「あのっ!『頑張れ、サトシ君』って言って貰っていいですかっ!」
「は?」
ベッドの上で、ほぼ土下座のような体勢で頭を下げる俺に対し、頭上からは中里さんの、いや、カナニ様の呆けたような声が降ってきた。明らかに戸惑っている。そりゃあ、初対面の俺にこんな事を言われたら戸惑いもするだろう。
しかし、この時の俺には、戸惑うカナニ様の声なんか一切気にならなかった。今、俺の思考を埋め尽くす“声”、それは。
——–飯塚さんの金言、何だったっけ?失敗を恐れてチャンスを棒に振れ、だったっけ?
ちっくしょう!!
あの時の金弥の顔と声を、俺は一生忘れないだろう!腹が立ったなんてモンじゃない!腹が爆発するかと思ったんだ!
あの瞬間は、本気で絶交して二度と口を利いてやるものかと思った。ただ、金弥が余りにも憔悴するもんだから、特別に一週間で許してやったのだ。
そのくらい、俺はあの時の金弥に怒っていたのだ。だから、今の俺はカナニ様に引かれるかも、なんてちょっとした恐怖は屁でもない。俺の体の中に残っているアルコールも、俺の背中を押してくれている。
「カナニ様!お願いします!言ってくださるのであれば、俺!なんでもします!」
「何でもと言われても……」
「サトシ!何を言ってるんだ!ヴィタリックと言いカナニといい、サトシはこんなヨボヨボが好きなのか!?」
「うるせぇ!そうだよ!好きだよ!お前にヴィタリックとカナニの良さが分かってたまるか!?もう余計な事すんな!」
「イーサは何も余計な事なんかしてない!」
「そうだけどっ!!」
今、金弥と同じ顔と声で割って入って来られると、いくら中身が違うとしても許せないんだよ!
「あ、あのな?サトシ。生き物というのは子孫繁栄の必要があるから、ヨボヨボより若い方が良いんだぞ!アイツらより、イーサの方がずっと若い!」
「うるせぇ!どうせ、お前と俺だって子孫繁栄なんてしねぇだろうが!今日こそ俺も『頑張れ、サトシ君!』って言ってもらうんだよ!」
「そんな事で良いなら、イーサがたくさん言ってやる!頑張れサトシ君!頑張れサトシ君!頑張れサトシ君!」
「だから!お前じゃ意味ねぇって言っただろ!?俺はヴィタリックとカナニから『頑張れ』って言ってもらえればそれでいいんだ!もうヴィタリック王からは言って貰ったし、今度はカナニ様から言ってもらいたいの!そしたら俺は頑張れるんだよ!」
そう、俺がへばりついてくるイーサの腕から逃げ出そうとベッドの上でもがいている時だった。
「ヴィタリックが、」
「へ?」
「ヴィタリックが、君に頑張れと言ったのか?」
それまで黙って此方を見ていたカナニ様が、何やら驚いたような声で俺に尋ねてきた。それと同時に、それまでうるさく叫んでいたイーサまでもがピタリと黙りこくる。
「あ、いや」
カナニ様に対して思わず“ヴィタリック”と口にしてしまったが、俺に「頑張れ」と言ってくれたのは飯塚さんの方だ。講義の後、金弥といっぱい質問して、予想よりうんと優しかった飯塚さんに、俺は思い切ってお願いした。
『あの、俺に“頑張れ”って言って貰っていいですか?』と。
すると、飯塚さんは俺に“頑張れ”と言う前に、『キミ、名前は?』と尋ねてきた。何の事だと思いつつ『仲本聡志です』と答えると、飯塚さんは言ってくれたのだ。
『サトシ、君はまだまだ頑張れる筈だ。頑張れ』
息が止まるかと思った。
俺なんかよりずっと長く頑張ってきた憧れの人に、こんな事を言われてしまっては、もう頑張る以外にないじゃないか。
あの時の飯塚さんの声と表情は、未だに忘れられない。
「……はい。まだまだ君は頑張れる筈だ。頑張れって、言ってくれました」
そうだ。辛い時はいつも飯塚さんの金言と、その言葉が俺の心を支えてくれた。そうすれば、俺はまだまだ頑張れると思えたから。
「……ヴィタリックが、どうして君に。もしかして、先程の“あの”話もアイツから聞いたのか?」
カナニ様の声が震えている。
“あの話”とは俺が先程飲みの場でやった国家防衛戦線の事だろう。まさか、カナニ様自身に聞かれているとは思ってもみなかった。
そりゃあ「お前は一体何者だ」なんて言いたくもなるだろう。
「えっと、そうです」
さすがにここで、ゲームでプレイしたからです、なんて言えやしない。そんなの、どうせ信じて貰えないし、正直に言ったところで俺の現状は何も変わらないのだから。むしろ、面倒な事になるのは避けられない。
「どうして君のような一般兵の、しかも人間如きが王に面識を得る?しかも、君が生まれる頃には……もうヴィタリックは病に、」
「父上、それ以上はもう」
「……しかし、」
「貴方はあの方が絡むと発言が迂闊になります。せめて時と場所を選び、発言に自覚を持ってください。貴方はまだ国家の“要人”なのですよ。腑抜けるのもいい加減にしてください」
マティックが厳しい表情で制止をかける。そんな息子からの苦言に、カナニ様はヒクと眉を顰めたが、何も言わなかった。
そうだ。もう今はマティックが実質の宰相なのだ。ヴィタリックが……飯塚さんが、亡くなってしまったから。
もしかして、声の一部を失ってしまったカナニ様はもう、頑張る事が出来なくなってしまったのだろうか。
「サトシ」
「どうした?イーサ」
「サトシ、お前は……アイツに会ったのか?イーサよりも先に、あの男と」
俺の腕を必死に掴みながらイーサが尋ねてくる。そして、その問いはイーサだけのモノではない。ここに居る全員が俺に対して思っている事だ。
さぁ、俺はここでどう答える?
此処に居る全員が、今や俺の言葉に……否。俺の声に注目している。しかし、この注目は先程のお話会で得たような、純粋な興奮や熱狂と言った類のモノではない。
疑問と不信感。立場上、父親であるカナニを制止したマティックですら、俺に向ける視線はその二つで彩られている。
俺の腕を掴むイーサが俺に向けるのは、そうだな。不満と不機嫌と言ったところか。自分の知らない所で、王である父親と会っていたなんて、そりゃあ俺を自分の“ぬいぐるみ”のように扱うイーサにしたら気に食わないだろう。
イーサといい金弥といい、この二人は妙にヴィタリックと飯塚さんに対して妙に反抗的だ。
「ふぅ」
しかし、こんな状況ですら、注目を浴びているという一点に置いて、俺は心の奥底で妙に興奮してしまっていた。今、俺が口を開いたら。ここに居る全員が、俺の声に注目するのだろう。
そう思うと、たまらない。
「俺がヴィタリック王に会ったのは、たった一度だけです」
そう俺が飯塚さんとあったのも、あの日の一度きり。
今から俺が話すのは、真っ赤な嘘だ。なにせ、本当の事なんて言えやしない。でも、真っ赤な嘘で、ホントをくるむ。中身は、俺にとっての“本当”だ。
そういう話を、今からしよう。