マティックは自らが賢い事を、幼い頃から十分理解していた。
「父上、少しいいですか?」
「なんだ、マティック」
だからこそ、自分の影響の及ぶ範囲外について、思い悩む時間は無駄であると心の底から思っている。自分にはどうする事も出来ない範囲に対する思考よりも、もっと考えるべき事は山のようにある。
そう、教えてくれたのは紛れもない父だ。
「もし、明日。サトシがエイダから情報を得られなかった場合、どうするおつもりですか?」
クリプラントの王宮の一室。
そこで、マティックは父親であるカナニに意見を求めていた。
「ふむ、そうだな」
こうして父親が政治に再び参加の意思を示してからというもの、マティックの心労は大幅に軽減されてきた。
相談できる相手が居るというのは、それだけで心の荷を軽く出来る。
「……多分もうサトシはエイダと会っている頃だろう」
「は?」
「エイダはせっかちな男だ。約束の時間通りに現れるようなタマではない」
「だと、すると……もう、サトシは」
「アイツから見定められている最中か……もしくは、全て終わってしまっているか」
窓の外を眺めつつ、ハッキリとした口調で答えるカナニに、マティックは「まったく」と頭を抱えた。そういう事は先に伝えて欲しいものである。
だとすると、この数百年間、国の最前線で政治手腕を振るい続けてきたこの男の事だ。先程のマティックからの問いに関しても、既に結論は出している筈だ。
「では、父上。貴方は今後をどのように考えておいでで?」
「……なぁ、マティック。物事の決定を下す際、最初に考えるべき事は何だ?」
問いを問いで返された。マティックは父親の言葉の真意を計りかねると、ヒクとその眉を揺らした。
「こんな時に親子のコミュニケーションをお望みですか?」
「まぁ、そう言うな。少し付き合ってくれ」
カナニの含みを持たせた口調に、マティックは肩で息をしながら答えた。
「最大リスクが何かを考える事、です」
「そうだな。ならば、この件における“最大リスク”とは何だ?」
「サトシがエイダから情報を得られない事でしょうね。それは、同時に成す術なく開戦に持ち込まれる事を意味しますから」
「だとすれば、私たちは、ソレに備える必要があるというワケだが……」
最大リスクを考え、それに備える策を練る事。
これは幼い頃から、マティックがカナニから口を酸っぱく教わってきた事だ。
「どうだ?マティック。この最大リスクの起こりうる可能性を、お前はどの程度みている?」
カナニは息子に向かって問いかける。そんなカナニに、マティックはチラと視線を“何か”に向けると、ハッキリと言い放った。
「サトシはエイダから何の情報も得られない可能性が高いとみています」
「私もだ」
カナニからの返答に、マティックは「やはり」と静かに頷いた。エイダを直接知っている父でさえ、サトシが情報を得られるとは思っていない。となれば、その可能性は“高い”から“確実”にマティックの中で更新された。
サトシは、確実にエイダから情報を得る事が出来ない、と。
「エイダは偏屈な男だ。何を気に入るかは、私にも真の所で理解出来ている訳ではない。ただ、サトシはあまりにも」
そこで一旦、呼吸を止め息子が“何か”に向ける目線に合わせるように、彼もその“何か”に視線を向けた。
「……善良過ぎる」
その言葉に、マティックは静かに頷いた。そう、サトシはどこまで行っても性善主義的な人間過ぎるのだ。
「あの、何かをなぞったような見せかけの善良さでは。きっとエイダは満足しない。つまらないと感じるだろう。故に、必ず彼は“サトシ”個人には見切りを付ける。早い段階で」
「それを前提で、サトシにゲットーに行かせたのは貴方だ。何か考えがおありなのでしょう?」
マティックは決まった会話の道筋をなぞるように父に尋ねた。
こういう、導かれるような会話は幼い頃以来だ。自分に対し、このような対話を行えるのは、国中どこを探しても父、カナニだけだ。
「ただ、サトシには他の人間には決して無いモノがある」
カナニはきっちりと止められたシャツの上から二つ程ボタンを外すと、そこから簡素ながらも美しく輝くネックレスを取り出した。それは、彼の揺るぎようのない誇りだ。
「サトシにはコレがある。クリプラント王家のネックレス。これには、エイダも相当驚くはずだ」
「……サトシはただのダシですか」
「悪いがその通りだ。エルフの王が寵愛する“人間”。その一点においてのみ、サトシは必ずエイダの興味を引く」
「エイダがハーフエルフという所以、確かにそこには興味を引かざるを得ないでしょうね」
「ああ、そうだ。そして、その感情は必ず新王への興味へと繋がる。ヴィタリックの息子に、アイツは直接会ってみたい、と思うだろう」
必ずしも、サトシが情報を得る必要はない。最終的に、情報は自分達の手にもたらされれば良いのだ。
「この場合、エイダの取りうる手段は二つ。サトシと共に、此方側に来てくれるか。それとも、」
カナニは息を吐くと一気に吐き出すように言った。
「新王を、自らの前へと引きずり出すか」
口調の力強さから、カナニがどちらを優勢な道と捉えているか、マティックにはハッキリと分かった。
「イーサ王を、引きずり出す為に……エイダはサトシをリーガラントに差し出す、と。そう言いたいんですね」
「そうだ。そうすれば、国民を拉致されたと、ウチも国際問題として提起する事が出来る。そこからが勝負だ。会談の場を設け、互いの妥協点を探す方向性に持って行くしかない」
——–そこからが私達の腕の見せ所だ。
そう、眉を寄せて口にするカナニに、マティックは自身の考えが父とほぼ一致している事に対して胸を撫で下ろした。
別に正解の道筋が示されたワケではない。しかし、やはりホッとしてしまう気持ちは止められない。そんな自分に、マティックは未だに自分が若輩者である事を思い知らされているようだった。
「……と、今までの流れを聞いて。イーサ王。貴方はどう思われましたか?」
マティックは執務室のソファにダラリと腰かけるイーサに顔を向けた。そう、この部屋には最初から三人のエルフが居た。
カナニ、マティック。そして、新王イーサ。この三人である。
「お前らは、ほんっとうにバカだな」
イーサはゴロゴロとソファでウサギのぬいぐるみを抱き締めながら、体を起こす事なく言い放つ。
「お前らのような、型にハマった政治バカ共にサトシの魅力は分からんだろう。まぁ、サトシの魅力は俺だけが分かっていればいい。お前らはそのまま愚かでいろ。許す」
「……そうですか」
マティックはイーサの、あまりにも“いつも通り”な姿に、呆れつつもどこかホッとしていた。この国政が緊迫する中、精神安定剤としての役割を果たしていたサトシを遠くに離して大丈夫なモノかと、多少は心配していたのだ。
こんな折り、王の癇癪にまで付き合っている余裕など一切ない。
「サトシは、お前らの言う最大リスクにも、最大リターンにもない事をしでかすぞ?」
「へぇ、そうなんですね。イーサ王」
「あぁ。考えるだけ無駄だ。だから、俺はただ待つぞ。待つのも、王の仕事だ」
イーサの言葉に突然マティックの隣から「ふふ」と堪え切れないといった笑い声が聞こえてきた。カナニだ。
父がここまで明け透けに笑うとは珍しい。マティックは珍しい父親の姿に、思わず目を奪われた。
「カナニ。お前、何がおかしい?」
「……イーサ様。それは誰に教わった心構えですか?」
「これは俺が独自に考えたモノである!誰からも教わっていない!」
「だとすれば、まさしく貴方はヴィタリックの子ですね」
「……なんだと?」
その瞬間、ぬいぐるみを抱きながらモゾモゾと、王とは言い難い動きをしていたイーサが勢いよく起き上がった。しかし、絶対にその腕からぬいぐるみを離す事はない。
「俺は確かにアイツの息子かもしれんが、あんなヤツに似てなどいない!カナニ、お前。父を愛していたからといって、何につけても父に結び付けるのは止めろ!気色悪い!」
「ふふっ、そう言いましても。あぁ、本当に……血は水よりも濃い」
カナニは、最早傑作だと言わんばかりに肩を震わせて笑うと、郷愁の色を帯びた目で遠い過去を思った。
『なぁ、ヴィタリック。お前、どうするつもりだ?』
『何がだ?』
『イーサ王子だ。部屋から出られなくなってどれ程になる?そろそろ何か手を打った方が良いのではないか?お前はあの方に跡を継がせるつもりなのだろう?』
『放っておけ。そのうち、誰かに手を引かれて勝手に出てくるさ』
『……誰か?』
『そう、誰か。俺にとってのお前みたいなヤツが。いつかあの子にも現れるさ。それまでは俺が王をやればいい。どこまで、この体がもつかは分からんがな』
『……』
『カナニ。俺はこう考える。待つのも王の立派な仕事である、とな』
そう、全てを見通すような目で笑うヴィタリックの姿が、今でもハッキリとカナニの脳裏に焼き付いている。
「ヴィタリック。確かに、お前の言う通りになったよ」
もう、どこにも居ない癖に、確かにこうして彼の言う通りになっている。そして、彼と同じ事を、部屋から出てきた息子が口にするのだから、もう笑わずにはいられない。
「待つのも王の仕事、まさにそれは……ヴィタリックがよく口にしていた言葉ですから」
「……」
そんなカナニの言葉に、イーサはぬいぐるみを抱き締めながら目を逸らした。カナニが自分を見て誰を見ているかなど、明白だったからだ。
こういう目を、イーサはこの世で最も嫌いだ。俺は俺だと、どんなに叫んでも相手には届かないのだから。
「あなたは、きっと良い王になられる」
「お前に言われてもちっとも嬉しくない!」
イーサはフンとそのままソファの上に横たわると、夜になるのをひたすら待った。夜になり、サトシが眠れば夢で会える。
そしたら、サトシに言ってもらおう。
『お前は良い王様になるよ』
そう、サトシに言われるのが、イーサにとっては最も誇らしかった。
「サトシ、俺はお前を待つぞ」
イーサの小さな声は、抱きしめたぬいぐるみの中に吸い込まれ、そして消えていった。