17:へんなそれ

 

俺は鼻をくっつけてくるアカに同じように鼻をくっつけてフンフンしてやった。

どうやら苦しいわけでも死ぬわけでもないようなので安心した。

 

「さっき起きたら兄貴がいねぇから……俺、夢なのかと思って。だから、だから」

 

こいつめ。朝からまた水を出すつもりか。

俺はまったくもうという気持ちを込めてアカの体に自分の体をこれでもかと言う程こすりつけてやった。

 

すりすりすりすりすりすり。

いやという程すりすりしてやる。

そして俺はアカにひとしきりすりすりしてやるとアカの目をジッと見てやった。

 

『アカに俺の匂いをつけた。アカは俺の縄張り』

 

そう、猫のは自分の物には自分の匂いをこすりつける。これは俺のものだぞという意味を込めて行うソレは自分の縄張りを他の猫に示す時に重要だ。

俺はあまり人間にソレをしたりしない。飼いネコならまだしも、野良の俺が人間に『俺の物』なんて言う相手は居ないから。

けれど、アカがすぐに水を出して乳吸いばかりするから、アカにはこうしてやった方がいいだろう。

世話の焼ける子供である。

 

「あぁぁにぃぃきいぃ」

 

アカは感激したとでも言うように俺に向かって飛びついてくると、そのまま俺を抱きかかえた。視界が急に高くなる。

高い視界。びっくりしたけど、高い所はなんだかわくわくする。

 

「兄貴、お腹空かないっすか?朝飯食いませんか」

『おいしい?』

「うまいっすよ。俺も気に入ってる飯屋っすから。久しぶりに一緒に食いましょう」

『おっけー』

「兄貴、英語まで話せるんすね。すげぇ」

 

“おっけー”は人間の言葉でわかったよという意味。前、シロの家のしかくい箱を見ていたら箱の中の人間がそう言っていた。俺も使うのは初めてだが、どうやら間違った使い方ではないらしい。

 

おっけーは英語。

英語とは何だろう。

 

『えいごってなんだ?』

「英語っすか……えーっと。なんつーんすかね、今俺達が喋ってるのとはまた違う言葉で……外国の言葉っすよ」

『がいこくってなんだ?』

 

「外国っつーのは、日本じゃない国の事で……」

『にほんってなんだ?』

 

俺はアカの口から次々と出て来るわからない言葉の数々に、グルグルと喉を鳴らした。

人間の世界の事はわからない事ばかりだ。

それまで俺は人間を観察しながらなんとなくそれがどんな意味か考えてきたが、今はこうして話の通じる人間のアカが居る。

これから分からない事があったらアカに聞けばいい。

 

俺がワクワクした気持ちでフンフンと鼻を鳴らしていると、少しだけ動きの固まったアカが気まずそうに俺から目を逸らした。

 

「ごめん……。兄貴、俺バカだから上手く説明できねぇ」

『難しい事なのか?』

 

アカが余りにも苦しそうな顔をしてそんな事を言うもんだから俺は首を傾げた。人間の世界なのに、人間にも理解できない事があるなんて。

人間と言うのは本当に難しい生き物なのだろう。

 

「難しい事じゃないんすよ……俺の勉強不足っす。ちょっと時間ください、兄貴。俺兄貴にきちんと説明できるようになってくるんで」

『わかった、頼む』

 

俺は難しい顔で固まったアカの頬をペロペロ舐めてやると、アカは少しだけ固まった顔を緩めた。

俺も自分で考える事は止めないでおこう。

自分でこうじゃないかと考えてから、それが合っているのかアカに聞けばいい。

何でもかんでも聞いてばかりでは、俺は子供のようではないか。

 

俺はそのままアカの腕に抱っこされながら神社の階段を下りて行った。

下りた先に、よく道路で走っている車とはまた違った何かが止めてある。

あれはなんだろう。

俺がさっそく考えていると、アカは俺を抱っこしたまま何故か俺の体をアカの着ている黒い布の中に入れた。

そのせいで、俺はアカの顔の下から顔だけ外に出ている状態だ。

せまくてきゅうくつだ。

 

『ううううう。せまい。せまいぞ』

「兄貴、すみません。今から朝飯食うとこまで、これに乗って行くんで兄貴は俺の中でジッとしてて下さい」

『これに乗るのか?乗れるのか?』

「乗れますよ。あんましスピードは出さないようにしますけど、怖かったら言ってください」

 

そんな風にアカが言うから俺は少しだけ体の毛がぶわっとなった。

これはあの道路を走っている車と同じく道路を走っているものだ。

ちゃんと、アカの言うとおりにしよう。

俺はアカの着ている布の中でモゾモゾと動くと、自分の体が丁度はまる位置を探しあてた。

その間、アカは変なソレにまたがると、モゾモゾ動く俺を頭の上から見ていた。

 

「じゃあ、行きますよ。兄貴」

『おっけー』

 

俺はピンピンと髭を伸ばしながらアカに向かってえいごを話した。

その瞬間、俺の顔を風が切ったのだった。