「ええ、私は間違いなくそう聞きました。あと、こうも言ってましたよ?」
「な、なになに!なんだ!サトシは何と言った!」
ぬいぐるみを抱えたまま、イーサはマティックに向かって身を乗り出した。
想定通り。もう、全てはマティックの想定に全て納まってしまった。いつもの事だが、あっけない。
「何だと思います?」
「何でもいいから早く教えろ!」
次のマティックの言葉で、イーサには「王になる」という目的に対し、明確にして最高の動機が生まれる筈だ。
——–俺、イーサのスピーチが聞きたいんだ。
「貴方が王として、国民の前で行うスピーチを聞きたいそうです」
「……え?」
「どうやら、サトシは貴方の“声”に、えらく執着がおありのようですよ?」
「俺の……声?」
イーサは静かに抱きしめていたあもから力を抜くと、自身の喉へと手を触れた。思わずゴクリと飲み下した唾液のせいで、喉仏がゆっくりと隆起する。
「サトシは、父ではなく、」
「そう、ヴィタリック様ではなく」
確かに、記録用紙の最後の頁にあったサトシの遺書にも『お前の声を聴かせて欲しい』という一文があった。わざと、ゆっくり復唱してくるマティックの言葉に、しかしイーサはその声のお陰で改めて認識する事が出来た。
「……“イーサの”スピーチが聞きたいの?」
「そうです。彼にとっては、既に貴方が王なのです。それに、」
「それに?」
「王になれば……勅命を出し放題です。彼にとって……いや、人間にとって不都合な法は、貴方が上手くやれば、ぜーんぶ変えられますよ」
「!!」
「むしろ、他のご兄弟方の誰かが王位を継がれたりでもしてみなさい。きっと貴方以外は、人種差別と民族主義の上に国家の統治を行う筈です。人間という敵を作って統治した方が、人心掌握には手っ取り早いですからね」
「……」
「……ただ、今ソレをこのクリプラントでされると大変困るんですよ。そして、それは貴方も同じ筈ですよね?イーサ王子?」
マティックの言葉に、イーサの目つきが変わった。
これで、終わり。全てが想定通りだった。
人は、良くも悪くも自らが納得していないと、行動を継続出来ない生き物だ。
これまで、イーサが百年間もの長きに渡り、部屋に閉じこもってきたのもまさに、イーサ自身が「王になる」という事に対して、本心から納得していなかったからだ。
——っは。もうどうでも良くなった。皆して、父の事ばかり言う。ウンザリだ。誰も俺の事など見ていない。もうこんな国、滅びてしまえ。
だからこそ、百年前のあの日、イーサはマティックにのみ言葉を遺し、政から姿を消した。その後は大変だった。引きこもった理由に、それらしいモノをあてがい、どうにかこうにか周囲を宥めさせた。
しかし、ヴィタリックだけは、慌てる様子も、心配する様子も見せなかった。そして、彼は言ったのだ。
——-イーサ王子の事、どうされますか?ヴィタリック様。
——-放っておきなさい。そのうち“誰か”が、アイツを呼びに行くだろう。
——-私は行きませんよ。私はヴィタリック様や、父上とは違う。
——-それでいい。誰かが、いつかアイツの部屋の戸を叩く時が来る。
頑なに“誰かが”と口にし続けたヴィタリックは、それ以上の事は決して言わなかった。
そこから、イーサが愚かな第一王子として名を馳せるのに、さほど時間はかからなかった。本当に、個人の記憶ほど、あっけなく不確かなモノはない。マティックは周囲の反応に、酷く驚きをもって学んだモノだ。
更に、引きこもってしばらく経つと、まるでイーサが生まれた頃から愚かな王子であったかのように囁かれ始める始末。
——放っておきなさい。そのうち誰かが呼びに行く。
もう聞く事の叶わぬ、王の言葉が耳の奥で響いた。
「確かに、貴方の言う通り……現れましたよ。ヴィタリック様」
マティックは静かに呟くと、いつの間にかぬいぐるみを離し、ベッドの上から降りたイーサが此方を見ているのに気付いた。どうやら、すぐにでも動き始めるらしい。
想定通りだ。
「準備をする。侍従を寄越せ」
「かしこまりました」
「髪も邪魔だ。切るぞ」
「程々にしてくださいね。大事な尊いマナがたっぷりと入った髪の毛なのですから」
「サトシが、長すぎるから切った方が良いんじゃないかって言った」
「……余計な事を」
「サトシに会いたい」
「無理です。彼は、今や“炭鉱のカナリア”ですよ」
「……勅命を出して、早くサトシに戻ってきてもらおう」
「そんなお手紙みたいなノリで勅命を出さないでください」
「さっきは好きなだけ出せると言った」
「……一旦、私が見定めます」
「勝手に出すからいい」
百年ぶりとなる、久々のイーサとの会話。どうやら、百年の間に、少し……いや、かなり幼くなったように思われる。幼児返りというヤツだろうか。
「そうだ。夜になったらサトシの夢にあそびにいこう。そうしよう、そうしよう」
「はぁっ」
これは、本当に想定……通りと言ってもいいのだろうか。
答えのない自問がマティックの脳裏を過る。
もしかすると、自分は大変な愚王を擁立しようとしているのかもしれない。
「自分の代で国が滅んだ、なんて……冗談でも勘弁して欲しいところですよ」
時間がない、時間が無い。
それはこの国の滅亡までの時間か、それとも、
「どんどん切ってしまおう!サトシが気に入る長さはどれほどだろうな?あも」
マティックは、自分の髪の毛に容赦なく鋏を通し始めた子供のような次期王に、何度目ともいえぬ深い溜息を吐いたのであった。