エピローグ:黒歴史はいつも誰の過去にも

 

 年末の気配が色濃くなってきた十二月。

 「京明祭」が終わって、一か月が経った。

 

 今日も今日とて、この俺——宮沢直樹は、月曜倶楽部の部室にいた。

 エアコンなんていう文明の利器のないこの部屋は、まさに「極寒」という言葉がふさわしい。

 

「……さむ」

 

 俺はぼそりと呟きながら、手にしたスマホを両手で包み込む。

 そのわずかな熱を、指先に分けてもらうようにじっとスマホの画面を見つめながら、白い息を吐いた。

 

 夏は酷暑、冬は極寒の月曜倶楽部。

 そこで、俺は変わり映えのない日常を送っている……と、言いたいところだが、京明祭を境にほんの少しだけ変化が訪れた。

 

「おい、ゴスロリ女。その解釈に俺は納得しない。意義あり」

「何を言っているの。あなたの解釈こそ、矮小で浅薄。かかってきなさい、三行で論破してあげるわ」

 

 寒さ極まる月曜倶楽部の部室で火花を散らしているのは、我が部の部長・花織先輩と、偉そうに腕を組んでふんぞり返っている青年——余生先生だ。

 

「そもそも、ゴスロリ女。アンタの語彙は足りなさすぎて、感想になってない」

「〝語彙〟で読み取れるだけマシでしょう?表層をなぞるしかできない読者より、ずっと」

「は?ソレ、誰の事言ってんだよ」

「なによ、何か文句でもある?」

 

 かつては「ブルーマンデー」以外の場所で見ることはなかった彼が、今ではこうして、月曜倶楽部にふらりと現れては、部室に居座っているようになったのだ。

 エアコンもない。ましてや温かいコーヒーなんてどこにもない場所にもかかわらず、律儀にパソコンを持ち込んでは黙々と作業したり、花織先輩に論戦をふっかけたりしている。

 

(楽しそうだな、余生先生)

 

 どうやら、ここも彼にとっての“居場所”の一つになったらしい。

 

 俺は、すっかり日常の一部になりつつある二人の論争を横目に、今日も変わらずWeb小説に釘付けの毎日を送っている。

 もうすぐ後期テストが始まるというのに、俺の勉強の進捗はまったく芳しくない。

 

「……あ、爺ちゃんからだ」

 

 Web小説を読みふける俺のスマホに、最近やたらと届く爺ちゃんからのメッセージ通知が届いた。

 

————

直樹!来週そっち行くからな!爺ちゃんの布団用意しとけよ!

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「えぇ……」

 

 一人暮らしの部屋に予備の布団なんてあるわけもない。

 俺は「自分で持ってきてよ」となかなか無茶だなと思う返信を打ち、通知を切って、再び読みかけのWeb小説へと視線を戻した。

 

 一週間前、爺ちゃんから「最近全然うちに来ないじゃないか!学費だけ出させてジジイは用無しか!?」という連絡が来てから、ずっとこんな調子だ。

 正直なところ、読書とブルーマンデーと余生先生で、俺のキャパはすでにいっぱいいっぱいなので、爺ちゃんには悪いけど、構っている余裕はほとんどない。

 

(うちの爺ちゃん、マスターと違ってうるさいからなぁ)

 

 ブルーマンデーを紹介したいところだが、爺ちゃんがマスターや他のお客さんに迷惑をかける未来を想像して、紹介するか迷っているところだ。

 

——直樹君。コウのこと、本当にありがとうね。

 

 ふと、京明祭のあとマスターから掛けられた優しい声を思い出した。

 

 マスターはすぐ俺にお礼を言うけど、俺は別に何もしていない。

 

 ついでに、何故か余生先生の担当編集の人にまで「これからも、余生先生の事をよろしくお願いします」なんて、よく分からない圧をかけられてしまった。

 どうやら俺は、編集さんの中で〝余生先生専用のお世話係〟みたいな扱いらしい。SNSだけはちゃんと見張っておいて、と真顔で釘を刺されたのが、妙に必死で面白かった。

 

 そんな余生先生はというと、京明祭のあと何食わぬ顔で【ツク・ヨム】での更新を再開した。

 

 というか、むしろ爆速で更新しはじめ、別作品との並行連載まで始めている。しかも、余生先生にしては珍しい異世界恋愛モノだ。

 

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1位:前世隠れドMの私。奴隷に転生したら鞭打ちが天職だった件〜罰を代わりに受けて喜んでたら王子に溺愛された〜

作者:余生

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 当然、「異世界恋愛」ジャンルのランキングでも不動の一位。

 現代で隠れドMとして欲求不満を抱えながら生きてきたOLの異世界転生成り上がりラブコメディで、やっぱり余生先生の引き出しの広さはすごいなと、つくづく舌を巻いた。

 

 更に言えば、最近【ダレハカ】のアニメ化が決まって、もはや〝順風満帆〟では言葉が足りないくらいだ。

 ただ一つ、引っかかるとすれば——。

 

《あの時の余生、マジで壊れたかと思ったwww》

《しゅきしゅき連呼のツイート消さないの、じわじわ来る》

《あれ、余生のガチ恋ポエムだった説あるよな?》

《余生、絶対深夜テンションで投稿して後悔してるだろ……いや、してなさそう》

 

 あの一件、通称「壊れた余生事件」。

 一カ月前に投稿された余生の暴走SNSは、いまだに界隈では語り草だ。

 でも、本人はまったく気にしていない。むしろ、「蝿よろしく、勝手に両手擦って笑ってろ」と開き直っていた。

 

「おい、いいかげん現実を見ろよ。黒レースとシニカルは就活で通じねえぞ」

「あら、現実逃避で物語に引きこもってるあなたにだけは、言われたくないわ」

「そのフリル、何枚重ねたら気が済むんだよ。自前の装甲か?」

「そのなっがい前髪で何が見えてんのよ。闇?自分の内面?」

 

 そろそろ、余生先生と花織先輩のやりとりが、文学論争から小学生の喧嘩みたいになってきている。ふたりのやり取りを聞きつつ、俺はスマホに映し出されていたWeb小説のラストに「了」という文字を確認し、自然と感嘆の声を漏らした。

 

「はぁ、最高だった」

「……なに、俺の更新はまだだけど」

 

 さきほどまで花織先輩と討論していた余生先生が、いつの間にかちょっとムッとした顔でひょいと俺のスマホを覗き込んできた。

 

「あ、えっと、その……気になる作品があったんだけど、【ツク・ヨム】には見つからなくて、別のサイトでやっと見つけて」

「気になる作品?なに、それ」

 

 俺の説明に、余生の眉間がきゅっと寄る。そして、更に詰め寄ってきて俺のスマホを覗き込もうとしてきた。

 

「渡り鳥クン、またあの掲示板を覗いてたんでしょ?」

「あ、えっと……はい」

「もう、やめなさいって言ったでしょう。あそこは創作者の病の巣窟。そうそう近付くものではないわ」

 

 花織先輩が、呆れたように眉をしかめる。

 〝あの掲示板〟とは、以前【ツク・ヨム】に作品を投稿している時に、読者から教えてもらった《【ツク・ヨム】地雷作者晒しスレ》のことだ。

 

「でも、あそこに書き込まれた作品、好きなことが多くて……」

「まったく、あなたって本当に恐ろしい子ね」

「え?」

 

 先輩はこめかみを押さえて、ほんの少しだけ目を閉じた。

 そうなのだ。俺はここで晒されてる作品が、自分の好みに刺さることが多いから、もはやおすすめ検索サイトのように使ってる。

 

「で、今度はどこの誰の、どんな黒歴史を見つけたの?」

「それが、ずっと前から気になってた作品があったんですけど、【ツク・ヨム】じゃ見つからなくて。でも、こっち!この【小説家になって!】ってサイトにだけ残ってたんです!」

「……【小説家になって】だと?」

 

 すると、俺のスマホから《【ツク・ヨム】地雷作者晒しスレ》を覗き込んでいた余生先生が、花織先輩と同じような表情——いや、もっと凄い、なんとも筆舌し難い顔になっていた。

 

「見てください、この作品です!」

 

 そう言って俺は、「小説家になって!」のサイトの画面を二人に向かって見せた。そこに表示されていたタイトルは——。

 

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血塗れの遺言とカミサマになった僕

作者名:†堕天使ユウ†

————

 

「ぐふっ!!!!!」

 

 突然、変な声を上げて机に突っ伏した余生先生に、俺は思わず目を丸くした。

 机の端に額を強打したらしく、両手で顔を覆って微動だにしない。口からは、かれた悲鳴のような音だけが漏れていた。

 

「……え。まさか、それ」

「言うなっ!!け、け、消し忘れてただけなんだよ……!」

 

 隣で小声の応酬を始める余生先生と花織先輩。

 二人とも、なんだか妙に目を合わせないようにしていて、明らかに〝なにか〟を共有している様子だったけれど、俺は気にも留めず画面に視線を落とした。

 

(†堕天使ユウ†先生。ほんと、天才過ぎる……)

 

 スマホの中で煌々と光るタイトルと、目の奥に刺さるような文章。古びた言い回しも、少し過剰な語彙も、全部がこの世界観にぴたりとハマっていた。

 

「この作品、ちょっと文章が歪なところがあるんですけど、でもそれが逆に〝遺言〟っぽくて良いんですよ。過去への執着と、神になった現在の乖離が、痛いくらいに浮き彫りになってて……」

 

 うっとりと呟いた俺の声に、隣から息の詰まるような余生先生の声が聞こえた。

 でも、今の俺はそれどころではない。今はこの胸のうちに巡る感情を発露したくてたまらないのだ。

 

「比喩とかも、めちゃくちゃ鋭くて。たまに感情の露出がド直球なのが、すごい刺さって。読み終わったあと、ずっと胸の奥がざわついてて……この感情と思想と信念がぶつかる感じ……すごい。あぁ、ノイズまで美しい」

 

 俺はスマホの画面を撫でながら、恍惚としたように言った。

 

「ほんと、これ、余生先生にも読んでほしい……。うん、これ、きっと余生先生も好きだと思います。ぜひ読んでください!」

 

 笑顔でそう言った俺に、横で顔を伏せていた余生先生の肩が、微かに震えた気がした。

 

「しゅき……けっこんしたい……はよ、じゅうはちに、なりたい」

 

 ぼそりと漏らした声に、俺は一瞬きょとんとしてから、すぐに笑った。

 

「え、もうしてるじゃないですか。先生」

「っ!」

 

 そう言って指輪をそっと掲げた俺に、先生は何も言わず、ただ耳を真っ赤に染めた。

 

 ランキング1位の小説家も、俺にとってはただの十六歳の男の子だ。