「肉と野菜の溶け込んだ旨味たっぷりの濃厚なスープ。そのスープを旨味ごとしっかりと含み、重みと柔らかさの増したパン……はぁっ、これほどまでに、スープの全てを取りこぼす事なく口に運び込める食材が、他にあるだろうか……いや、ないっ!」
腹に吸い込んでいた空気を、一気に吐き出す。あぁ、俺の声に耳を奪われ、きっとアイツらの口の中は、唾液でいっぱいになっている事だろう。
「むぐむぐむぐ」
わざと咀嚼音を口にするのも忘れない。
あぁ、金弥と料理アニメの台本も書き起こしておいて良かった。料理アニメというのは、ほぼ過剰過ぎる食レポで、その台詞の殆どは埋め尽くされている。普通のアニメとは、演技の仕方も異なるのだ。
「はぁっ、んっ。口の中で、肉が溶ける……野菜は形を保ってはいるが、芯まで味が染みこんで歯がスルリと通る……あぁっ、いいっ」
そう、俺は出来るだけ官能的に聞こえるように声を出す。官能さは、声を出した後の呼吸に色気という余韻を込める事に他ならない。
「はぁぁっ」
なにせ『食欲は三大欲求の一つ!だから、食レポは食べ物とのセックスだと思え!放つ言葉は睦言と嬌声だ!』である。
そう、これは確か、えっと……誰の金言だったっけ。
——-サートシ!食レポ演技は食事と自分のセックス中の嬌声だと思えって、戸塚さんがインタビューで答えてる!だからさー、そんな感じでお手本見して!
——-マジか!さすが戸塚さん!含蓄スゲェ!カッコ良過ぎじゃん!それ、どの雑誌に書いてあんの?俺も読みてーな!
——-あ……えっと、今度、雑誌持ってくるわ!うん!ガンチクすげーよ!
——-忘れんなよ!?絶対だかんな!
——-オッケーオッケー!じゃ、ハイ!サトシ―!お手本見して!
「……クソ。そういや、キンのヤツ。結局、戸塚さんの雑誌持って来なかったよな。何回言っても忘れてくるし」
そう。結局、頭スッカラカンの金弥のせいで、実際のインタビュー記事を見る事は敵わなかったのだ。しかし、その言葉は、今も俺の血肉となって生きている。
そう、この美味い食事のように!
「……食レポはセックスの嬌声。シビれる言葉だ」
あぁ、人生で無駄な事など何一つない。
まさか、俺の食レポで、俺を馬鹿にしていたヤツらの鼻を明かす事が出来るなんて、思ってもみなかった。
「はぁっ、うんまぁっ……って、イテッ!」
そう、俺が留めの一発を食らわせようとした時だった。
後頭部に、凄まじい衝撃が走った。
「気色の悪い声を上げながら食事をするな。まったく、卑猥にも程がある。……これだから人間は」
「テ、テザー先輩」
振り返ってみると、そこには片手で盆を持ったテザー先輩が、その美しい手を拳にして立っていた。どうやら、先輩に殴られたらしい。グーで。なんて拳の似合わない人なんだ。
「オイ、人間。掲示板。今度はちゃんと見ておけよ」
そして、それだけ言うと、俺の返事など知った事かとでも言うように、いつも彼が腰かける窓際の席へとスルリと歩いて行った。俺もボッチメシだが、先輩もいつも一人だ。
テザー先輩は、誰ともツルまない。
「……はぁ、掲示板って」
まぁ、明らかにうるさいのが苦手そうなので、納得がいく。それに見た目の問題もあってか、俺だと“ボッチ”だが、テザー先輩の場合は“孤高”と表現したくなる。
どいつもこいつも美しいと言えるエルフの中で、テザー先輩は頭一つ抜けていた。首筋辺りで一つに結われた銀色の髪の毛が、太陽の光を反射して、彼の横顔を照らす。
放つオーラは静寂そのもの。静かだ。
「……つーか」
俺はキラッキラのテザー先輩から、食堂の脇に大々的に設置されている「掲示板」にチラと目をやった。
「掲示板って言われてもさぁ」
ここから見た限り確かに、何か大々的なお知らせが掲示してあるのが見える。
「読めねぇんだもんよ」
誰かに聞けば早いのかもしれない。それこそテザー先輩に……と、再び窓際の席に腰かける先輩を見て、完全に心が折れた。
「……うん、ムリ」
完全に、誰も話しかけるなオーラを出している。出し続けている。しかも、絶え間なく。
更に難攻不落な事に、それを放たれているのは俺だけではない。周囲の全てに対して出している。この明らかに強固なシールドをブチ破って、自ら話しかけに行けるのは、空気を読めないバカか、敢えて読まない勇者だけだ。
そう、山吹 金弥のように!
——-今日の講師、飯塚邦弘さんじゃん!スゲェ!なぁ、サトシ!どうやったら上手に格好良い声出せるか聞きに行こうぜ!
——-いやいやいや!やめろっ!馬鹿か!?お前!飯塚さんは俺達なんかが話しかけて良い人じゃねぇよ!?
——-なんで?飯塚さんは“声優界のお父さん”なんだろ?だったら、新人の俺らは子供じゃん!お父さんは子供に色々と教えてくれるモンだって!行くぞ!
——–ちょっ!手ぇ放せ!ありゃどう見ても“お父さん”のテンションじゃねぇだろ!“ドン”だ!“ドン”!クソっ!行くなら一人で行けよ!?この馬鹿っ!だから、やめろって!あ゛ーーーっ!
山吹金弥は、二つの性質を同時に兼ね備えていた。
そう、金弥は空気を敢えて読まない、馬鹿な勇者なのである。
「そして、仲本聡志は、そのどちらでもない。ただの凡庸な一般人だ……う、うめぇ。ほんとに美味い」
あぁ、クソ。
食事が余りにも美味すぎて、掲示板に集中できない。
「いや、待て集中しろ。仲本聡志はパンをスープに浸しながら必死に考え続けた……いやぁ、うめぇ」
唯一話しかけられる先輩があの調子なら、馬鹿にするだけの他のエルフ達など、最早論外だ。
クソ、なんだこの職場。新人に何も教えてくれないなんて、誰も続かねぇぞ。
「他に、俺が唯一話しかけられるのは……」
俺は最後のパンとスープをひとかきで口の中に流し込むと、空になった皿をカタンとテーブルに置いた。
「“アイツ”しか、居ない」
俺はそのまま、食べ終えた食器を食堂の返却口に置くと、周囲から未だに付きまとう視線を振り払うように息を腹に溜め込み、そして一気に吐き出した。
「ご馳走様でしたぁっ!」
俺は、外で飯を食った時、必ず店員さんに「ご馳走様でした」と言うようにしている。特に強い信念や、信条がある訳ではない。幼い頃から、そう母親に躾けられてきたから、癖なだけだ。
普段なら、囁くように口にするその美味い食事への謝辞。それを、今回は少し……いや結構大きめに口にした。そしてもう一言添えて口にしてみる。
「っふぅぅぅっ」
また周囲のエルフ達からバカにされるかもしれないが、これは、ある種の気合である。
俺は、気合を入れねばならぬのだ!
「今日も、めちゃくちゃ美味しかったですっ!」
返却口の向こう側。誰が居るのか、そもそも誰か居るのかも分からない空間に向かって、俺は叫んだ。
そんな、俺の高々とした声に、周囲のエルフも、そして静かに窓の外を眺めていたテザー先輩も、一斉に俺の方へと視線を寄越した。
「なんだ、アイツ」
「誰に向かって言ってんだ?こわ」
「つーか、ゴチソウサマデシタってナニ?」
「人間ってヤベェな」
「さすが、短命。もう寿命かもな」
「……」
ザワつく周囲。集まる視線。顔と頭に一気に集まる羞恥心という高熱。
「そうっ、彼は馬鹿な勇者になどなりきれない仲本聡志である。故に、彼は周囲から向けられる全てを振り払うように、胸ポケットから記録用紙を取り出すと、大股で掲示板の前へと向かったのだった……!」
バカにしたけりゃすればいい!
ボッチの俺には、決して孤高などではないボッチの王子様しか、この夢の中で頼れる相手は居ないのだ!