223:イーサの癇癪

 

 

 

 サトシに会いたい。

 

 

 

『イーサ、おいで!俺がたくさん可愛がってやるよ!

 

 会いたくて会いたくて仕方がない。会って今すぐ抱き締めたい。

 

 それなのに――!

 

『ダメです』

『ええ、ダメですね。何を言ってるんですか。まったく』

『お兄様?どこの国に、使者と一緒にノコノコ付いていく王様が居るの?もう少し考えて発言してちょうだい』

 

 ダメダメダメダメダメ。

 あぁぁっ!もう、イーサは王様なのに、どうしてこうも自由に動けないんだ!

 

 俺は、いっつも我慢ばっかり!

 

「イーサ、行ってくるな?」

 

 そう言って、静かに俺の腕から去って行くサトシに、頭が爆発しそうだった。少し前まで、俺とサトシは体をピッタリとくっ付いて、離れられないくらい“つながって”いたのに。

 そのせいか、俺の腕から離れていくサトシに、いつも以上の腹立たしさを感じて仕方が無かった。

 

「……」

 

 ゴソゴソとサトシが出発の準備を整える音がする。そう、サトシはこれからリーガラントへ行くのだ。クリプラントとの戦争を止めさせるために。

 そう、国の為だ。エルフの国の為に、サトシは危険を承知で使者を引き受けてくれた。本当は、俺も一緒に行くとサトシに抱き着いて、いつものように癇癪を起してやってもよかった。

 

 でも、イーサはそれを我慢した。

 そんな事をしたら、サトシが困るのが分かっていたから。イーサは成長したのだ。

 

 サトシが寝所の扉を開ける音がする。その音を、目を瞑ったままジッと耐える。布団の中に隠された手はギュッと握りこぶしを作っている。我慢、我慢だ。

 今度はすぐに、バタンと戸が閉まる音が聞こえた。部屋の中から、先程まであったサトシの気配が一切消える。

 

「……サトシ」

 

 先程まで二人でくっつき合っていたベッドの上には、今はイーサ一人。隣に微かに残っていた温もりも無い。俺は服を身に纏う事なく、寝所の入口まで走った。

 今まで、こうして何度サトシを見送った?何度俺は我慢してきた?

 

——–イーサ、行ってくるな?

 

 イーサも本当は付いて行きたい。

 だって、ずっと我慢していた。でも、イーサは王様だから我慢しなければならない。使者に王が付いて行くなど、変だから。

 

「……サトシ、気を付けて行ってくるんだぞ」

 

 コン。

 

 一度だけ、扉を叩いていた。サトシには聞こえただろうか。ちゃんとイーサは我慢してサトシを見送ったぞ。偉いだろう。という気持ちを込めた。

 

 これはサトシと俺だけが分かるノックの合図だ。

 一度のノックは肯定。二度のノックは否定。

 

「……サトシ」

 

 俺は遠ざかっていく足音を聞きながら、額を扉にコツンとくっつけた。この扉は決して開けない。こんなのまるで、本当に出会ったばかりの頃のようだ。

 

「サトシ、サトシ」

 

 サトシと出会った時、俺は決して声を上げなかった。

 

 あの頃、俺はサトシをまだ信用していなかった。いや、むしろ誰も信用していなかったから。信用出来ない奴と喋る時間は、時間の無駄だ。声を出すのも億劫だし。どうせ誰もまともに取り合ってくれない。

 

「サトシ、サトシ、サトシ」

 

 なにせ、皆、ヴィタリックが正しいと言って、俺の言う事などまともに聴きやしないのだから。それに加え、他の兄弟達は愚かな馬鹿と阿呆ばかり。唯一まともなのは末の妹のソラナくらいなモノだが、アイツもダメだ。すぐ泣く。そしてウルサイ。

 

 そんなにヴィタリックの言う事しか聞かないのなら、俺はいらないだろう。俺は自分の存在意義がまったく分からなくなって、部屋に引きこもったのだ。

 

「サトシサトシサトシ」

 

 部屋に引きこもってからは天国のようだった。

 誰にも関わらなくて良い分、誰からも蔑ろにされない。面倒な公務も無い。周囲から愚かな嫡男とバカにされようが構わない。

 

 こんな“終わり”に向かう国の事など、知った事ではない。こんな国にした責任は、ヴィタリックに取って貰えばいい。全部アイツらのような古いエルフ達が紡いできた歴史の結果なのだから。

 

 そうやって引きこもってから百年経った。

 そんな時だった。

 

『お前は……“聴いて”くれてるんだな。俺の、声を』

 

 

 サトシが俺の前に現れたのは。

 サトシはいくら俺が無視しても、お話をするのをやめなかった。むしろ、楽しそうに話し続けてくれた。

 

『なぁ、イーサ。海って知ってるか?知ってるなら、一回。知らなければ二回、扉を叩いてくれ』

 

 肯定なら一回。否定なら二回。

 その問いが、ノックでの会話の始まりだった。

 

 それからサトシとはたくさんノックで喋った。でも、そのうちノックだけじゃ物足りなくなった。もっとサトシと話したくなって、顔を見たくなった。一緒に肩を並べたくなった。一緒にベッドに入って、真っ暗な中で二人だけの時間を過ごしたくなった。

 

『イーサ。お前の声凄く良かったぞ』

 

 サトシの声が聞こえる。

 

「サトシサトシサトシサトシサトシ……」

 

 さっき俺は一回だけノックした。だから「行ってくるな、イーサ」というサトシの言葉に肯定してしまったのだ。

 

「いやだ。イーサは、さとしと……離れたくない」

 

 コン。

 

 俺は誰も居なくなった部屋で、再び戸をノックした。これは“一度のノック”ではない。先程のノックに追加の一回。すなわち、

 

 否定を表す二度のノックだ。

 

 

「サトシ、一人で行くのは許さない。イーサも行く。もう、待つのも我慢もこりごりだ」