201:ジェロームの興味

 

 

「なんだと?」

 

 

 ジェロームは見慣れた字で書かれた手紙を前に、酷く眉間に皺を寄せた。

 今や、リーガラントにおいて「手紙」なんてモノは殆どみられない。そう、「紙」は形式的で儀礼的なモノにしか用いられなくなってしまった。

 

 それこそ、開戦における勅命の書などはソレにあたる。

 しかし、そんな過去の遺物と言える「紙」を、未だに現役で連絡手段として用いる者がいる。しかも、伝書鳩などという更に前時代的な運用手段によって。

 

「エイダ……アイツ、今度は何を企んでいるんだ」

 

 エイダ。

 ジェロームの数代前からクリプラントの内部情報を気ままに流してくるハーフエルフだ。それは、人間とエルフの間に生まれた狭間の者であり、クリプラントとリーガラントの架け橋でもある。

 

 しかし、そのエイダについて。ジェロームは父親から、いや、ボルカー家の家訓として代々強く口伝されてきた事がある。それは――。

 

 

『ジェローム。エイダはリーガラントの味方ではないぞ』

 

 

 ジェロームはエイダからの手紙を前に、父の声をすぐ傍に聞いた気がした。

 

 

『どうしてですか?』

『アイツは決して我らリーガラントだけに情報をもたらすワケではない。我らの情報もまた、同様にクリプラントに流す』

『……なぜ、そのような間者を受け入れるのですか。危険なのでは』

『そうだな。しかし、一つだけ言えるのはエイダのもたらす情報に“嘘”や“偽り”は、決して無いという事だ。情報の受け手である我らが使い方を誤りさえしなければ、利点の方が遥かに大きい』

『……』

『いいか?ジェローム。今後、お前がエイダと付き合う際に、一つだけ肝に銘じておかなければならない事がある。それさえ忘れなければ、エイダは決してお前の敵になる事はない』

『……それは、何ですか?』

『エイダに手綱を付けよう、利用しようなどと思ってはいけない。そう、一番お前に分かりやすい表現を使うならば――』

 

 

 ジェロームは手紙を見下ろしながら小さく笑った。

 

 

「まったく。エイダ。お前は俺を困らせて楽しむのが好きだな、昔から」

 

 そこには踊るような楽し気な筆跡で、こう書かれていた。

 

——–良い事を教えてやる!イーサの宝石はお前と同じ声をしていた!面白いから、ソイツをお前に会わせてやるよ!お前も会いたいよな?いつなら会える!?

 

 父の言葉が、まるで今も隣に居てくれるように耳の奥に響いた。

 

 

『アレの事は、“やっかいな友”だと思うといい。楽しく、愉快な事を最も好む。困ったヤツでもあり、憎めないヤツ』

『友……ですか?』

『ああ。友に、手綱を付けようなどとは思わないだろう?お前にとってのハルヒコのように接していけば、決して悪いようにはならないだろう』

 

 

 確かにこの手紙の気性は友へのソレだ。ジェロームは脳裏に浮かんだ父の言葉と共に苦笑するしかなかった。

 

「まったく、俺はリーガラントの元帥だぞ。これじゃあまるで、新しい友を紹介するから会おうと遊びに誘われているようではないか」

 

 ジェロームは昨日から続く不測の事態に、カチカチに固めていた自身の髪の毛にグシャリと爪を立てた。そのせいで、地毛であるフワリとした天然パーマが微かに顔を覗かせる。

 

「友なら、こういう時どう返事をするんだろうな……なぁ?ハルヒコ?」

 

 ジェロームは手紙に落としていた視線を、フイと隣に向けた。

 そこには、同じく手紙を横から覗き込みながら、眉間に皺を寄せるハルヒコの姿がある。明らかに不満、いや、不機嫌そうだ。

 

「さぁね。ただ、エイダの事は昔から気に食わないから、俺だったら断固拒否だよ」

「ふふ、そうだろうな」

 

 分かっていたとばかりに吹き出してくるジェロームに、ハルヒコは肩をすくめた。

 

「まぁ、しかし。これは君に宛てられた手紙だ。だから、俺の答えなんて何も参考にはならないぞ?」

「……またそうやって、俺に全部を決めさせて」

「そりゃあそうさ。だって俺とジェロームは違う人間だからな。友というのは関係性の在り方が数多く存在する。俺だったらアイツは気に食わないから、あ・わ・な・い」

「……」

 

 あわない。

 それは果たして、「性格が合わない」のか「エイダとなんか会わない」なのか。果たしてどちらなのだろう。

 

「両方だろうな」

「どうかしたかい?ジェローム」

「いや」

 

 ジェロームは首を傾げて此方を見てくるハルヒコに、笑みを消す事なく首を振った。確かに、ハルヒコとエイダは二人で茶をするような仲には決してならないだろう。この優しいハルヒコが、エイダにだけは昔からハッキリと食ってかかるのだから。

 

『エイダ!またジェロームをイジメているのか!とっとと帰れ!お前が居るとそもそも頭でっかちで落ち込みやすいジェロームが、もっと落ち込む!』

『ハルヒコぉ。そりゃあないぜ。そんなのアイツが勝手に落ち込むだけなのにさー』

『お前はソレを楽しんでるだろうが!後からフォローしなきゃならない俺の身にもなれ!面倒なんだぞ!』

『ハルヒコ……お前、面倒だったのか?』

『はぁ!?面倒に決まってるだろ!俺も色々忙しいんだ!いい加減一人で立ち直れるようになれ!このウジウジ虫が!』

『……うじうじむし』

『あははは!ハルヒコ!お前がトドメを刺してるじゃないか!お前らホントに面白いなー!』

 

 幼い頃から何かにつけて絡まれていたジェロームに対し、ハルヒコはいつもそれから守るように手を引いてくれた。ハルヒコとエイダは悪友と言うのにふさわしい関係なのかもしれない。

 ハルヒコは“あわない”。だとしたら、自分は。

 

「……会って、みようかな」

 

 ジェロームがエイダからの手紙にポソリと呟いた。

 元帥とか、クリプラントとか、リーガラントとか、これから待ち受ける未来を全て度外視で決めて良いのであれば、ジェロームの答えはそれだけだった。

 だって気になるではないか。あの“楽しいこと”をこの世の誰よりも尊む男が、こんなにも楽しそうに手紙を書いて寄越すのだ。

 

「俺と同じ声のヤツが居るというのも気になるし」

 

 チラと表情を伺うように上目遣いで尋ねてくるジェロームの姿に、ハルヒコは「はぁ」と深く溜息を吐いた。溜息ついでに、先程ジェロームが爪を立てたせいで乱れた髪の毛をサッと手で梳かしてやる。

 

「言うと思ったよ」

「ダメ、だろうか」

 

 しかし、どんなに手で梳かしてやってもジェロームの髪の毛は、ハルヒコの手に逆らうように自己主張を止めない。ピョコと一束、頭頂部から髪の毛が立っている。

ジェロームのくせ毛は強い。髪の毛は細く柔らかいのに、どんなに強いワックスを使っても、どんなに上からこうして手で撫でつけても、しばらくしたら自己主張を繰り返すのだ。

 

「まったく」

 

 もう、これが全ての答えじゃないか。ハルヒコは小さく息を吐くと、ヒョコリと立った髪の毛を指で弾いた。

 

「ひとまず、いつどこで会うか決めた方がいい。友達に会うとは言え、さすがにその辺の喫茶店で会うワケにもいかないからな」

「……そうだな!」

 

 まったく、この友は線が細い癖に芯の所は強情なのだ。ハルヒコは、再び手紙に目を落とし、少しだけ目を輝かせ始めた幼馴染を前に苦笑したのであった。