209:人間とエルフ

 

 

 

「クリプラントが何であんなに頑なに国を閉じてるか分かるか?」

「……何だよ、急に」

「なぁ、何でだと思う?」

 

 多くの人々が行きかう中央通りのような道を歩きながら、エイダは迷いなく歩を進める。俺はただそれに付いて行くだけだ。

 

「エルフが……血を混じらせたくないからじゃないのか?」

 

 エーイチは教えてくれた。クリプラントで最も重い罪は人間とエルフが混じる事だと。つまり“ハーフエルフ”を産み落とす事は、このクリプラントでは大罪なのだ。俺はエーイチの言葉を耳の奥で反芻させながら、俺に背を向け朱色の髪を靡かせるエイダを見た。

 

 エイダはハーフエルフだ。人間とエルフが混じって出来た子供だった。

 

「今でこそクリプラントもリーガラントもこんなだけどさ、長い歴史の中で両国が友好的だった時期もあるワケよ。その時は、必然的にハーフエルフも一定数生まれる。でも、しばらくすると……やっぱり両国の関係は互いに悪化する」

「まぁ、種族も違うし色々ありそうだもんな」

「そう、色々あったんだろうよ。でも、最初に交流を閉ざすのは決まってクリプラント側だったと……ヴィタリックは言っていたな」

 

 ヴィタリック。

 そう、本当に親しい友の名を呼ぶようその名を口にするエイダに、俺は本当にコイツはヴィタリックの友達だったんだなと、ストンと腹落ちした気分だった。先程の声色は、長年の友でなければ出せない。口では表現できないが、少しの郷愁と粗雑さを含んでいた。

 

「へぇ。やっぱエルフは自尊心が高いからか?」

「違うね。全然違う。やっぱお前は人間だな。全然分かってねーわ。だから、戦争が起きちまうんだよ」

「はぁ、何だよ急に」

 

 そんな、どこか責めるような口調で紡がれる言葉に、俺はとっさに口を尖らせた。聞き捨てならない。戦争の原因なんて、どちらか一方が悪い事なんて、きっとそうそうないのに。

 

「なぁ、サトシ。考えてもみろよ?好きになった相手が……最初は若くて自分と同じ年ごろの姿をしていたのに、徐々に徐々に相手の方が先に年老いていくんだぜ?」

「……あ」

 

 エイダの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。

 

「エルフにとっては、正直人間の一生なんてほんの僅かな時間……そうだな、分かりやすく言うなら。ちょっとした“お茶のひと時”みたいなモンだ」

「お茶の、ひと時」

「そう。でも、好きになるって時間だけじゃねぇんだよ。ほんのひと時一緒に居ただけで、気持ちだけはどんどん大きくなっていくなんて、よくある事だ」

 

 エルフと人間の間に深く存在する溝。それは、やっぱり圧倒的な寿命の差だ。

 「サトシ、頼むから長生きしてくれよな」と、酔っぱらった拍子に肩を叩いてきたエルフの皆の目は、確かにどこか寂しそうだった。

 

「俺の父親と母親がそうだった。母親が人間で、父親がエルフでさ。特に男はダメだ。好きなヤツが先に死ぬなんて耐えきれないんだよ」

「……そっか」

「母さんが死んでから、父さんの荒れ具合はそりゃあ酷かった。最初は俺を母さんだと思って話しかけたりしてさ。頭イカれちまってんの。そのうち、見えねぇ母さんに話しかけ始めて……最終的には、居ない相手を追いかけて崖から落ちて死んだよ」

 

 エイダの長い髪が、光を反射してユラユラと揺れる。あぁ、この髪の毛は一体、どちらに似たモノなんだろう。そこまで考えて、俺は静かに目を伏せた。父親が、錯乱して息子に話しかけるくらいだ。答えは火を見るよりも明らかだ

 

「先に逝く方にも色々辛い所があるだろうさ。でも、やっぱり“遺される方”の辛さは、想像を絶するモンがある。エルフは高潔で自尊心が高い……ただの“寂しがり屋”なんだ」

 

 置いて逝く苦しみ。置いて逝かれる苦しみ。

 感情に優劣も強弱も付けられない。ただ、クリプラントが国を閉ざす本当の理由が、少しだけ分かった気がした。好きになると辛いから、閉ざす。そして、相手をバカにする。愚かな種族だと侮蔑する目の奥には、いつも寂しさと恐怖が隠れていたのかもしれない。

 

“好きになってはいけない”という。

 これは、防衛本能だ。心を守る為の。だから国を挙げて血を混じらせないようにするし、文化的に人間を貶める。

 

「……お前、イーサとヤったろ?」

「はっ!?な、なんだよ!急に!」

 

 それまでのしんみりした雰囲気から一変して、エイダの声に揶揄するような色が含まれた。ついでに、チラと此方を振り返って見てくるエイダの視線に、俺は思わず腰をさする手を止めた。エイダの視線は、ハッキリと俺の腰へ向けられている。口元には薄い笑み。

 

 やめろ、そんな目で見るな!

 

「しかも、お前がブッ込まれる側」

「うるせぇっな!勝手な事言ってんじゃねぇよ!」

「うわ、想像したら吐き気がしてきた」

 

 うえ、とわざとらしくえづいてくるエイダに、俺は一気に顔に熱が集まるのを止められなかった。いや、別に後悔なんてしていない。なにせ、その……気持ち良かったし。腰は重いが気分は良い。

 

 ただ、それを他人に言われるのは我慢ならないのだ。

 

「ヤッてねーし!何でそう思うんだよ!」

「は?だって」

 

 エイダは人差指を一本立てると、自身のとある一カ所を指さした。そこは、俺よりも大きく隆起するエイダの喉仏が一つ。

 

「お前、全然イーサのアレ飲んでねーじゃん」

「……あ」

 

 “アレ”とは、まさに“アレ”だ。イーサのマナを固めた……“アレ”だ。原材料はイーサの“アレ”。

 

「お前、イーサのマナを摂取しねぇと喋れなくなるんだろ?なのに、夜中に出発して今まで、一回もアレを舐めてねぇ」

「……確かに」

「なのに、お前の声はずっと出てる。という事は、だ」

 

 エイダの口元に、そりゃあ深い笑みが刻まれた。この顔、マジで嫌いだ。

 

「お前のナカに直接……“濃い”ヤツを、しかも“大量”にブチ込まれたって事だろ?」

「ぁ、ぅ」

 

 エイダの言葉に、とっさに思い浮かぶのは昨日のイーサとの部屋でのひと時の事だ。もう、完全に思い当たる節があり過ぎて、反論のしようがない。

 

「ま、丁度良かったじゃねぇか。あんなモン舐めるより、同意の上で直接ブチ込まれた方が気持も良いだろうし」

「うるせぇな!もう、さっさと約束の場所まで案内しろ!」

 

 これ以上何かを言うと、完全に墓穴を掘ってしまいそうだ。

 俺はエイダから視線を外すと、どこに行って良いかも分からぬまま、エイダの隣を通り過ぎて歩きだした。どうやら、いつの間にか大通りを抜けて裏路地に入っていたようで、周囲の風景が一変していた。近未来的な高層ビルは姿を消し、周囲には古ぼけた煉瓦作りの民家が立ち並んでいる。人通りも少ない。

 

 ここは、一体どこだ?

 

「おい、サトシ」

「なんだよ!?」

 

 突然、真面目な声調になったエイダの声に、俺は先程の勢いのまま返事をする。きっと、まだ顔は赤いに違いない。

 

「イーサを……俺の父さんみたいにするなよ」

「っ!」

「お前は“置いて逝く側”だ。お前とのお茶のひと時が、アイツの中でどれだけ大きなモノになっているか……お前も分かってるだろう」

「……」

「だから、置いて逝くお前は……イーサを廃人になんかするなよ。好きなヤツをダメにするような愛し方をするな。それが惚れさせた方の責任だ」

 

 エイダの喉仏が揺れる。

 普段とは違う、深くて落ち着いた声が俺に語りかけた。置いて逝く側。その言葉に、俺は深く重く、唾液を飲み下した。

 

「……あぁ、わかってる」

「わかりゃいいんだよ。あんまり知らなかったけどさ……置いて逝かれるって、ツレーなぁ」

 

 置いて逝かれる辛さ。

 きっと、エイダの頭の中にあるのは“ヴィタリック”だろう。そして、同時に頭の片隅に浮かぶのは飯塚さんに弔辞を読んだ中里さんの言葉だ。

 

『クニ。お前は、俺の声の一部だったよ』

 

 置いて逝かれる側は、自分の一部を失うような感覚なのだと、俺はあの弔辞で知った。自分の一部を失うからこそ、エイダの父親のように気が狂ってしまう者も現れる。俺は、イーサを必ず置いていく。

 

「分かってる……」

「ならいい。アレでも一国の主だからな」

「うん、大丈夫」

 

 深く頷く。俺は絶対に、イーサをそんな風にはさせない。させられない。

 

「エイダ。いいから早く約束の場所に案内しろ」

「ついた」

「は?」

「ココだよ」

 

 エイダは立ち止まった場所の隣にある、蔦塗れの古い建物を指さした。どう見ても廃墟にしか見えない。ただ、よく見れば巻き付く蔦の隙間から、古い看板のようなモノが見える。何と書いてあるのかは、よく見えない。

 

「ここのコーヒーは美味いぜ?保証する」

「コーヒー?」

「ようこそ。時間と時空の狭間。玉泉院へ。ここなら他人に邪魔されない。楽しい“お茶のひと時”といこうか」

 

 エイダは長くなった髪を片手でサラリと靡かせると、俺に背を向け店の扉に手をかけた。その瞬間、中から香ってきたコーヒーの香りに、俺は一瞬ここがどこなのか分からなくなった。

 

 今から、俺はほんのひと時の“お茶の時間”を過ごすらしい。