5:しろいおとこ

 

こういう気持ちの時、俺はいつもある動作をする。

俺は人間が疲れた時によく見せる行動 “溜息”と呼ばれるらしいその行動は、なんとも今の俺の状況に適した所作のようで、ぼすに追いかけられた後はよくやる。

 

『はぁ』

 

まるで人間になったような気持ちで溜息をつく。

それが俺にとってはとても気持ちのよい事なのだ。

ぼすに無駄に追いかけられても、なんだか楽しくなる。まるで人間のようではないか。

 

ぼすだってまだ毛玉のような子猫の頃はあんなに凶暴で乱暴ではなかった。

ただ、昔から肝っ玉だけはどの猫よりも据わっていたのは確かだ。変な猫になって、俺は周りの猫たちから気味悪がられるようになった。

野生の本能というやつだろう。一向に年を取らず、生きながらえる俺に対し他の猫たちは距離をとる。

けれど、ぼすだけは子猫の時から俺に関わって来たし、噛みついて来た。

 

きっと将来は凄い猫になるに違いないと思っていたが、確かに彼は現在この土地一帯で誰よりも強い猫になるとは思わなかった。

あんなに小さな子供だったのに。今では変な猫の俺をいつも追い出そうとしてくる。

いや、まぁ俺がぼすの目を見て知らぬ間に喧嘩を売ってしまっている状態を繰り返していたらいつの間にかこんな関係になってしまった。

 

多分、俺が悪い。

 

人間の真似をして、人間の傍にいると、自然と人間の動きが常日頃から出てしまう。

困ったものだが、なんだか人間に近付けているようで、俺としてはなんとも嬉しい限りなのだ。

俺はひとしきり溜息をつき終えると、目の前にある大きな扉を片手でそっと押した。

すると、きちんと閉められていなかった扉は簡単に開いた。

開いた扉の隙間から俺はスルリと玄関の時同様体を滑りこませた。

 

部屋の中はたくさんの物で溢れかえっていた。

たくさんの人間の着る衣服や、本、そして紙クズ。

食べ物や飲み物もある。

 

そして、この部屋で一番場所をとる四角い、少しだけ床から上の方にある、これはきっと人間の寝どこなのだろうが、そこにあるこんもりと膨れ上がった布の上へ飛び乗った。

そして、その衝撃でもぞもぞと動き出した布の下の人間にすり寄るように布の中にもぐりこむ。

 

「っう…ぁー…キジトラか」

「にゃあ」

 

布の中に居た人間は擦り寄る俺の存在に気付くと、まだハッキリと開いていない目を擦りながら俺の体を撫でた。

 

「あったけぇ」

「にゃあにゃあ」

 

布の下の人間は俺を抱き込むとすりすりと頬ずりをしてきた。

「キジトラ」と言うのはこの男からの俺の呼び名だ。婆さんに呼ばれる「ぶーちゃん」より、俺は気に入っている。音の響きがかっこいい。

キジトラとはどうやら俺の毛の色や柄を指すようで、最初にこの男に会った時からずっと俺はキジトラと呼ばれている。

 

男の名前はわからない。

 

男はこの家に一人で住んでいるようであった。

だから、この家で彼を呼ぶ者は居ない。

呼ぶ者がいなければ、名前を知りようがないのだ。

俺が「あなたの名前は何ですか」と尋ねたところで、それは人間には通じないから。

 

ただ見てくれだけで判断するなら、人間としてはまだ若いという事。

外でよく同じ服を着た人間の若者達が同じ時間に同じ場所に通っているのを見かけるが、その若者達とこの男は同じ格好をする。

 

名前はわからないが、呼び名がないと俺の中で不便なため、俺はこの人間の男を「しろ」と呼んでいる。

毛の色が真っ白だからだ。

彼が俺を毛の色で呼ぶのだから、御相子だ。

 

「今何時だー?」

「にゃあ」

 

俺はしろの頭の上の方にある四角いものを口にくわえて白の目の前に持ってきてやった。

こうすると彼の問う“今何時”の答えになると、俺は知っているのだ。

 

「ありがとな……キジトラ」

「にゃあ」

 

しろは俺に人間と話すように話しかけてくる。

だから俺はしろが好きだった。

しろと居ると、俺は自分が人間になったような気になって嬉しくなるからだ。

 

「11時か……がっこ今日も休むか」

「にー」

「行った方がいいか?」

 

わからん。

 

そんな事、俺に聞かれても。俺はその意を伝える為に首をかしげてやる。

わかりませんという意味になる事を俺は知っているからだ。

 

「わかんねぇか、じゃあ休む」

「にゃああ」

「なんだ?嬉しいのか」

「にゃああ、にゃああ」

 

どうやら今日は“学校”とやらには行かないらしい。

俺はどちらかと言えばしろには学校へは行って欲しくない。

俺が暇になってしまうというのもあるが、しろが他の人間の若者と同じような格好をして外に出てしまうと、しろはどんなに俺が話しかけても無視をする。

いつもは自分から話しかけてくるのに、外に出ると俺の事なんて知りませんという風に、俺の事を見ようともしない。

しろにそんな風に扱われると、やはり自分は人間ではなく猫なんだと思い知らされるようで腹の毛がきゅうとなってしまう。