218:ハルヒコ・イチマダの最愛

 

 

 ハルヒコ・イチマダは、ジェローム・ボルカーを深く愛していた。

 

 

「あぁ、ジェローム。可愛い可愛い俺のジェローム」

 

 

 それは、最初はただの“洗脳”に過ぎなかった。

 

 

『いいか。ハルヒコ、お前はこれから一生かけてジェローム様にお仕えするんだ』

『はい、おとうさま』

『これは誇り高い使命だ。他の誰にも出来ない、長い年月をかけてボルカー家に忠誠を誓って来た我が一族だからこそ傍に置いて頂ける』

『はい、おとうさま』

『いいな?ハルヒコ。これは名誉な事だ』

『はい』

 

 ジェロームが生まれたその日、四歳だったハルヒコは父親に呼び出されて何度も何度も言い聞かせられた。教育という名の洗脳を、ハルヒコはきっちりとその身に刻み込まれていたのだ。

 

『さぁ、ハルヒコ。彼がジェローム様だ。これから、よくお仕えするように』

『……わぁ』

 

 まだまだ産まれたての、焼き立てのパンのように柔らかく温かい赤子を前にハルヒコは強く思った。

 

『この子は、おれがまもらないと』

 

 ただその時のソレは、か弱い生き物に対して感じる庇護欲と何ら変わりなかった。小さいから、守る。弱いから守る。親からそう言われたから守る。ただ、それだけ。

 それが、ハルヒコとジェロームの始まりだった。

 

 

『我らイチマダ家は、ボルカー家と共にあり』

 

 

 ハルヒコの姓は“イチマダ”と言った。

 イチマダの家系は、代々ジェロームの家に仕える相談役として、リーガラントで政治の中枢を担ってきた由緒ある一族である。ハルヒコの父はジェロームの父に仕えていたし、祖父もまた然りだ。

 

 いつからそうなったのか。

 それは、クーデターにてボルカー家がリーガラントの先代の独裁政権を打ち滅ぼした数百年前からだ。革命時代、ボルカー家を常に隣で支えていた一族。それがイチマダの姓を持つ、ハルヒコの祖先なのである。

 

『はるひこ、はるひこ』

『はい、ジェローム様』

 

 たどたどしい足取りで、自分の後ろを付いて歩くジェロームの、なんと可愛いらしい事だろう。ハルヒコは四つ年下のジェロームをいつも愛おしく思っていた。

 

 ただやはりそれは、その愛は幼い妹や弟に向けるソレと何ら変わりなかった。庇護欲にも似た何かを、八歳のハルヒコは幼いジェロームに向けていた。

 

『はるひこ、こっちに、きて』

『はい!すぐに!』

『ハルヒコ。えんぜつをするから、きいて』

『はい、お上手ですよ』

『ハルヒコ。おれは、まだえんぜつしていない』

『ええ、お上手です』

『……』

 

 ふくれる顔も、笑った顔も、怒った顔も全部可愛かった。ハルヒコにとって、ジェロームは愛すべき弟、家族だった。

 そんなある日の事だ。

 

 

『なんで。お父様……まだ、俺は……一人では、なにも』

 

 ジェロームが十三になったばかりの頃、彼の父親が死んだ。

 世代交代には余りにも早過ぎた。しかし、事実は事実として何も変わらない。民意で選ばれているという前提の“元帥”ではあったが、最早長い年月をかけて、ジェロームの血筋が血統で継ぐのは慣例となっていた。

 

 皆、ボルカーの血筋に“英雄”と“カリスマ”を求め、そして依存していた。

 独裁政権から国民を救った英雄の血。それは、国民や周囲から選択の思考を奪った。

 

 ジェロームは十三歳で、元帥となった。

 

『ハルヒコ。俺はどうしたらいい?不安だ。こわい』

『ジェローム、大丈夫だ。俺が居る』

『ハルヒコ、ハルヒコ』

 

 そう言って、まだまだ成長途中の未発達な体を震わせ自らに縋ってくるジェロームに対し、ハルヒコは体を震わせた。

 一国の主となった可愛い子。そんな彼は『ハルヒコ、ハルヒコ』と、少し低くなった声で、しかし昔と変わらぬ声色で自らに縋る。

 

『ジェロームには、俺しか居ないのか』

 

 腹の底から煮え滾るような熱さに体を支配されながら、ハルヒコは震えたのだ。そう、歓喜に身も心も震わせたのだ。

 

『ジェローム。俺だけには本心を話してくれていい。全部曝け出せ。俺は、何があってもお前の味方だ』

『ハルヒコ、ありがとう。俺にはお前だけだ』

『……ジェローム』

 

 全てにおいて信頼を寄せてくるジェロームのその瞳に、ハルヒコは思った。自分がジェロームの“父”になりたい、と。この可愛くて堪らないジェロームを全て受け入れ、“我が子”にしたいと。

 

『あぁっ。可愛い可愛い、俺のジェローム』

 

 たった四つしか離れていない同性相手に、そんな事を思うようになっていた。

 長い年月をかけて育った庇護欲と言う名の愛情は、父性へと進化しジェロームを大きく包みこんだ。

 

『ん?どうしたジェローム』

『……ハルヒコ。いや、何でもない』

『さては、また大臣達に何か言われたな?』

『っ!どうして分かったんだ?』

『キミの目を見てれば、そんなのはすぐに分かる事だ。俺を誰だと思ってる?』

『さすがハルヒコだ。隠し事なんて何もできないな』

『さぁ、何て言われたんだい?そうだ、俺の部屋にキミの好きなコーヒーが届いてる。飲みながら聞こう』

『ありがとう、ハルヒコ!』

 

 そして、そこからハルヒコはジェロームを支え続けた。支え、導き、常に傍らに立ちその手を引き続けた。

 

 そして、ジェロームの父が他界して三年後。

 ジェロームが十六歳の頃だ。公務の一環で訪れていた地方での演説中、

 

彼は撃たれた。

 

『なんだって……?』

 

 ハルヒコは耳を疑った。なぜ、とそんな疑問ばかりが頭を埋め尽くした。そして同時に腹の底を埋め尽くす、氷のように冷たい感情。

 

——–ハルヒコ、俺は良い指導者になれるだろうか。父のように、国民を豊かにしてやりたい。

 

『犯人は、誰だ……?』

 

 犯人はすぐに捕まった。

 それは昨今の資源不足からくる貧富の差の拡大により、不満を高めていた労働者階級の男だった。そう、それはどこにでも居るような、とるにたらない国民の一人だったのだ。

 そう、ジェロームが「富ませたい」と願ったその中の一人。

 

『ジェローム、ジェローム、ジェロームッ!』

 

 幸い、撃たれたのが右肩と急所を外していた為、一命をとりとめる事が出来た。その知らせを聞いても、ハルヒコの腹の底に広がっていた冷たい何かは一切引いたりはしなかった。

 

『はるひこ、おれは、だれも、すくえていなかったな』

 

 そう言って、青白い顔で悲し気に笑うまだ十六歳の彼の頬をジェロームはソッと撫でた。幸せを願っていた相手から、この子は牙を剥かれた。国民という、自らでは何を変えようともしない愚かなケダモノによって。

 

 救世主という名に縋り、期待し、勝手に絶望した。そしてその結果、ハルヒコの愛しい子を傷付けたのだ。

 

『ジェローム……君は何も悪くない。大丈夫だ。これからは、君は俺が守ろう。全てから、俺が守ってみせるよ』

『っぅうぅえぇぇっ。はるひごっ、もう、おれには……おまえじがいないっ!』

 

 そう言って涙を流すジェロームにハルヒコの冷たい腹の中が熱を帯びる。でも、その熱は、氷のような冷たさを決して溶かしたりはしなかった。ハルヒコの中では熱さと冷たさが同居し、常に居座るようになったのだ。

 

『ジェローム。俺しか頼る相手の居ない、可哀想な子。可愛い可愛い俺のジェローム』

 

 洗脳から始まった庇護欲は、ハルヒコの中で成長し父性となった。そして、今や“独占欲”と“執着”を孕み、ジェロームという存在は、ハルヒコの中で“最愛”となっていた。

 

『愛しているよ、ジェローム。君には俺だけだ。俺しか居ない。なぁ、そうだろ?』

 

 

 ジェロームを少しでも害する者は、ハルヒコにとって全部敵となった。