「宮野さん!なんで仕事辞めるんですか!?」
そう、突如として悲壮感がぶり返してきた春日に宮野は「あぁ、そう言えばまだ話してなかったな」と、目の前にあったクシをつまみながら春日を見た。
「俺、店出すんだわ」
「へ!?」
余りに突然な宮野の言葉に春日はポカンとした表情でモグモグとクシを食べまくる宮野を見ていた。しかし、説明が面倒になったのか宮野は隣に座る太宰府の肩をポンと叩いた。代わりに頼む。むしゃむしゃと食事に手を付ける宮野は無言で太宰府にそう伝えた。
そんな、宮野に太宰府は溜息をつきながらも「そうですね」と、春日に向かって口を開いた。
「コイツの学生時代からの夢なんですよ。店出す事は」
「店って……何の?」
「えっと、純喫茶かな」
「オラ!お前なに人の店を純喫茶とか言っちゃってんだよ!?古いわ!死語だわ!」
そう、今までクシを食べる事に夢中になっていた宮野が春日に向かって説明していた太宰府に食ってかかる。しかし、怒鳴られた太宰府は一体なにがいけなかったのかわからないせいか、「はぁ?」という顔で宮野を見て言った。
「いや、だって純喫茶だろ」
「……見ろ!平成ゆとり生まれがポカンとしてるだろうが!“純喫茶って何?”って顔してるだろうがっ!ほらほら、お前の部下なんてすかさずスマホで検索し始めたよ。見ろよ、お前、これが平成生まれのゆとり達だぞ」
はぁ、と宮野はただひたすらに何がいけないのかわかっていない太宰府を横目でジト見した。いまどき“純喫茶”なんて標榜してオープンする喫茶店なんてあるわけがない。昔からある喫茶店ならまだしも。
そう、宮野が酒に手をかけた時、先程までスマホで“純喫茶”の検索をかけていた甘木が納得したように声を上げた。
「カフェみたいなものですね!」
「今度はもうめっちゃお洒落に言ってくれたなぁ!ゆとり世代!うん!そうだよカフェだ!そして、太宰府!やっぱお前24歳設定無理だわ!話してたらすぐバレるわ!」
「な…、そこまで言うか?」
「喫茶店を純喫茶なんて言うようなヤツは平成生まれじゃ通らねぇよ!馬鹿!」
そんな嵐のようなやり取りをぼんやりと眺めていた春日だったが、それまで悲壮感に満ちていた顔がその瞬間パァァと明るくなった。
太宰府と宮野の会話のペースは速すぎて、のんびり屋の春日にはタイムリーに乗っかる事が出来ないが、会話のふとした隙間に割り込む事には春日はとても長けているのだ。
「凄いです!宮野さん!脱サラして店出すなんて!ドキュメンタリーみたいですね!」
「そうだろ、そうだろ。俺は大学時代から練っていた計画だったからな。辞めるにあたって新人を一から育てる事で、上からは退職を受理してもらったんだ。だから、春日、お前は俺の夢の為の生贄だったんだよ」
「生贄……ですか」
「そうだ、だからお前には俺の夢を成功すんなと呪う権利をやろう」
「いえ、俺はそんな……」
宮野らしい、どこかハッキリしたモノ言いに春日は苦笑せざる負えなかった。
“生贄”とは言い得て妙。確かにその通りだ。
宮野は自分の夢の為に、春日という新人を育てる事を決めた。自分が居なくなってもいいように、1年間、みっちりとつきっきりで社会人のいろはを教えた。
けれど、宮野の夢と春日の1年間には、実質なんの関係もない。
ただ、あるのは必死になって春日の道しるべとなって前に立ってくれていた宮野陣という上司が居たという事実だけだ。
「俺は宮野さんの夢が成功するように祈ります。俺の社会人1年目に、宮野さんという素晴らしい上司がついて下さった事は俺にとって誇りです」
春日は突然改まった口調でそう言うと、自分の斜め前に座る宮野に向かって静かに頭を下げた。そんな春日の行動に宮野は静かに息を飲むと、ゴクリと音を立てて唾を呑み下した。
それを太宰府は横目に見て「あぁ、コイツは苦手なのにな。こういうの」と密かに思った。
わざと、明るく装うのが宮野陣という男だ。
湿っぽいのが嫌いで、だが誰よりも情に厚い男だ。
「お疲れ様です。今までありがとうございました」
「…………」
「俺、宮野さんの夢、応援しています」
そう言って春日が顔を上げた瞬間。
「やーめーろーよー!そう言うの、ほんと、やーめーろぉぉ!!!」
春日の斜め前で、先程までカラカラと笑っていた筈の宮野が手で目を抑えながら号泣していた。オウオウと派手に涙を流しまくる宮野の姿に、春日もつられるように、引きずられるように引いていた涙が次から次へと流れ始めた。
「ひぃぃぃん!宮野ざん!やっばり辞めないでくだざいぃぃ!俺まだぜんぜんわかりまぜんん!」
「それは無理だぁぁ!ごめんなぁぁ!っひううう」
「でずよねぇぇ!俺不安でごわいでず!宮野ざん、俺これがら一人でどうじまじょううう!」
小さな個室で4人中2人が号泣し始めたカオスな空間で、何故かつられて泣きそうになっている甘木。
それを見て太宰府は、とりあえず落ち着こうと目の前の生ビールに手をかけた。
するとそれと同時に、何やらモヤモヤとした感情が太宰府を埋め尽くしているのに太宰府は気付いた。
それは、なにやらこの隣に座る旧友宮野に向かっているモヤモヤのようで。
目の前には宮野の為に泣き腫らす春日の姿。
気に入らない。そう、太宰府が思った瞬間、彼の手は滑っていた。
「うあっ!?」
「うおい!?太宰府!?お前このタイミングで何やらかしてんだコノヤロウ!!スーツがビシャビシャになっちまったじゃねぇか!?うあうああ」
「タオル!タオル!五郎丸くん!店員さん呼んで!ひぃっく」
「っは、うんっっひく」
「悪いな、いや、ほんと悪いな。宮野」
「なんだその明らかに悪びれてない感じ!わざとか!?お前わざとか!?」
「いや、悪い悪い。ほんと俺はそそっかしくて」
「絶対わざとだろ!?ぶっ飛ばすぞ!」
「うあああ!俺の携帯も濡れてる!どうしよう春ちゃん!」
「五郎丸くん、それ防水だって俺にこないだ言ってなかったっけ?」
「あ、そうだった!」
泣きながら、キレながら、驚きながら、慌てながら、ホッとしながら、そして、泣きながら。
その個室空間は、新年早々騒がしくも、何やら皆が一歩前進したような、していないような。
とりあえず、こうして彼らの新しい年は幕を開けたのだ。