長い年月と、積み重ねられた数値による記録。それこそが信頼できる“定義”となっていくんだ』

『ぁ、あ……う』

 

 こんな饒舌なヨルは初めて見る。

 こんなに興奮した顔のヨルも、こんなに何かを求める顔も、こんなに、こんなに、こんなに。

 

 こんなに、何も話せない“俺”も、はじめてだ。

 

『そして、スルー。お前の素晴らしさは、それだけではない。ここからが最も重要だ』

『っは、う』

 

 息が、うまく、できない。それに、顔も熱い。焼けるように、熱い。

 これはまるで、あの時のようだ。

 初めて、ヨルと酒を飲んだ日の、晩。

 

 俺は、今、酒を飲んでいるのか?

 

『20年と言う長きに渡り、観測と記録を続けて来たその継続力、そして、諦めずめげず自身のやっている事を“無駄ではない”と信じ続けられる強靭な精神力。その全てを誰に教授する事なく、自身の思考の中で生み出してきた高い思考能力。その全てに、俺は、お前に』

『っあ、あ』

 

 本当は目を逸らしたかった。

 逸らして何故か今すぐ駆けて家へと帰りたかった。

 けれど、それは全く出来ない相談だったのだ。俺の視線はヨルに絡めとられ、その目は絶対に逃さんという強い意志を感じた。

 

『敬愛の念を抱く』

『…………』

 

 けいあいのねん。

 それは、俺には分からない言葉だった。言葉を知らないというのは、表現できないもどかしさの他に、上手に受け取れないもどかしさもあるのだな、と俺は胸の中にズンと深く重く落ちた。

 

 けれど、とおりいっぺんの意味を知るより、それは今のヨルの顔を見た方が随分本当の意味を理解できそうでもあった。

 

『もう、やめて、くれ』

 

 俺はやっとの事で、意味のある言葉を吐けたかと思うと、それはいつもの俺の声でも言葉でもなかった。

 こんな、俺は、俺も知らない。

 

『……スルー、お前。もしかして』

『やめて、』

『照れて、いるのか?』

『っお、俺は、照れているのか?』

『ここで聞き返すところが、まるで、お前らしい』

 

 そう、口元に薄く笑みを浮かべるヨルの顔が、俺によっては余りにも妖艶過ぎて、もう、もう!見ていられなかった!

 だから、歌う事にする!あぁ、そうさ!歌うしかない!

 

『う、うたおう!俺は、ヨルに、礼をしたいから!歌う!』

『……何の礼だ』

『は、は、はなしを最後まで聞いてくれた、礼だ!これは凄い事だからな!ヨルは凄いことをしたんだ!だから、今日も、感謝の気持ちに、朝まで歌おう!そうしよう!』

『何故、お前は自らの、これまでの発言や行動で勝ち得た俺からの”信頼”にすら、何かを返そうとする?それはお前が自身の力で得たモノだ。俺は警戒心の強い男だ。誰かれ構わず、話を聞いたり信頼したりなどしない。お前は、何かを返す必要などなく、それは誇ってよい事だ』

『し、信頼?だ、誰が信頼されている?俺はヨルが何を言っているのか、さっぱりわからない』

『……お前には、まだまだ“練習”が足らんようだ。明日から、覚悟をしろ』

 

 俺の言葉に急に不機嫌そうに歪められたヨルの表情と、“練習”の言葉に、俺は思わず背筋にゾクゾクとした何かが走るのを感じた。

 

『な、なんの練習だ?』

『昨日も言っただろう。もう、忘れたのか?』

 

———-他者からの、自身への正当な評価を受け入れる姿勢を養う為の練習だ。

 

 そう、不機嫌そうな顔から一転して、ニヤリと笑ったヨルに、俺は言葉の意味を上手く消化できないまま、ともかくヨルの視線から逃れるように、

 

 歌った。