222:チャリで来た!

 

 

『……キン?』

 

 見慣れない天井。開け慣れない襖。傾斜の急な階段。ギシギシとうるさい家。静かで広い“セカイノハザマ”みたいな座敷。その外と内を分かつ縁側に立って居る俺。そんな俺を見て大きく手を振ってくる、

 

山吹 金弥。

 

『えっ?え、キン?なんで?あれ?』

 

 ここに居る筈のない相手に、俺は大いに混乱した。そんな俺に対し、金弥は跨っていた自転車から降りると、そのまま自転車を放り投げて此方に走って来た。

 

『サートシー!来たーー!』

 

 嘘だ。ここは俺のばあちゃんの家で、家からは凄く遠い。だって、電車に乗って来たんだ。だから、あんな自転車で来れるワケがない。え。もしかして、ここは夢の世界?

 

——–サトシ、今年はオレがサトシの夢に行くから。

 

 俺の脳裏に別れ際の金弥の声が聞こえてきた。

 しかし、そんな過去の金弥の声を振り切るように、いつの間にか金弥は俺のすぐ目の前に立って居た。既にのぼりきった夏の太陽が、キラキラと金弥の汗を照らしている。セミの声はずっと鳴り響いてて、夏も最後の力を絞って世界を熱く茹だらせているようだった。

 

『キン……何で、ここに?』

 

 まるでプールに入った後みたいに体中を汗で濡らす金弥が、肩腕で汗を拭いながら笑って言った。

 

『っはぁ、っはぁ……えっと、チャリで来た!』

『いや、そうじゃなくって!』

 

 思わず、肩で息をする金弥の頬を両手で挟んでホンモノかどうか確かめてしまう。触れた手は金弥の汗でしっとりどころか、びしゃびしゃに濡れた。普通だったら『汚い!』って言ってすぐ離すだろうけど、今はそれどころじゃない。

 

『え、ほんとにキン?ほんとか?』

『あははっ!サトシ何言ってんの!オレはキンじゃん!他に何に見えんの?』

『でも……遠いし、だって。なんで…』

 

 もう湧き上がってくる感情に付いて行けなくて、俺は酷くオロオロしてしまっていた。きっと、凄く格好悪かったと思う。そんな俺を金弥はワケが分からないと言った風に笑い飛ばすと、自身の顔をグッと近づけてきた。そして、俺の顔も金弥の両手でピタリと挟まれる。金弥の汗の匂いが鼻をつく。

 

 暑い。

 

『会いに行くって言ったじゃん、オレ』

『……で、でも』

『それに、二人だけで遊ぼうって、オレ、ちゃんと言っただろ?』

 

 声変わりなんてまだな筈なのに、少しだけ金弥の声が低くなった気がした。金弥がくっつき過ぎて、鼻と鼻がくっつく。金弥の鼻の上に溜まっていた汗が、俺の鼻にくっついた。その拍子に、お互いの体もピタリとくっつく。

 

『ぁ、ぅ……で、も』

『でも?』

 

 暑い筈なのに、金弥の汗で触れた肌は冷たかった。これは、いつも寝ている時に金弥にキスをされる距離感だ。緊張する。相手は“金弥”なのに。

 

『それは、夢の、はなし、じゃ』

 

 そう、俺が掠れる声で言った時だった。

 

『やっぱ夢じゃムリ。足りないもん。だから、来た』

 

 そう言って勢いよく背中に回された金弥の腕に、俺は普段だったら絶対に言わないような事を言ってしまっていた。

 

『キン、オレも――』

 

 

 会いたかった。

 

 

 

        〇

 

 

 

 カラン

 

 そう、何度も聞いた喫茶店のベルの音が鳴り響いた。その音に、俺は乱れかけていた呼吸がピタリと止まるのを感じた。

 

「っはぁ、っは」

 

 俺の耳を突くのは、荒々しい呼吸音。乱れ切ったその苦し気な呼吸に、俺はどうしたって遠い過去の“あの日”を思い出していた。そう、振り返ったらそこには“アイツ”が居るのだ。

 

 会いたいと思った時に、会いに来てくれた相手を、俺は一生忘れない。

 

「っはぁ、サトシっ!来たぞ!」

 

 あの日の“アイツ”と全く同じ事を言いながら、キラキラ光る太陽を背負って来てくれた。

 

「……はは。イーサだ」

 

 もう笑えてくる。一体何なんだよ、お前らは。なんで、そう俺が望んだ時に当たり前みたいな顔でやって来るんだ。そんなの、まるで――。

 

「何で、ここに?」

 

 主人公みたいじゃないか。

 

 掠れる声で思わず漏れた言葉は“あの日”のままで。

 何やら店の後ろからは「アイツは何だ!」「何で体が動かないんだ!」なんて騒がしい声が聞こえてくるが、そんな中でも、俺の声はちゃんとイーサに届いていたらしい。

 

「何でって、そんなの……」

 

 茫然と此方を見つめる周囲の視線をかきわけ、いつもの笑顔で俺の元へと駆け寄って来た。その間もイーサは、体中から滝のように吹き出す汗を、たくし上げた腕で乱暴に拭った。一見すると、まるで王様になんて見えない。まるで、行きたい場所に一目散に走る子供だ。

 

「走って来た!」

 

 そう言って太陽みたいな顔で笑うイーサに、俺は気付いたら強く抱きしめられていた。

 

 

「もう待ってるのは飽きた!俺はサトシと一緒がいい!だから、来た!」