29:いざ、後輩と

 

カランと揺れた入り口から、突然元気な声が響いた。

 

「っべーっすね!マジここしゃれとんしゃー!」

 

店では余り聞かないその若いテンションと声に、宮野は思わず「いらっしゃいませ」の言葉を詰まらせながら入り口を見た。

すると、そこには見慣れた元部下の姿と、初めて見るのに、何やら何度も聞き知ったような者の姿。直観的に宮野は『やっぱり来たよ』と自分でも無意識のうちにしていた覚悟を思い知った。

 

「お好きな席へどうぞ」

 

宮野はカウンターから接客スマイルを浮かべてそう言うと、やたらテンションの若い若者の後ろからチラチラと自らを見てくる春を接客オーラで跳ねのけた。

宮野は仕事を辞めた身という己の身分を、春に対して綺麗に線引きする事を徹底してきた。

それが宮野陣と言う男の筋だ。

ここでもそれを徹底する事は、きっと春にもこれで伝わるだろう。

時間が浅い故、まだ店内は比較的に空きがある。

まぁ、個室などなく余り広くない店内だが、奥の席に座ればプライバシーの確保位はできるだろう。

 

そう、宮野は思ったのだが。

 

「香椎花、カウンター行こうか」

「カウンターっすか!いっすねぇ!めっちゃしゃれとんしゃー!」

 

宮野は仕事をするフリをして、手元の綺麗なコップを無理やり洗い始めた。

 

(何でコッチ来てんだ!?)

 

春の最初の緊張した顔を見た時、宮野は分かった。きっと春が今日、かねてより悩んでいた事をあの若い新人と腹を割って話すのだと。

きっとというより、これはハッキリとした確信だった。

なのに、どうしてわざわざこんな絶好に話のしにくそうな席に来るのだ。

宮野は春に詰め寄って、サラリーマン時代のようにピシャリと叱ってやりたい衝動に駆られた。

 

駆られたものの、必死にその衝動を抑え込む。

そして食器を洗いながらチラリと春の姿を覗き見た。

 

「っ」

 

すると、そこにはヘラリと笑いながら最近の話題の中心であった19歳の後輩に向き合う春の姿がった。

特に宮野自身に何かを求めたり、聞き及んで欲しいなどといった気色は、春の顔には一切なかった。

そして、その姿を見た瞬間、宮野は分かってしまった。

春は宮野に助けを求めてこのカウンターに来た訳ではないのだと言う事を。

 

(アイツ……!)

 

ただ、春は真似をしているのだ。

 

誰を。

そう他でもない宮野の事を。

宮野自身、確かにそうだった。

 

『カウンター行くぞ!春日!』

『はい!宮野さん!』

 

宮野が春と飲みに行く時、それはいつもカウンター席だった。

そう、宮野が辞める話をするあの最後の飲み以外は。

いつも、いつだって。

 

『春日、後輩との飲みはなぁ、カウンターが一番なんだよぉ。わかるかぁ?上司と終始向き合いっきりなんて気が滅入るだろうぉ。そうだろぉ。カウンターのこの横の距離感が最適なんだよぉ。わかるかぁ?春日ぁ』

 

席がなく、いつもカウンターになる事をちょっとだけ正当化してテキトーな事を言っただけだった。それを、春日が余りにも真面目に、一見自分よりも先輩に見えそうな顔でキラキラしながら頷いてくるものだから、宮野はいつも春に少しの酔いと高揚の中、本当にテキトーな事を言い続けてきた。

その結果がここにはあるのだ。

 

(この、バカたれが)

 

宮野は綺麗になりつくし、最早洗う必要なんて欠片もなくなってしまったコップをゴシゴシと洗いながら、何故だかむしょうに心臓が締め付けられるような気持ちになった。

自分の夢の為に今まで必死に働いて来て、今、こうして夢を叶えた。

大変だが、毎日が充実しているしやりがいもある。

しかし、どうして。

人間と言うものはいつも常に隣の芝生が青く見えてしまう。

 

「香椎花?何飲みたい?好きなモノ頼みなよ」

 

そう言ってメニューを広げる春の姿は、宮野と飲みに行っていた時とはまるで違い、誰がどう見ても見た目のままの上司と部下だ。

宮野は見る事の叶わなかった元部下の上司としての姿に、静かに蛇口を締めた。

 

「春せんぱーい!ゴチになりまーす!」

「はいはい。ほら、何がいいの?」

「そっすねー。ほんとはアルコールを摂取したいとこっすけど、ここは先輩のツラを汚さないためにジンジャーエールにしときますよ!」

「ははっ。ツラ汚しって。食べ物はテキトーに頼むから頼みたい時はその都度言ってね」

「うえーい!くっそ腹へってたんで、マジ楽しみー!あ、春センパイは飲んで下さいね!俺、春センパイの酔うとこみーてーみーたーいー!」

「んー、俺あんま酔った事ないからなぁ」

「春センパイ、酒強そっすもんね!」

「いや、強いというか……そんな飲んだ事ないからなぁ」

「なら、ますます酔わせたいっすねー!すみませーん!ちゅーもんお願いしまーっす!春センパイはとりあえず生でいいすよね!カシオレなんて女子みたいな事言わせませんよー!」

 

宮野はその元気な声にはじかれたように顔を上げると「いえーい!お洒落店員さん、うぇーい!」と、既に酔っぱらっているかの如くはしゃぎ倒す香椎花という19歳の新入社員を、始めて真正面から見た。

 

(へぇ、コイツは……バカじゃないな)

 

さて、なるほど。この19歳の香椎花という若人。

確かに“変わった新人”と言うレッテルを貼られ悪目立ちしそうではあるが、それはこの香椎花が10代でつい最近まで高校生という出自がカバーしている。

出る杭は打たれるというが、香椎花は自らの未熟さや若さを逆に全面に押し出し、打たれる範囲をそこだけに絞っている。

他者から打たれない事は目指していない。自らの許容範囲内でのみ打たれるように上手く他者に隙を見せているのだ。

それを計算でやっているのか、それとも天然でやってのけているのかは微妙であるが、香椎花の処世術は、なかなかに完成されている。

要は春が感じている通り、年上からは可愛がられるラインを上手く歩いているのと言う事だ。

 

宮野は「少々お待ち下さい」と笑顔で受け答えると伝票とペンを手に、二人の座るカウンターの前へと移動した。

 

 

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