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「あら、あら。ぶーちゃん。今日もご飯もらいに来たのー?」
「にゃー。にゃー」
ぶーちゃん。
そう、目の前の老婆が俺の頭を撫でながらニコニコと笑っている。
ぶーちゃん。
ぶーちゃん。
目の前のばあさんにとって、俺は“ぶーちゃん”らしい。
「ほぉら、ぶーちゃん。今日は昨日のお昼のサバの煮つけの端っこの方よー」
「にゃーにゅあーにゃー」
「そうそう。うれしいのねぇ。たくさん食べなさい」
ちなみに、そう言って俺の頭を撫でる老婆は“ミソノサン”と言うらしい。
人間と言う生き物は、こうして何にでも名前がある。そして、何にでも名前をつける生き物なのだ。
おもしろい。
「ぶーちゃんはかわいいわねぇ」
「にゅあー」
ガツガツと飯を食べながら返事をする俺。
ミソノサンの撫で方は少々強引なので苦手であるが、こうしておいしいサバの煮つけの端っこをくれたのだから、我慢するよりほかない。
俺はあの日、あの冬の日、確かに死んだ。
死んだ筈だった。
けれど、今もこうしてあの日と変わらぬ姿。いや、逆に若返った姿で今もこうして生きている。
簡単に、端的にその理由を説明しようとすれば、つまりはこういう事だ。
俺は、“変な猫”になってしまったのだ。
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あの日、確かに俺の胸の音は止まった。
意識も遠のいた。
苦しかった体から力が抜けた。
それが誰にでも訪れる“死”というものらしいのだが、何故か俺は次の日もいたって普通に目を覚ましていた。
『?』
しかも、気だるかった体はしゃんとして元気になり、走り回る事だって出来るようになっていた。
俺は訳がわからず軒下で呆けていたのだが、そこで俺はある重要な事に気付いた。
俺の胸の「とくん、とくん」が聞こえなくなっていたのだ。
若い頃は早鐘のように鳴りまくり、年老いてからはゆったりと、けれど止まることなく鳴っていたあの音が、消えた。
その状況がおかしいものである事くらい、いくら猫の俺だって気付いていた。
おかしい事はわかる。
けれど、何故かはわからない。
そして、更に俺を驚かせる事がその直後に起きた。
『おーい!にゃんごろー!いるかー!』
『っ!?』
子供の声だった。
人間の、子供。
子供は驚く俺を余所に、俺の居る軒下からひょいと顔を出すと笑って俺に向かって『にゃんごろー!げんきかー?』と叫んでいる。
その手にはいつものように人間の食べ物が握られている。
あれはなかなかに甘くておいしいモノだ。
この子供はいつも俺にこうして食べ物を持ってくる子供だ。
いや、違う今はそんな事で驚いているわけではない。
『にゃんごろー?死んでないよなー?』
『にゃっ』
そう言うや否や俺の頭を必死で手を伸ばして撫でて来る人間の子供。
そして俺はそれに驚き尻尾をピンと立てて、反射でその人間の子供の手にすり寄った。
『にゃんごろー。なんか昨日より元気になってない?よかったなー』
『にゃー』
人間の言葉がわかる、のだ。
今まで人間達が俺に向かって何か口を開いているのは知っていた。
しかし、俺は猫だ。
人間が何を言っているのかなんてわかりはしなかった。
ただ、この子供が今しがた何度も口にしていた『にゃんごろ』という音の羅列だけは、なんとなく俺の呼び名であるのだろうな、くらいには理解していた。
しかし、今はどうだ。
『にゃんごろー。今日もばあちゃんの饅頭持って来たよ。食べな』
『にゃあ』
子供の言葉を理解できる。
聞き慣れない固有名詞もあるが、それは文脈でなんとなく理解できる。
『饅頭』とは、この子供がいつも持ってくる甘い食べ物の事で、ばあちゃんと言うのはこの子供と一緒に住んでいる年寄りの事だろう。
俺は子供のから饅頭を貰いながらつらつらと考えた。
死んだと思った。
けれど、俺は死んでおらず、逆に元気に若返り、けれど胸のとくんとくんの音は消えて、人間の言葉が分かるようになっている。
俺は饅頭を食べながら首をかしげた。
考えても、考えても分からない事だらけだ。
故に、俺はすぐに思考を止めた。考えても分からない事を考えるのはよそう。
そう思ったところで、子供はとても重要な事を言った。
『にゃんごろー。昨日ぼくがこの神様にお祈りしたから、きっと渡瀬神社の神様が元気にしてくれたんだね。良かったねぇ』
『にゃあ?』
かみさま。
わたせじんじゃ。
またしても分からない言葉が出て来た。
しかし、そう言うや否や子供が俺が寝ぐらにしている汚い建物に向かって、パンパンと手を叩きながら『にゃんごろーを元気にしてくれてありがとうございます』と言っているのを見て俺はまた理解した。
その子供がやった行動は、昔からこの建物に人間がやっているのと同じだ。
どうやら、この汚い建物は『わたせじんじゃ』と言い、『かみさま』という、このわたせじんじゃの何かが俺を元気にしてくれたらしい。
おかしい。
ここで俺以外が住んでいる所など見た事がないのだが。
『にゃあ』
俺が更に出て来た疑問で頭の中がぐるんぐるんしていると、わたせじんじゃに頭を下げた子供が俺の元に戻って来た。
『にゃーんごろ』
俺は死んで、でも死んでなくて、わたせじんじゃのかみさまに元気にしてもらって、でもかみさまを俺は見た事が無くて。
あぁ、またしても混乱して来た。
しかし、俺は混乱しながらもニコニコ笑いながら俺の頭を撫でる人間の子供の言葉を聞きながら胸の中が暖かくなるのを感じた。とくんとくんの音は消えたが、確かにその時俺の胸はあたたかくなったのだ。
『にゃんごろーが元気になって良かったぁ』
『にゃあ』
俺はその日から“普通の猫”ではなくなった。
“変な猫”になったのだ。
そして、それから月日は流れ……。