唐突だった。
唐突過ぎて春日には一瞬、その言葉の音だけが耳を素通りし、意味を脳内で理解出来ずに居た。
この瞬間こそ、冒頭の息を呑んだ春日の一瞬へと繋がるのだが、春日は1拍、2拍と呼吸を置き、静かに宮野の言葉を頭の中でリフレインさせた。
“会社辞める事になった”
誰が。どうして。何故。
「(いつも通りだったのに。さっきまで、いつもと変わらない仕事終わりだったのに)」
ぐるぐると頭の中を駆け巡るそんな疑問に、春日が自分で思い浮かべた言葉に疑問を呈した。
本当に今日はいつも通りだったか、と。
いつも通りだった、と間髪入れずに返せない言葉。何故なら、今日は全然いつも通りではなかったからだ。
こんな個室の予約なんて初めてだった。
ビールを頼まない宮野なんておかしいと思った。
昔話ばっかりするのも不思議だった。
そして、なにより。
店に来てから全然目を合せてもらえなかった。
春日は早鐘のように鳴り響く心臓の音を抑えつけながら極めて冷静に、そしていつも通りの自分であるように振舞おうとした。
「い、いつですか?」
「んー?3末」
さんまつ。
3月末。今が1月の頭だから、後2カ月強。
早い。余りにも早い。余りにも唐突。
春日が頭の中ではじき出されたリミットに目の前が暗くなるような感覚に陥った時。
「けど、まぁ有給消化もあるし……あんまし3月は会社には来ねぇな。実質2末と考えてもらっていい」
「2月、末」
その言葉にそれまで耐えていた春日の感情が一気に洩れそうになった。
しかし、春日はそれを寸での所で抑え込んだ。こういう時感情の起伏が他人よりも穏やかで良かったと心から春日は思った。
しかし、このまま此処に居たら危ない。
春日は自分の感情の高ぶりを悟ると、スクリとその場から立ち上がった。
そんな春日を宮野は驚いたような目で下から見上げていた。
「……宮野さん。すみません、ちょっとお手洗いに行ってきます」
「っあ、おい!ちょっ!」
宮野の呼びとめも聞かず春日はそのまま顔を俯かせて個室を出て行った。
出ていったのに通りから微かに聞こえる嗚咽。そして続いて、「ひぃいん」という情けない泣き声。その声に手を伸ばした格好のまま固まっていた宮野は思わずフッと笑ってしまった。
泣くだろうな、とは思っていた。それは自惚れや過信などではなく、確信だった。
あの、どこかのんびりした見た目だけでいえば自分よりも年上に見える、まだ頼りない新人。自分の言う事を何の疑いもなく信じ、そして後を付いて来る部下。
だから、こうしていつもと違うシチュエーションを用意した。
どんなに泣いても、いいように。
「何のために個室をわざわざ予約したと思ってんだ」
そう小さく呟きながら笑った宮野だったが、そのまま耐えるように目頭を押さえこんだ。
どちらの為に用意された個室かわかりゃしない。そう、抑え込んだ目頭の下で、またしても春日は小さく笑う。
大丈夫だ、しばらくあの後輩は帰って来ない。だから、大丈夫だ。
そう、静かに自らに言い聞かせたが、まだメニューの来ない現状を思い出し必死に唇を噛みしめた。