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【イーサ】
このクリプラントで王族がネックレスを贈る意味、それは――
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「……え、えぇえぇっ?」
上白垣 栞はイーサの台詞の後に出てきた、「第一章 了」の文字に、大いに目を瞬かせた。真っ白な画面の真ん中に、「これまでの物語をセーブしますか?」と言う文字が、本の頁を捲るような音と共に表示される。
それに対し、栞は「▶はい」を選択し、手早くセーブデータを作った。
「……え?」
戸惑いの余韻が凄い。
しかし、そうか。まだ今は第一章を終えた所だったか。
余りにもドラマチックなストーリーかつ、製作者側の仕込んだ驚きのシステム変更の連続で忘れかけていたが、この物語はまだ序盤なのだ。
「イーサを落とすのって、実は一番難しいんじゃないの……?」
栞の茫然とした言葉が、シンとした部屋の中に響きわたる。そして、その栞の声に答えるように響くのは、冷蔵庫の機械音だけ。
「ひとまず……お腹空いた」
そう、栞は戸惑いつつその場から立ち上がると、トボトボと冷蔵庫へと向かった。そういえば、何か食べ物はあっただろうか。
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風呂上り。
体のストレッチを終え、再びコントローラーを握った栞に待ち構えていたのは、美麗過ぎるイーサ初の人物スチルだった。月明かりに照らされ、その長髪をゆったりと肩にかけて此方を見つめる姿は、これまでの他六人の攻略キャラとはまた違った美しさを秘めている。
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【イーサ】
そうか、お前だったか。まさか人間だったとは……驚きだ。しかし、これも運命だったのかもしれない。この国を存続させる為に、最早、この国を閉じ続ける事は出来ぬという。
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そう、手紙の印象とはまた違った、耳に深く残るズッシリとした声質に、栞は思わず心地良さに目を閉じた。話し方と言い、声質と言い、あの手紙の中で感じた幼い印象が、本人を前にすると余り感じられない。
画面の中に佇むイーサは、どこからどう見ても“大人の男”だ。
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【イーサ】
どういう目的で、お前がこの国に、ましてやこの王宮に忍び込んだのか……理由は、多少の想像はつく。ただ、お前ら人間の望むモノは、このクリプラントにはないぞ。残念だったな。
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そして、一切人物スチルのなかったこれまでを取り返すように、イーサと主人公の寝所での交流は、美麗なスチルのオンパレードだった。その一枚一枚に、栞は歓喜し、悲鳴を上げた。
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【イーサ】
こうして、なりふり構わず、聖女であるお前を、我が国の領土へ送り込んでくるあたり、人間達も手詰まりなのは同じとみえる。……どうだ。お前も気付いているのだろう。自分が、人間達から“捨て駒”として利用されている事に。
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特に、贈られたネックレスにイーサが口付けをするスチルなどは、ゲームデータの中に保存されるにも関わらず、手元のスマホで画面ごと写真に撮ってしまった。
まぁ、栞はこれまでも何度もソレをやってきている為、直近のスマホのデータフォルダは【セブンスナイト4】のお気に入りのスチルだらけだ。
あぁ、いつかお気に入りのスチルだけを飾った、理想の乙女ゲーム美術館を作りたい。絶対作ってやる。
もちろん本気だ。
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【イーサ】
けれど、俺はお前にネックレスを渡した事を、後悔したりなどしない。せっかくネックレスを渡す相手が現れたのだ。みすみす死なせるものか。
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こうして、流れてくるイーサの台詞に、栞は確信した。
もうこの王は完全に自分に“落ちた”と。
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【イーサ】
俺の元に来い。そして、決して、このネックレスをその身から離さないと誓え。
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故に、歓喜の悲鳴を上げつつも「案外アッサリ落ちるのね」と、多少の拍子抜け感は否めなかった。まぁ、王という立場で、周囲を心から信じる事の出来ずにいた孤独な王にとって、主人公との手紙のやり取りは、それほどまでに心を癒したのだろう。
と、そんな都合の良い事を考えてしまった。
そう、栞はここまでのゲームへの満足感から、気分はクライマックス直前といった感覚だったのだ。
▷【頷く】
【拒否する】
出てきた選択肢に、栞は迷わず【頷く】を選んだ。
そう、栞は甘くみていた。制作スタッフの事も。恋愛シミュレーションゲームの事も。そして、恋愛そのモノについても。
完全に舐め切っていた。
手紙による交流も重ねた。
選択肢も完璧だった筈だ。
ネックレスも貰った。
そして、今このタイミングで「俺の元に来い」だ。
勘違いするなという方が無理な話だろう。
しかし、その栞の勘違いは、次の瞬間ガラリと変わったイーサの反応によって、大きく打ち砕かれる事になる。
それと同時に、栞はずっと謎だったネックレスの意味をやっと知る事になるのだった。
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【イーサ】
あぁっ!頷いたな!よしよし!では、そのネックレス……いや、首輪をよく見せてくれ!
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「……は?く、首輪?な?え?」
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【イーサ】
似合っているじゃないか。これでお前は、俺の所有物だ。その身の全てが俺のモノだ!うんうん!ずっと俺は欲しかったのだ!父の権威に染まっていない、お前のような真っ白なモノが!さぁ、おいで!抱きしめてやろう!今日からお前は毎晩、俺と一緒に寝るのだ!
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「は?え?これって……」
ここで、イーサの余りに激変したその姿に、画面上の主人公は慌てた様子だ。そう、その姿は正に、テレビ画面のこちら側に居る“プレイヤー”達の心を完全に代弁していた。
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【シオリ】
首輪ってどういうこと!?
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【イーサ】
首輪は、首輪だ。なんだ、お前。知らなかったのか?このクリプラントで王族がネックレスを贈る意味。それは、お前は俺だけのモノだという。王族の所有物の証だ!喜べ!ソレは王族からの、寵愛の証なんだ!心から自分のモノにしたいと思った相手だけにしか与えられない!ほら、だから見ろ!
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「んんんん??」
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【シオリ】
んんんん??
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そう言って画面上に、今までとは全く異なったイーサのスチルが現れた。それに対し、栞もプレイヤーの“シオリ”も、奇跡的にリアクションが被ってしまった。いや、もう被るのは必然だったのかもしれない。
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【イーサ】
本当はネックレスを渡す相手は一人だけという王家の約束があるのだが……コッソリ、特別に俺だけは二つ用意した。俺は王様だからな!何をしても良いのだ!さぁ、見ろ!一つ目の首輪を付けるのは、この“あも”だ!お前の先輩だ!特別に、お前にもあもを抱かせてやろう!
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そこには、それまでの荘厳な雰囲気から一変して、ベッドの上に置いてあったウサギ形のぬいぐるみを抱き締めて頬ずりをするイーサの姿があった。
よく見れば、確かにそのウサギのぬいぐるみの首にも、栞と同じネックレス……否、首輪が付けられている。
「なによ、これ……」
そう、そうなのだ。
クリプラントの国章の付いたネックレスは、他の王族がどうあれ、イーサにとって“愛の告白”を示すモノではなかった。
いや、考えようによっては、“愛の告白”と取る事も出来るかもしれない。確かに、イーサは「寵愛」という言葉を口にした。けれど、そのイーサの口調と様子は、一般的な「愛してる」というような甘い雰囲気は欠片もなかった。
「これは……ぜんぜん、落ちて、ない」
そこにあったのは「お前は俺のモノだ」と言う、完全にプレイヤーをぬいぐるみと同列に、完全なる“所有物”として扱ってくるイーサの姿。
だからこそ「抱きしめてやる」とか「寵愛の証だ!」と言った言葉が平気で出てくるのだ。
恋愛とは、“対等な二人”が、ともに同じ穴に深く落ちる事を言う。少なくとも、栞はそう思っている。ポイントは“対等”な二人だ。強者が一方的に気まぐれに愛でる事を、恋とは呼ばない。
けれど、王族……ましてイーサは国王だ。そんな特殊な産まれと育ちを持つイーサにとって、自身と同等の存在など、この世に存在しないのである。
そう、そうだ。
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【イーサ】
皆、俺が何をしても二言目には、今は亡き父の事ばかり言うからな。ウンザリしていた所だったんだ。あぁ、欲しかった。こういうのが、ずっと……。
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切なげな声で放たれる言葉の裏には、イーサのこれまでの生い立ちや苦しみが垣間見えるモノではあったが、抱きしめられたヒロインは、イーサにとって完全な“ぬいぐるみ”と化していた。
イーサは、「恋」も「愛」も知らないのだ。
そして、王子という身の上が、完全にプレイヤーと彼との土俵を“恋愛”から隔絶している。
イーサにとって愛玩人形でしかないプレイヤーを、物語を進行する上で“恋”に落とさなければならない。
「これは、いつもみたいにやってたら……絶対にトゥルーエンドにはならないわね」
普通、ペットや人形に恋などしない。相手の望む言葉ばかり与えていてはダメなのだ。そして、まずは自分がイーサと同じ立場に立つ事が必須事項だ。イーサを自分の元まで引きずり下ろすか、自分がイーサと同様の地位まで登りつめるか。
ともかく、まずは肩を並べる事から始めなければ、いつまでたっても愛玩人形止まりである。
「……凄いルート作ってくれたわね。もう」
これは何ともまた、困難な恋愛の道なのだろう。
「もうぅ……、もうぅぅっ」
栞は冷蔵庫の中から取り出したアイスを舌でペロリと舐めながら、冷蔵庫にその身を預けた。
「イーサ……ギャップ萌えヤバ。ウサギのぬいぐるみとか……あざと過ぎて可愛いが大暴走してるんですけど……先に恋に落ちときまーす。後から引っ張り落とす感じで行こうかしらね、今回は」
栞は困難な道を前に、ともかく第二章への英気をアイスで養ったのであった。
第2章:俺の声はどう? へ続く!